ちいちゃんのかげおくり ~継承が難しくなってきている戦争の記憶・記録

「戦争を知らない子供たち」の、子供たち

3年生を久しぶり(15年?)に担当し、「ちいちゃんのかげおくり」の授業をすることになりました(この原稿は2021年に書いたものです)。戦争を描いたこの物語を取り扱うのはたいへんむずかしいです。15年前もそう感じたし、それより前に3年生を担当するたびに感じていたのですが、太平洋戦争開戦から80年目を迎える今年(2021年)、本当に戦争は遠い昔の出来事になってしまっているのだなあと改めて感じました。ある子供が「戦争って、ぼくたちにとっては昔話だよ」と、言っていました。確かに。今の子供たちにとっての太平洋戦争は、小学生だった私にとっての西南戦争ぐらいの昔です。
現役教員でも40代より後の世代は戦後生まれ団塊世代のフォークシンガー杉田二郎さんの「戦争を知らない子供たち」を知らないです。戦争体験を語れる(戦争の記憶がある)教員は、すでに2000年ごろにすっかり職員室にいなくなっています。令和の小学生は、「戦争を知らない子供たちの子供たちの子供たち」になってゆきます。
授業を始めるにあたって「どこと戦争をしたのか」「いつぐらいのことか」「勝ったのか負けたのか」「原爆を落とされたことは知っている?」と、いくつかの質問を投げかけたものの、本当にみんなポカンとした顔をして、とんちんかんな答えばかり。誰も答えることができませんでした。15年前には何人かが答えられたと思うのですが・・・。新聞をとっている家は減っているし、茶の間でTV画面を共有していることも少ないようだし(家族はそれぞれのデバイスで動画を見ている)。TVを見たとてニュースは見ていないようだし、ニュースを見たとて戦争関連のニュース自体が減っているような気がします。
授業を始める前に、親や祖父母に戦争に関する情報をインタビューさせようかとも考えましたが、15年前でさえなかなか集まりませんでした。15年前でも祖父母世代が戦争経験を直接語れる世代ではなくなってきているようでした。
下記↓リンク先は、戦争の伝承が難しくなったことについて、詳しく述べています。

教育現場で戦争を伝える難しさ ~太平洋戦争アーカイブ | EDUPEDIA

また、下記↓リンク先は「ちいちゃんのかげおくり」を取り上げて戦争体験の伝承の風化について考察された論文です。戦争当時と現代のギャップが大きくなりすぎて、的外れな考えを持ってしまう子供の様子も記されています。ぜひご参照下さい。

あまんきみこの戦争児童文学戦争体験の表象とその問題(岡山大学教育学研究科 教授 木村 功)

悲惨さを薄めた描写

作者のあまんきみこさんは、あまり直接的な表現を使わずに戦争の様子を描いておられます。強烈に悲惨なシーンが出てくるわけではありません。「炎が渦を巻いて」とか書かれていますが、それに人間がのみこまれることの悲惨さについては読者の想像に委ねられています。あまんさんは敢えてそうされているのだと思います。空襲の場面でちいちゃんは助けられますが、お母さんとお兄ちゃんが、その後、どうなったのかも最後の場面での暗示から想像するほかありません。あまんさんのフワッとした描写や挿絵のかわいらしさが、この物語で起こっていることの悲惨さを薄めているように感じます。
ちいちゃん自身が死んでしまったことについても、マイルドな描写のため、子供たちは「家族に会えてよかったね、ちいちゃん」といった類の感想を抱いてしまうことがけっこうあります。お花畑(多分、天国)で家族に会えるシーンが挟まれることによって、分かっていながらも楽しそうと思えるようです。「小さな女の子の命が空に消えました」と記述されているものの、ちいちゃんの死因もはっきりしません。飢えと衰弱なのでしょうか、空襲から亡くなるまで、何日たったのかも明記されてはいません。飢えと衰弱で命を落としてしまうという状況は私自身も想像しにくいです。

さらに教科書の最後のイラストには、ちいちゃんが天国で「きらきらと笑いながら」家族に駆け寄るシーンが採用されています。絵本の「ちいちゃんのかげおくり」には、その後にちいちゃんが一人ぼっちで焼け跡で倒れている(亡骸になっている)イラスト(現実)が掲載されています(是非、お確かめください)。教科書会社は意図的に、現実と記述(天国のシーン・イラスト)の違いを読み取らせるために、あえて現実(倒れているシーン)をはずしたのでしょうか。何故なのか、分かりません。
小学生がネットゲームでバカスカ人を撃ち殺している時代です。最近は1年生でも少なくはない割合で、仮想区間での戦闘に参加している子供がいます。人の死に対する畏れの感情はかなり薄くなってしまっているのではかなあと思ってしまいます。豊かで平和な時代を生きてきた現場の教師や子供。私自身を含めてこの社会全体が戦争に関する想像力を失ってきているのだろうと思います。

