【教育に関わる仕事を探しているあなたへ】キャリア選択インタビュー(認定NPO法人カタリバ 本田詩織さん)

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目次

1 はじめに

この記事は、認定NPO法人カタリバで広報チームとして働いている本田詩織さんへの取材を記事化したものです。(取材は2020年11月実施、情報は取材時点のものです。)

この取材では、本田さんの幼少期からのキャリア形成や現在の仕事、これからキャリア選択をする方へのアドバイスについてお話しいただきました。「将来は教育に携わりたいけれど、どのような職業に就くか迷っている……」と悩んでいる方は、ぜひご一読ください。

2 学生時代の活動とキャリアへの考え方

幼少期

幼少期は引っ込み思案といわれることはまずなく、人の話をよく聞きなさいと言われてしまうくらい活発な子どもで、色々なことに興味を持つような性格でした。ピアノやそろばん、体操、地域の伝統芸能だった太鼓等、習い事も色々なことをさせてもらっていました。

高校時代

高校生の時は化学が好きだったので、研究者や先生になってずっと化学と結びついていられる職業もいいなと思っていました。当時、理系を志望していたのに、化学の授業についていけなくなり、先生に質問することもできずに結局文系に変えてしまった友達がいました。そのような周りの友達を見て、たとえ授業が難しくてもわかりやすい教材さえあれば、少しでも夢を諦めずに勉強に取り組めるのではないかと高校生ながらも考えていました。将来のことを高校の先生に相談する中で、教職を取ることができ、研究職にもつける、はたまた理科の教材の編集者の道も考えられる理学部に進むことを決めました。

大学時代

学部

大学時代は理学部化学科に進み、実験や研究をしていました。大学で勉強しながら、専門の授業を受け、研究者の方の話を聞くなかで、一つのことをコツコツと何十年も研究し続ける研究職よりも、社会に出て色々な人とコミュニケーションをとる仕事のほうが自分は楽しめると思うようになりました。

過ごし方

進路を考えていた大学3年生の夏に、就活のイベントで会った同じ大学の先輩を通じてTeach For Japanを知り、学生スタッフとして活動に参加することを決意しました。休日はほとんど、平日も空いている時間は活動をして、卒業までの1年半、教育困難家庭にいる子どもたちへの学習支援に取り組んでいました。

キャリア選択

大学では、塾に通わせてもらえるような経済力のある家庭に育った子や、高校時代に留学経験がある子など、色々な学生と出会う機会がありました。高校時代の私は、下に兄弟が3人いたこともあり塾に通うことができませんでした。それでも私は当たり前に学校に通うことができて、親も応援してくれて、通信教材で塾よりも安く学びながら楽しく勉強できていました。高校時代は経済格差という言葉は知りませんでしたが、社会には充実した教育へのアクセスができない人もいるということを、ずっと一人で考えていました。大学時代のTeach For Japanでの取り組みや学校生活を通して、高校の時に関心を持った理科という軸から、今の職業にも繋がる地域格差や経済格差というテーマに発展していったのだと思います。

大学卒業後

大学時代にTeach For Japanと出会い、自分のもやもやを解消できるNPOで働きたいと思うこともありました。しかしTeach For Japanを支えていた社会人の多くが自分の専門性を持つ大手の企業の方だったので、私も自分ならではの武器を身に着けたいという思いもあり、株式会社ベネッセコーポレーションに就職することを決めました。

3 社会人になってから

ベネッセ・リクルート時代

ベネッセでは進研ゼミの商品を紹介するダイレクトメールを作る部署に配属され、約3年間働いていました。広告を作る仕事を一から勉強して、自分たちの商品の情報に興味を持ってもらえるよう伝えるという技術を学ばせてもらいました。

働く中でより広告の領域に注力していきたいと考え、違う環境に身を置くことを決意して株式会社リクルートコミュニケーションズ(現:株式会社リクルート)に転職しました。そこでは広告プランナーとしてオープンキャンパスや入試情報をウェブや雑誌など各種メディアに掲載し発信することなどを大学に提案し、デザイナーやコピーライターに依頼して広告物を作るという仕事をしました。1年半リクルートで勤務したことで、自分の対応できる広告の領域がベネッセで行ったダイレクトメール作成から、Webやパンフレットへと少しずつ増えていきました。

