ミリーのすてきなぼうし(光村図書2年国語)~ぼうしの謎

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どう授業を進めればいいのかわからない

「ミリーのすてきなぼうし」は光村図書国語では夏休み前あたりで授業をすることになり、読書教材として「読んで、『面白かったねー』で終わり」的な扱いにされがちな教材です。私も実際、いまひとつこの話の面白味が分からず、あまり熱心に授業をする気にはなれませんでした。妄想少女の「暴走するファンタジー」の何が面白いのか?この話のどこを、何を取り上げて授業を進めればいいのか・・・?

ミリーの謎

そもそも、ミリーはいったいどんなプロフィールを持っているのでしょうか。
「ミリーっていったい何歳なの?」
と発問すると、子供たちは「幼稚園児」「3歳ぐらい?」「散歩に行けるから小学生だよ」など、様々な答えを返してきます。たいていの物語文で子供たちに登場人物の年齢を聞くと、答が出鱈目になっていきます。低学年ほど出鱈目になりがちで、まとまりません。それは、自分たち自身が幼いので、見当がつきにくいし、文章から引き出したり、文意から推定したりすることが難しいからです(「理由付き~○○なので、●歳ぐらいだと思います」で発言させると暴走は止められます)。
空っぽの財布を持って帽子を買おうとすることを考えると幼稚園児程度の様な気もしますが、幼稚園児が散歩をするかなあ、財布を持っているかなあ・・・と、私も推定が難しかったです。

絵本を読みながら

「ミリーのすてきなぼうし」は、絵本になっています。

教科書に載っている挿絵よりも絵本の方がずっと絵が多いのでぜひ絵本の読み聞かせをしてから授業を始めることをお勧めします。絵本の絵を見ながら読んだ方が絶対に面白いです。私はプロジェクターで絵本を大写しにしながら授業を進めました。
最初に孔雀をイメージするシーン(想像の世界に飛び立つシーン)がとても印象的です。教科書にこの挿絵は載っていなかったのですが、私はこのシーンの絵を見て、なんだかこのお話が好きになりました。



1回読み聞かせただけなのに、ミリーの年齢について「小学生だよ」と、言い当てた子供がいます。光村図書国語教科書では、ミリーが帽子屋さんを散歩の途中で見つけたことになっていますが、絵本(原本)の方では「学校の帰り」となっているのです。「学校に財布を持って行ったらダメじゃない」「いや、これは外国の話みたいだから外国はいいのかも」「えー、そうなのー、外国なのー??」「外国なら円じゃなくてドルでしょ!」「絵本と教科書で何故変えているの?」とか、さらに混乱が続きます(笑)。

ミリーの財布の中身は何円だったのかという謎

このお話の中で、帽子屋さんの下りが占める割合がけっこう長いのです。教科書では半分近くが帽子屋さんの話になっています(絵本では、帽子屋さんの下りは数ページにまとめられ、ミリーが想像を繰り広げる場面にページを割いています)。一読して、なんでここに多くのページを割いているのか、私もわからないし、子供にも分かりにくいと思います。そこで、この混乱を整理するところから始めてみました。
● ミリーは羽の付いた帽子が欲しいのですが九万九千九百九十九円と言われてしまいます。2年生なので万の位を習っていないし、約10万円がどのくらいのかちなのかもわかっていません。それにしても高くないですか?
● ミリーのお財布の中身は九万九千九百九十九円に「ちょっと足りない」と地の文(会話以外の叙述)で記述しています。→→→ 「ちょっと足りないじゃあ、ミリーはいくら持っていたのでしょう?」と発問すると、子供たちは様々な(調子に乗って好き勝手な)発言をします。「1円!」から「九千九百九十八円」まで、好き勝手なことを言い出します。誤読じゃないかな(笑)。
● 地の文では帽子屋さん(店長さん)が財布をのぞいて「中は空っぽです」と記述しています。たいていの場合、地の文は会話文より正しいことを言っていると判断されるのだけれど、地の文が「(九万九千九百九十九円に)ちょっと足りない」「空っぽです」と相反する事を記述しています。どっちが本当なのかと言えば、後者という事になるのでしょう。つまり、ミリーの所持金は0円ということになります。
● それでも、0円が腑に落ちない子供もいるでしょう。地の文では、「ミリーはお財布の中身を全部手に取り店長さんに渡しました」とあります。子供にとってなんだかお金が入っているみたいな気になるのは無理もないかもしれません。絵本の方には、決定的証拠があります。ほら、ミリーが帽子屋さんに渡しているのは、透明なお金なのです。