ラストシーンを書き変えてしまった

はじめて「ちいちゃんのかげおくり」の授業をした若手教員だった頃(平成のはじめです)でも、すでに戦争の状況が伝わりにくい感じがありました。それで、全文をデジタルテキストにし、一場面ずつ配布し、最後のシーンは書き換えて配るという奇手に出ました。天国に行くシーンにせずに、一人ぼっちで焼け跡の町で死んでしまうシーンにしました。自分なりに伝わりにくい戦争の話をリアルに伝えようと、「現実に起こっていたことはこうなんだ」と子供たちに言い張りたかったのだと思います。3人ぐらいの子供が私の書き変えたシーンを読んですぐに泣いていました。
先輩の教師には、「あまんさんに対する冒涜だ!」と、カンカンになって𠮟られました。あくまで本文から子供たちが自ら考えを巡らせる授業でないといけないということだったのでしょう・・・。
あれから年月が随分流れましたが、では、どうすれば子供たちが、この物語を深く読み込めるのかということについては、正直なところ分からないままです。

先行して読書・火垂るの墓の鑑賞

戦争に関する知識がほとんどない(なくなってしまった令和の)小学生にあの戦争がどういうものであったかを伝えるには、とても難しいテーマです。教え込むことばかりがメインになるのは避けたいので、この物語の授業をするまでに、複数の戦争関連の図書を読ませるのがよいかと思います。教室に3年生でも理解できる戦争関連の本を置いておき、読むように薦めておけば、いくらかの理解は進むでしょう。
インターネットで空襲場面の動画や、焼夷弾や干飯の写真も見せてみました。それらを見てもポカンとしている子供は少なくはないです。爆撃をかっこいいと感じている様子もありましたし、焼夷弾のくだりでは「爆発するの」とか「爆弾との違いは」などと、妙に興味を持つ子供もいました。干飯を見て思わず「おいしそう」「食べてみたい」と言っている子供もいました。
爆撃機のはるか下にいる市井の人々(非戦闘員)に思いをはせるのは、小学3年生には難しいかもしれません。そうしたズレ(想像のしにくさ)は、丁寧に修正しながら進めていくほかはないのでしょう。見せないよりは見せたほうがいいと思います。
また、「火垂るの墓」のビデオを見せておくのもよいと思います。「火垂るの墓」も飢えと疲労によって子供が亡くなってしまう話です。「火垂るの墓」の節子はちいちゃんと同じぐらいの年齢ですし、食べるものがなく、体が弱って亡くなってしまうというストーリーもよく似ています。

「火垂るの墓」も含めて、子供が戦争について考えるきっかけになりそうなビデオをいくつか挙げてみましたので、下記リンク先をご参照ください。

戦争関連のビデオ ~子供が「戦争とは何なのか」を考えるきっかけに

そうした準備段階をへてやっと、子供たちが理解できずにポカンとした状態にならず、的外れな方向に行ってしまわないように、なんとか授業を運べるというのが現状ではないでしょうか。

最初のシーンで「全員死亡」を確認する

ちいちゃんの家族が先祖の墓参りに行く最初の場面はとても牧歌的で、みんなでかげおくりをする様子を読んでいるとあたたかい家族のつながりを感じさせられます。しかし、「先祖の墓参り」「体の弱いお父さんまで戦争に行かなくてはならないなんて」などの記述から、すでに抜き差しならない状況になっていることが読み取れます。「今日が最後かも」という父母の心情を考えてみれば、この場面も随分悲しい気持ちにさせられます。この後に物語がどんどん暗転していくことを考えれば、なおさらつらいです。
子供はおそらくちいちゃん目線でこの最初の場面を読んでいるので、なんだか楽しいなあと思いながら読んでいると思います。父母目線で読むことができる子供は少ないでしょう。
そこで、この家族がお墓参りをした後にどのような運命をたどったかを最初の場面の学習の際に確認をしてみました。「ご先祖様」をお参りしたというくだりで、結局、家族はどうなったのかを子供たちに聞いてみました。そうすると、ご先祖様は家族を守りきれず、家族全員が死亡するという悲しい結果になったことが浮かび上がってきます。そして、お墓参り~かげおくりは、家族にとっての最後の楽しい思い出になってしまいました。それがこの物語における厳しい現実であると、子供に認識されるように授業を進めました。