カタリバのコーディネーター時代

2つの民間企業でやりがいを感じて働きながらも、民間企業の社員として教育現場に踏みこめる限界を感じていました。そんなときに、認定NPO法人カタリバでコーディネーターとして学校現場での教育プログラムづくりに携わる方と出会いました。それまでお会いしたことのあったコーディネーターと呼ばれる方々は、地域おこし協力隊のような形で個人で活動されているケースが多かったのですが、カタリバは、チームとして現場に入り活動しており、私はその点に魅力を感じました。そこでカタリバにエントリーすることを決めて、無事採用していただきました。

入職後は、福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校でのカタリバの活動に参画しました。この学校は、東日本大震災による原発事故によって、休校を余儀なくされた地域の5つの高校の特色を受け継ぎ2015年に開校した学校です。震災と原発事故という人類が経験したことのない災害によって、解決困難な様々な課題に直面した地だからこそできる、地域課題解決型プロジェクト学習「未来創造探究」を教育活動の一つの柱としており、私たちカタリバのコーディネーターも、このプロジェクト学習を充実させていくために、先生方と一緒に授業づくりや生徒のプロジェクトへの伴走、地域人材との接続などを担っています。私はここで2年半、活動に取り組みました。

コーディネーターのやりがい

ふたば未来学園でカタリバは、放課後に勉強やおしゃべりをするなど思い思いに過ごすことができる「双葉みらいラボ」という学校併設型の放課後フリースペースの運営もしており、時には思春期特有の人間関係や、親との関係などの相談に寄り添うこともありました。コーディネーターとして働く中で、子どもたちがそういった壁を乗り越えたり、プロジェクト学習に取り組む中で、ものの見方や考え方が変わっていったりするなどの変化を近くで見られることが一番のやりがいでした。

また「未来創造探究」というプロジェクト学習は、指導にあたる先生方にとっても初めて取り組む挑戦であり、ともに思考錯誤しながら授業づくりを進めていきました。月に1回、このプロジェクト学習を担当する先生たちが集まり、お互いに課題や気持ちを共有する場を運営していたのですが、「こういう場があったことで、プロジェクト学習の指導への不安を解消しつつ前向きに取り組めた」というお話を聞いた時にはとても嬉しく感じました。先生自身が自分を見つめ直し、成長を実感できているというお話を聞くことができて、コーディネーターという立場で微力ながらも一緒に活動できていることがありがたく、これもまたコーディネーターの醍醐味だなと実感しました。

現在の職業について

認定NPO法人カタリバで、この10月(2020年)から広報チームに配属されました。カタリバのコーポレートサイトのカタリバマガジンというカタリバの活動を紹介するサイトを担当しています。また、FacebookやTwitterでは、カタリバの活動や記事の最新情報に関する広報を行っています。

4 今後のキャリア

現在は大学時代に過ごした福岡でリモートワークをしながら活動しています。カタリバの広報チームでは、私の過去の経験を活かすとともに、もっと広報のスキルを磨きたいと考えています。私は現場が好きなので、子どもたちによりよい学びを届けようとされている先生たちとともに、探究的な学びや地域を開いた学びを創っていけるように、今住んでいる福岡での活動も探していこうと思っています。

5 これからキャリアを選択する学生に一言

大学生という肩書きは無敵です! 自分が持っている肩書きを生かして様々な所に足を運んだり挑戦したりしていくとよいと思います。自分の中で今の環境に違和感やモヤモヤを感じるところがあるなら、ぜひ外の環境に一歩踏み出てみてください。きっと新しい出会いが待っています!

また、自分の周りで悩みを相談できる存在や一緒にいると励みになる仲間と、お互いに助け合える関係を大切にしてほしいと思います。周りの人たちの存在があってこそ、色々なことに挑戦することができていると、私自身感じています。

6 プロフィール

本田詩織さん

1990年生まれ。 地方で育った経験から、学生時代より地域の魅力や課題を教育に繋げる取り組みに関心を持つ。民間企業2社を経て、2018年よりカタリバに参画。福島県立ふたば未来学園高等学校併設の「コラボスクール・双葉みらいラボ」において学校支援コーディネーターとしての勤務した後、2020年10月に福岡へ移住。現在は広報チームに所属し、カタリバマガジンの編集を担当する。

7 編集後記

初めての取材でしたが、私自身もキャリア選択についての考え方を深められる機会となりました。本田さんのように、周りの方とのご縁を大切にしながら、自分の意志を持ってキャリア選択をしていきたいと思います。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 田村奈央)

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