はじめに
ポーランド南部に位置する小さな村、オシフィエンチム。かつてドイツ語でアウシュヴィッツと呼ばれていたこの村に、27年間、歴史を伝え続ける日本人がいます。アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館公認ガイドの中谷剛さん(57歳)です。
年に400回以上、日本人見学者に向けてナチスドイツによるホロコーストの歴史を伝える中谷さんは、ドイツや日本の歴史教育をどのように見てきたのか。2024年5月21日、現地で中谷さんのガイドツアーに参加した後、お話を伺いました。
執筆者による博物館見学ルポもあわせてお読みください。
ホロコーストとは?
1933年から1945年にかけて行われた、ナチスドイツとその協力者による大量虐殺。約600万人のユダヤ人に加えて、政治犯、障がい者、同性愛者、ロマ(インドを起源とする少数民族)の人々も犠牲になった。当時、ドイツの占領下にあったポーランド南部に作られたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ナチスドイツにおける最大規模の強制収容所であり、100万人以上の人々が犠牲となった。
(出典:United States Holocaust Memorial Meseum『ホロコースト百科事典』)
なぜ日本人にホロコーストを伝えるのか
戦争・人権 教室の中で避けられてきた
日本の教育において、戦争に関する歴史は入学試験でもあまり扱われず、教室の中で避けられてきたテーマだと思っています。かつての自分自身に不足していた部分を伝えることで、日本人の歴史認識を補うことができればと思っています。もう一つは、人権という価値観。日本でも「人権週間」などと言葉では繰り返すけれど、本当の意味での人権を学ばなくてはならないと、ここに住んで感じていました。そのために、歴史を学ぶ必要がある。あれだけ文化を築き、経済を発展させたドイツに欠けていたことは、人権に対する価値観でした。だから、日本人に「なぜ人権を尊重しなければならないのか」ということを伝えようとしています。
私の同世代やそれより上の人たちの中には、こうした話をしてもピンとこない人もいます。でも、もしかしたら5日くらいして気づくこともあるかもしれない。そういった層に種を振りまくことも大切です。一方で、ここを訪れる若い人たちにはかなり人権感覚がある印象です。そのため、より一層確信を持ってもらうための説明を、と思っています。
今の時代、企業にも人権感覚が必要です。何を作るにも、原料は何を使っているのか、誰が作っているのか、誰に売っているのか。こういったことを意識しなければ、国際的なビジネスは成立しない。人権を軽視した結果、どんなことが起こったのかを伝えると、「世界がやっているから」ではなく、人権の重要性を本心で理解することができます。目の前にいる障害者の方、性的マイノリティーの方の権利をなぜ守らなくてはいけないのか。そういったことを身に染みて知ることができるのです。
私の知る限り、日本ではそういったことを学ぶ場所が非常に少ない。日本の教育において苦手なところだと思います。最近、日本の学校で講演をした際に、眠たくなっている生徒の背中を「起きろ」と叩いている先生がいたんです。人権を踏みにじるようなことを先生自身がやってしまっている。「こっちに来なさい。なんで眠いの?どうして昨日寝なかったの?」と話を聞いてから注意すればいいものを、と思います。
民主主義の危機 価値観の共有は不可欠
現在、世界に占める専制主義国家の人口は約7割と言われています。自国の政府を批判すれば警察がやってくるような、自由が制限された国がそれだけ存在し、私たちは30%の少数派なのです。もしかしたら将来、専制主義の国の方が経済が発展して、そちらの方が良さそうに見えてくることがあるかもしれません。みんながみんな意見を言い合って、物事が進まない状況に苛立ちを覚える人も出てくるでしょう。そのときにホロコーストのような歴史をもう一度考える価値はあると思います。
民主主義の道を選ぶのであれば、人権という価値観への理解なくしては欧米中心の民主主義体制の国々の間で信用されません。政治家だけでなく民衆レベルで根付いている必要があります。ドイツの国民は、国際社会の中で孤立していく流れの中で、ヒトラーを選んでしまった。同じようなことが起こる可能性が十分にあると思います。
自国の負の歴史と向き合う意義
加害国と被害国 和解の場所でもある
見学中、韓国人ガイドの方とすれ違い、中谷さんが握手をして言葉を交わす場面がありました。
