道徳×TOK(知の理論) 道徳の授業の問題点とこれからの道徳 〜立命館宇治中学校「道徳」公開授業研究会 講演①〜

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目次

1 はじめに

本記事は、2017年12月15日(金)に立命館宇治中学校(京都府宇治市)にて開催された『立命館宇治中学校「道徳」公開授業研究会』の取材を元に作成したものです。

立命館宇治中学校は数年前から、IB(国際バカロレア)ディプロマプログラムの必須教科であるTOK(theory of knowledge:知の理論)の手法を取り入れた道徳授業(以下、TOK道徳)を実施しています。

この『「道徳」公開授業研究会』は、2019年度からの中学校での道徳の教科化に先駆け、情報・意見交換の場として設けられたものです。研究会では、中学1年生、中学2年生のTOK道徳の公開授業の後、荒木寿友氏(立命館大学教職大学院 准教授)・井上志音氏(灘中学校・高等学校 教諭)による講演、さらに、両氏と授業担当者による『TOK(知の理論)を用いた教科道徳の有効性』というテーマでパネルディスカッションが行われました。

この記事では、荒木寿友氏による講演の内容を紹介しています。これまでの道徳教育の問題点と、これからの「道徳科」がどうあるべきなのか、ということについてのお話です。
  

▼立命館宇治中学校「道徳」公開授業研究会 の記事一覧

公開授業① 中学1年生『本当の優しさとは何か』

公開授業② 中学2年生『大人と子どもの境界線はどこか』

井上志音氏の講演

パネルディスカッション『TOK(知の理論)を用いた教科道徳の有効性』
  
  

2 TOK(知の理論)とは

TOK(知の理論)とは、国際的な視野をもつ人材の育成を目指すIB(国際バカロレア)ディプロマプログラムの中核を担う学習です。
  

「知の理論」(TOK:theory of knowledge)では、批判的思考(クリティカルシンキング)に取り組みます。具体的な知識について学習するのではなく、知るプロセスを探究します。「知識の本質」について考え、私たちが「知っている」と主張することを、いったいどのよう にして知るのかを考察します。具体的には、「知識に関する主張」を分析し、知識の構築 に関する問いを探究するよう生徒に働きかけていきます。TOKの目的は、共有された 「知識の領域」の間のつながりを重視し、それを「個人的な知識」に結びつけることで、 生徒が自分なりのものの見方や、他人との違いを自覚できるよう促していくことにあります。

国際バカロレア機構『「知の理論」(TOK) 指導の手引き』 より

  
  
  

3 講演

  

「道徳科」とは

道徳の授業として成立しているかどうかの判断基準の一つとして、次のような項目が挙げられます。

 

道徳の授業の問題点

道徳が道徳「科」、すなわち教科として位置づけられた背景には、日本の道徳は、読み物を読ませたりテレビを見せるだけで終わってしまって、果たして子どもたちがちゃんと考えているのかわからない、そして教師間の格差が絶対的に存在するという問題がありました。例えば歴史であれば、中世史が得意な先生もいれば、近現代史が得意な先生もいるように、道徳でも、価値項目ごとに得意・苦手が出てきます。やはり自分の教科の特性に応じて得意分野というものは必ずあります。そういった教師間の格差を埋めていくために、教科書をつくる、という話が出てきたのです。

そして、今までの道徳の授業では、登場人物の心情理解が中心になっていました。気持ちを理解させるだけの道徳で、子どもたちに残るものがあまり無い授業です。

ですから、質の高い教科書を使って、「正義とは何か」「権利と義務とは何か」というような答えが1つではない問題を投げかけ、子どもたち自身が考え議論する道徳への転換を図ろうとしているのです。いわゆる「本質的な問い」について、子どもたちと一緒に考えていくということです。これはTOKが考えていることと非常に似ていると私は思います。
  
  


  

  

道徳の教科書の問題点

道徳の教科書には、杉原千畝さんの「6000人を救ったビザ」のような、偉人についての話も多く載っています。しかし、偉人を扱った話で「あなたならどう考え、どう行動しますか」という発問をすると、子どもたちは100%思考停止します。「すごいですね」で終わるのです。すごい人を出されて「どう思いますか」と問われても、「すごいです」しか出て来ないので、この問いはあまり意味のない問いです。