● 「あー、絵本を見てみるとどうやら0円の様ですね。」と、一応子供たちは納得しました。子供の初発の感想の中にも「何で空っぽのお財布で帽子を買おうとしたんだろう」というのもあったので、それを取り上げて発問すると「ミリーは頭が悪いんじゃない?」と、歯に衣着せぬストレートな発言をする子供がいました。まずい、まずい。「頭が悪いという言い方は、ちょっとかわいそうだなと思うから、誰か他の言い方をしてくれない?」と、問いかけると「まだ小さいから」「まだよくわかっていない」「お財布の中身が0円って気が付いてなかったのでは」という優しい発言を得ることができました。「そうだねー、まだ1年生だったら、ままごと遊びや、お買い物ごっこをするのかもねー」と、取りあえずまとめて、次へ。

帽子屋さんの謎

では、帽子屋さんは何故、お金を持っていないミリーに帽子を売ってあげたのでしょうか。「空想の帽子の方がいいのに、0円だなんて、何で!」と書いている子供もいました。この辺りを子供がどう読んでいるのか、教師側もちょっと分からなくなってしまいます。ファンタジーとして、帽子屋さんが「本物の魔法の帽子」をミリーに渡したという読み方もできないでもありません。
冷静に読めば、帽子屋さんは「天井を見上げて」考えるそぶりをした後に、「あっ、あります」と大きな声で言う所で何かを思いついたことが分かります。幼いミリーがお金を持っていないことがわかって「やさしさ」で対応しようと努力していることが推測できます。うやうやしくミリーを大人のお客として扱い、「ごっこ遊び」で対応するコミカルさ(≒やさしさ)を子供たちがどれくらい読み取れているのかどうか。

お母さんの謎

ミリーが家に帰った時に、帽子が大きすぎて部屋に入れませんでした。ここは、ファンタジー。しかし、お母さんには帽子が見えません。ここは、現実。このお話の中には現実とファンタジーが入り組んでいます。お母さんはミリーの空想に寄り添って「まあ、素敵ね。ママもそんな帽子欲しいわ」と、言ってくれます。これまでの様子も併せて「お母さんも帽子屋さんと同じで、ミリーにつきあってあげているんだよ」と推測した子供が大半を占めました。

想像する力、創造する力

このようなファンタジーを題材にして授業するのはけっこう難しいです。子供たちは意見を聴き合っているうちに作者がどこまでをファンタジー、どこまでを現実として描いているのかが分からなくなってきます。子供たちにはじめに感想を書かせ、それに沿って発言を促しながらあまり子供の読みを否定しないように授業を進めました。
公園でミリーが空想した人々の頭の帽子には何が載っているのか。それらが「なぜ恐竜なのか?」「なぜ機関車なのか?」など、ミリー想像した理由を聞いてみるのも面白かったです。中には下図のオジサンが傘を反対に持っているのを見つけて、「うちのお父さんも傘を持ったらゴルフのスイングをするー!」と言っている子供もいて、思わず笑ってしまいました。



お父さんの頭の上のペンギンは、ミリーが想像したものなのか、お父さん自身が想像したものなのか分からないし、なぜペンギンなのかも分からなくて、分からないのが楽しいです。「お父さんは水族館で働いているからだよ」とか、想像し過ぎな発言も(笑)。
授業をしているうちに、私自身が「謎は多いが、まあいいか、楽しいか。」という心境になってきました。子供たちには、「ミリーの財布の中身が0円なのは、本当かも知れないけど、その他は謎が多いね。これはお話の世界だから、正しい答えがあるわけではないです。作者に聞いてみないと分からないし、作者自身も分かっていないかもしれません。」
授業はグタグタになってしまいましたが、ファンタジーと現実を行き来しながら、子供たちが想像の世界に浸ってくれればいいのかなと考えています。
最後に①自分の頭の上と、②クラスの友達の誰かの頭の上と、③学校の友達以外の誰かの頭の上にどんな帽子がのっかっているかを想像させました。「~さんの頭の上には~の帽子がのっかっているよ。なぜなら~さんは~だからです。」という形で書かせました。けっこう、傑作がありました。
「想像する力が創造を産み出す」というところまでは、なかなか2年生の子供には思い至らないようです。クラスで「作者のきたむらさんが伝えたかったことは何か」について考える機会も持ちましたが、「想像」というキーワードに至った子供は2割もいませんでした。強引に私がまとめたプリントがこれです。↓↓↓

ミリーのすてきなぼうし ~想像の力.docx

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