お母さんとお兄さんは死んでしまったのか

ちいちゃん以外の家族が死んでしまったのかどうかは物語の中には明記されていません。一人でかげおくりをしたちいちゃんが天国らしき場所で家族に会えたシーンを考えると、全員が死んでしまったのだろうなということになります。そして、ちいちゃん以外の家族がどのような最期であったかも書かれていません。
強引な誘導になりますが、「(最後に天国でお兄ちゃん・お母さん・お父さんと会えるけど)お母さんとお兄ちゃんは死んでしまったのかな」という発問の後に、「ちいちゃんがはぐれてしまったことが分かった時、お母さんはどうしたのかな」と、たたみかけて誘導すると、子供たちから「探した」「探し回った」「ちいちゃんの名前を呼び続けた」といった考えが出てきます。それで、「逃げ遅れて炎の渦に飲み込まれた」などと考える子供が出てきます。親(ちいちゃんの母)としては、小さなわが子がはぐれたら探すのではないかと思いますし、それが母と兄を逃げ遅らせたのではないかと、私は想像しています(大人だから)。だからと言って、教師側が「探し回っているうちに炎に飲み込まれた」という説を有力視して誘導するかのようにふるまうのはよくない・・・でしょう。だから、子供からそうした考えが出ても、「そうかー、そんなことがあったのかもしれないねえ・・・。」ぐらいにとどめておいた方がいいと思います。
実際は、どうだったのでしょう。ちいちゃんを探しに引き返せば、自分もお兄ちゃんも大火災に巻き込まれる可能性がある中、母親の胸中を察すると、とても胸が痛みます。でも、それは自分が親になってからの感覚で・・・
NHKの「戦争証言アーカイブス」には空襲の状況を語った証言が格納されています。火に囲まれてしまったら逃げ延びることが生半可ではないことがよくわかります。炎の中、倒れた母親を助けられずに自分だけ逃げたという証言もあります。今年(現在2021年です)お亡くなりになった半藤一利さんの空襲体験談も視聴できます。

NHKの「戦争証言アーカイブス」(空襲)

教育現場でも「戦争体験の伝承」というのはたいへん重いテーマです。これについてはまた別の記事でもう少し考えてみたいと思っています。

授業を終えて

最初に「家族全員死亡」という重い現実を確認したことがよかったのかどうかは分からないですが、子供たちはそれなりに真剣に考えてくれたとは思います。しかし、「ちいちゃんのかげおくり」を通して子供たちに戦争について考えてもらいたいという私の考えとはうらはらに、子供たちの反応はどこかずれていたり、考えが深まらなかったりと、思うようには授業を進められませんでした。
「戦火の中ちいちゃんを避難させてくれたおじさん」や「はす向かいのおばさん」がけっこうあっさりとちいちゃんを置き去りにすることの謎を解くのも難しいです。クラスの中でもかなり勘のいい子供が「火垂の墓」と結び付けて「自分が生き残ることで精いっぱいの時代だった」と、何とか想像が及ぶという状況です。その発言を拾って広げるような方法になってしまい、どうしても説明的になってしまいます。
「ちいちゃんのかげおくり」はあくまで国語科の教材であって、ここで戦争について深く学ぶことが目標ではないです。限られた時数の中での授業であり、もどかしさは感じるものの、子供たちがこの物語の描写を読み取りながら、ちいちゃんの心情に寄り添うことができたのではないかと思います。各場面の挿絵を中心にして子供が読み取って書き込んだワークシートを添付しておきます。
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かげおくりをするちいちゃんと家族の幸せそうな場面。しかし、これが家族での最後の楽しい記憶となる。

暗転してゆく戦況。太平洋戦争の後半がなぜ悲惨であるのかは、小学生、ましては小学3年生では想像しにくいでしょう。

「炎の渦」ってどんな感じなのでしょうね。子供たちの中から、「こんな時、お父さんがいてくれたら・・・」という考えも出てきました。本当に、そうですね。大人目線で読むと、小さい子供2人を抱えて逃げるお母さんがかわいそうです。

ちいちゃんは家族と会いたいがために一人で留まる。そんな小さい子供が保護されないって、本当に残酷です。

まさに、死力を尽くして立ち上がり、かげおくりをするちいちゃん。飢えと衰弱がちいちゃんを襲っているのは、子供たちに理解できるのだろうか。

これで家族は全滅したことになるのだけれど、家族に会えてうれしそうなちいちゃんが描かれているので、大人である私が読んでも、「ちいちゃん、よかったね」と思ってしまうことがあります。「幸福な王子」みたいな怖さが伝わってこないのがこの物語の解釈の難しい所。私は、絵本のちいちゃんが焼け跡で倒れているシーンも見せながらこの場面の授業を進めました。

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