心情理解についても、「トイレの行列に並んでいる時に、泣きそうな顔をした小さな男の子に列の順番をゆずってあげて、すがすがしい気持ちになった」という程度のものが普通に扱われていたのです。こうした話を使って、「困っている人がいたら順番をゆずってあげましょう」という内容を暗に伝えるような教科書でした。それはやはりおかしいのです。子どもたちに考えさせる授業と言いつつ、思考停止に陥らせているのですから。テキストの中で既にある程度のものが描かれてしまっていると、子どもたちはそれ以上のことを考えませんし、「こういうことを言ったら正解だろうな」と分かっています。また、子どもたちは自分の生活経験の中で、「どういうことがいいことなのか」「どういうことをすると他者に感謝されるのか」ということも大体分かっています。それを突き詰めて本質を考える段階になって初めて、そこまでは考えたことが無かったと気づくのです。

答えが一つではない、分からないところに敢えて焦点を当てて考えさせていくということが、これからの道徳の一つのポイントになってきます。
  

これからの道徳科の評価について

ですから、逆に言えば、これからの道徳は、評価がとても難しいのです。

普通教科であれば、評価を考えるときの基準として「到達度」がありますが、道徳はそういう基準を置かず、学習状況やプロセスを見ていこうということになっています。個人内評価として、その子の中で考え方がどう変わってきたのか、どう深まってきたのかを認めてあげる、というのが道徳科の評価の一つの基準です。ワークシートは評価の一つの材料として重要ですが、それ以外にも、子どもたちの発言内容等も踏まえ、認め励ます評価にしていく、という方針です。

  

TOKの手法を取り入れた道徳授業の有用性

先ほど、道徳科が成立するための要件として、「道徳的価値項目を扱っているか」ということを挙げましたが、高野先生の授業(→公開授業① 中学1年生『本当の優しさとは何か』)のテーマだった「優しさ」は、実は学習指導要領の中で挙げられている道徳的価値項目の中にはありません。「思いやり」「感謝」はありますので、テーマとこれらの価値項目を結びつけて考えるというのが一つのポイントになります。西田先生の授業(→公開授業② 中学2年生『大人と子どもの境界線はどこか』)では、子どもたちから出てきた意見に「節度・節制」「強い意志」「公共の精神」「勤労」など様々なものがありました。

このようにTOKの手法を道徳に取り入れると、何か一つの価値に固執するのではなく、大きなテーマの中に関連する価値が山ほど隠れていることを示すような道徳の授業として成立する可能性があります。

一つの価値に固執し、そこに収斂する形の授業ではなくて、大きなテーマを出し、そこに関連する価値について子どもたちが考えていくという形の道徳の授業も今後増えても良いのではないかと思います。そこに着目すれば、TOKを取り入れた道徳の授業というのは、十分成立するものなのではないでしょうか。
  
  

4 講演者プロフィール

  
荒木寿友氏(立命館大学教職大学院 教授

京都大学大学院教育学研究科博士課程終了。博士(教育学)。専門は道徳教育、教育方法、ワークショップ、カリキュラム開発。現在、立命館大学教職研究科准教授。NPO法人 EN Lab. 代表理事。国内外、大人子どもを問わず、さまざまなワークショップを展開する。
単著に『学校における対話とコミュニティの形成』(三省堂、2013年)、『ゼロから学べる道徳科授業づくり』(明治図書、2017年)、共著に『モラルの心理学』(北大路書房、2015年)、『考える道徳を創る「私たちの道徳」教材別ワークシート集』(明治図書、2015年)、『やさしく学ぶ道徳教育』(ミネルヴァ書房、2016年)、『戦後日本教育方法論史 下』(ミネルヴァ書房、2017年) 、編著に『教育の方法と技術』(ミネルヴァ書房、2018年)など。
  
  
(2018年6月現在)

  
  

5 編集後記

私自身が今まで受けてきた道徳教育は、まさに「読み物道徳」そのもので、講演の内容は非常に頷けるものでした。真に意義のある道徳の授業を行うことはなかなか難しいことではありますが、TOKの手法を取り入れることが一つの道標となるのではないかと思います。
  

(取材・編集:EDUPEDIA編集部 石川桃子)

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