先ほどのガイドさんと私があそこまで仲良くなるのにも実は時間がかかりました。最初は「なんでアウシュヴィッツのガイドなんかしているんだ。自国の歴史を伝えろよ」と言わんばかりの目をしていた。周りにいた韓国人見学者の方々もそうでした。自分の祖父母世代が無惨な形で殺されたり、日本語を強制されたりという歴史がある。だから、彼らが怒っても不思議ではありません。私たちの世代がやったわけではないから謝る必要はないけれども、「そうした恥ずかしいことが起きたことを知っていますよ」と言えるぐらいの日本人でありたいと私は思います。
ドイツ人が勇気を持ってアウシュヴィッツに来ることで、ユダヤ人にも理解を示す人が増えてきて、信頼を得ています。私はこの場所でそういったことを見てきたので、腹を割って話せば相手がちゃんと理解してくれることを知っています。ここは和解のための場所でもあるのです。
ドイツ人の姿から学ぶ 国としての信頼性
基本的に日本人に対してガイドをしていますが、アウシュヴィッツに来るドイツ人たちのこともずっと観察してきました。ドイツ人にはドイツ語ができるポーランド人ガイドが案内していますが、一番大変です。彼らはホロコーストの歴史をしっかり勉強してきているからです。私の知識では案内できませんし、通常は3時間程度の見学時間も、6時間から8時間に及びます。
ドイツでもホロコーストの教育を戦後すぐにできたわけではありません。市民の同意を得て教育のカリキュラムに入れ、今では外せないテーマになった。その結果、ドイツの国としての信頼性が高まり、指導者の声が世界中に響くようになっています。自国の負の歴史を隠して、周りの国のやっていることばかり批判するようでは信用されません。それは自国民を守っているようで、本当の国益を失っています。
隣国と信頼関係を築くには、ただその国の俳優さんが好きだとか文化的な部分だけでは難しい。まずは私たちが歴史に正面から向き合って、相手が心を開いてくれれば、日本の当時の大変さも含めて理解しようとしてくれるはず。私たちが、当時のドイツの追い込まれた状況を理解したうえで、ホロコーストの歴史を見ようとしているのと同じように、です。
学校教育でできること
知恵を絞り 語りかけて
日本人と話していて感じるのは、みんな政治や教育が変わるのを待っているということです。そうではなくて、まずは私たちが変わらなければならない。私たちが変わってはじめて、司法が変わり、政治が変わり、教育や教科書の内容も変わっていきます。
今の日本の教室で自国の負の歴史や人権を扱うことは本当に難しい。これまで何度も日本の学校で講演をしてきましたが、現代の人権問題につなげて話そうとすると「歴史の話だけをしてくれ」と言われたことがあります。先生一人ではどうにもできない雰囲気があると感じます。そのため、学校の先生方にがんばってほしいと言いたくはありません。こういうことを言うのは、私のような立場の人間にやらせればいいのです。でも、子どもたちのことを本当に思うのであれば、「先生、この前アウシュヴィッツに行ってきたんだけれどね」「こんな本を読んだんだよね」と、知恵を使ってしたたかにやってもらえればと思います。
プロフィール
中谷 剛(なかたに たけし)
1966年、兵庫県生まれ。1991年に単身でポーランドに移住し、1997年よりポーランド国立アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館の公認日本語ガイドを務める。通訳・翻訳家としても活躍。
現地でのガイドの依頼は下記のメールアドレスから。
nakatani@wp.pl
(2024年7月28日時点のものです。)
著書紹介
ホロコーストを次世代に伝える アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして(岩波書店, 2007年)
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編集後記
「日本から遠く離れたこの場所で、なぜガイドに?」という問いに、「特別、大きな使命感があるわけではない」と多くは語らなかった中谷さん。社会の一つの歯車として自分の役割を果たし、「僕が生きている間に、第三次世界大戦は起きなかったな」という自己満足で人生を終えられたらそれでいいとおっしゃっていたのが印象的でした。
昨今の国際情勢を見ていると、いち若者の自分にできることはどれだけあるのかと考えてしまいます。せめて自分の周りの人とは、よい信頼関係を築きたい。この1年、ドイツで留学生活を送るなかで、そう思いながらさまざまな国から来た友人らと接してきました。今回の取材を通して、この感覚を大事にしつつ、中谷さんのように「自分の役割」 を見つけ、まっとうしたいと思いました。(編集・文責:EDUPEDIA編集部 永井)
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