「モチモチの木」の授業の流れと全板書 ~豆太は勇気があるのかな

挿絵を中心にして板書

「モチモチの木」は斎藤隆介と滝平二郎の絵本作品の中で、光村図書の国語教科書に長い間、掲載され続けています。独特な挿絵からイメージが喚起され、子供たちの心に強く残る作品だと思います。教科書に使われている挿絵以外にも印象的な絵があるので、是非、絵本を見せながら朗読してあげてほしいです。

授業は滝平さんの挿絵を中心にして板書を進めました。ワークシートにも挿絵を印刷して、子供たちに書き込ませます。この形については、下記の記事をご参照ください
国語のノートを絵を中心にしてまとめさせる

豆太の境遇

時代背景はいまひとつはっきりしません。着物を着ていることなどから明治以前、「霜月」という暦を使っていることから江戸時代かと想像しています。平成も中頃に入った時点で、ほぼTVで時代劇を見かけることがなくなり、3年社会で「昔のくらし」を習っていても、子供たちには江戸時代~明治時代~戦前~戦後の区別がつきにくくなってしまっています。子供たちには「ざっくり昔」ぐらいにしか認識できないようです(聞いてみたら、「昭和はずいぶん昔」だそうです)。
豆太はじさまと二人きりでかなり奥深い山の中に住んでいます。また、父親が熊に頭をぶっさかれて亡くなっているという記述があります。凄い死に方ですね。子供たちには猟師という職業が理解できるでしょうか。私も山奥で狩りをして生きているという生活のイメージが今一つわきません。テレビや本で見て知っている程度でしょうか。今の子供たちは昔話に触れる機会があまりないので、多分、何のイメージもわかないと思います。

父の話が出ると、「では、母親は?」という疑問が必ず出てきてしまいます。母親がいないことを詮索すると「離婚したんじゃない?」など、デリケートな話題になってしまいます。クラスには複雑な家庭環境の子供がいます。ここはあまり掘り下げずに、「いないみたいですね」と流しておきましょう。

「一枚しかない布団」でいっしょに寝ていることや木の実から餅を作っておいしいと感じているというあたりの記述から、貧しいことは読み取れるでしょう。さらにじさまと二人きりの生活であることに思いをはせることができれば、豆太の暮らしがずいぶん心細いものであったことが理解できると思います。じさまの「かわいそうでかわいい」という心情に共感できれば、感情移入もしやすいかと思います。

電灯のない暗闇がどれだけ怖いかもわかりにくいと思います。トイレが外にあること、水洗トイレではないことなども令和となっては想像しにくいようです。古い家などで、夜にトイレに行くのが怖かった経験を聴いてみるのかもしれません。電気など通っていない生活であることを押さえるようにしましょう。

大好きなじさま

この環境(屋外のトイレ・電気もない)で5歳の豆太が臆病者扱いされるのは少しかわいそうに思えます。命がけで猟をするじさまや父親と比べられると自信もなくなりますね。5歳が1年生よりも小さい子供であることを確認しておいてあげましょう。

豆太をじさまが愛情深く育てている様子は随所にあらわれています。前半部分でじさまの優しいところがどのあたりで読み取れるかを子供たちに聴いてみましょう。豆太がしょんべんをしたいと「すぐに」目を覚ましてくれるし、「シィー」といって放尿を促してくれるし、餅を作ってくれます。
全文を繰り返し読むことによって、どれほど豆太にとってじさまが大切な存在なのかは子供たちに伝わってくると思います。

情景の美しさ

夜の怖さも含めて、山奥の晩秋の情景も感じ取れるといいですね。秀逸な挿絵からも自然の大きさを感じ取れます。眠る動物たち、モチモチの木がもたらす豊穣(≒餅の甘味)、寒い山道、満月、雪、神々。どの描写も印象深いです。

豆太を走らせたもの

臆病な豆太が必死に走っている様子を読み取らせました。
「子犬みたいに体を丸めて」「表戸を体でふっとばして」「ねまきのまんま」「はだしで」「半道もあるふもとの村まで」「霜が足にかみついた」「足からは血が出た」「なきなき走った」「いたくて」「寒くて」「こわかった」
と、必死な状況がたくさん描かれています。5歳児にとっての「半道」がどれくらい遠いのかも考えさせましょう。学校からどこまでの距離なのかも教えてあげるといいですね。

この物語を読むにあたっては肝の部分だと思います。
上記について、十分に話を出させた後で、「臆病な豆太がどうしてこんなに走れたんだろう」と問いかけてみるといいと思います。
これだけの必死さの原動力は、「大好きなじさまをしなせたくない」でしょう。多くの子供が感じ取っていました。また、「ひとりぼっちになるのが怖い」「歩いたら余計に怖い」という意見も出ました。

じさまの狂言?

「霜月二十日の夜」の話をしておいて、その直後に腹が痛くなっていることから、じさまのは豆太を一人で外に出させるための狂言ではなかったかという意見も(時々)出ます。けっこう鋭い読みですね。
ただ、これについては確証がないので、あまり深堀する必要はないと思います。下のリンクの記事には、これについて話し合った様子が書かれています。
モチモチの木7 じさまの腹痛は本当のことか?(シリウス)
私もそんな気がします。もしかしたら、医者様も共犯者かもしれません(笑)。作者はどう考えていたのでしょうね。

医者様も優しい

授業の中で記述の全てを取り上げている時間はないですが、医者様が優しいという意見を言う子供もいました。短い出番ながらも医者様をせかす豆太を落ち着かせるような対応には優しさがにじみ出ています。年寄りなのに豆太をおんぶして夜中に半道の上り坂を上ってくれたことも、考えてみれば凄いです。

元に戻ってしまう豆太

いつもは寝ぼけているような子供が危機的状況になると見違えるほどの底力を発揮するのは、古くはサイボーグ009の001(赤ちゃん)から、流川楓、現在の鬼滅の刃の禰豆子や善逸に通じるキャラクターですね。作者はわざわざ最後のシーン(じさまにトイレに付き合ってもらう)を挿入したのだと思います。山の神様のお祭りを見た豆太がすぐにそのまま肝すけになってしまったらあまりにも「めでたしめでたし」な話になってしまいますもんね。


ただただ「猛々しい」ことよりも「やさしい」ことを上位に置くのは、斎藤隆介さんの作品によく見られるモチーフです。弱者に対するやさしさにあふれる斎藤隆介の作品群を関連読書で子供たちに読ませてあげたいです。

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子供の時に読んだ「ベロだしちょんま」は怖すぎてやや私のトラウマになっていますが、良い意味でのショックであったように思います。

大人になった豆太は?

最後に少しだけ、「豆太はどんな大人になったのか」を想像させてみました。大きく分けると「きもすけ派」と「相変わらず臆病派」の2つの考えになります。素直に読めば「立派な猟師になった」でしょうが、臆病な(そして優しい)性格を引きずっているという考えも成り立ちそうです。どちらにしても、興味深い未来です。「やさしい医者になった」など、けっこう面白い意見も出てきます。ただ、あまり突飛なおふざけ意見が出ると大喜利大会になって話がそれてしまうので、「物語の世界を壊してしまわない範囲のことを発表してね」と釘を刺しておくのがいいと思います。

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