笑顔、笑顔
教室でTさんが音楽会の合奏曲「異邦人」をオルガンで弾き始め、その周りで数人の子供も一緒にピアニカヤリコーダーを演奏していました。10月末のある日の休み時間。音楽会の本番の10日前ぐらいの自主練習の風景。多分その日は雨が降っていて、教室にはほとんどの子供たちがいました。
みんな暇だったのもあるのだけれど、最初の4・5人につられて、次々と周りの子供たちも楽器を持ってオルガンの周りに集まってきました。あるいは自分の座席で、演奏を始めました。まるで引力に引き寄せられるかのようです。ちょっとおとなしいめで集団とは距離を置くYさんもロッカーに置いてあったタンバリンを取り出して、いそいそと演奏の輪の中に加わっていきます。馳せ参じるのが遅れた子供たちが
「ちょっと待ってよ!もう一回最初からやってよ!!」
と抗議したので一旦途中で終わり、もう一度。Tさんの
「じゃあ、みんな、行くよーーー!せーのっ!」
で演奏が再開しました。
担任である私は宿題のチェックをしながら黙ってその様子を見ていただけです。
演奏は雑と言えば雑なのですが、その場にいた全員が加わり、大きなうねりを上げ始め、見事にフィニッシュしました。
みんな、笑顔、笑顔。
私、「なな、なんだこれは?!」
自分の中で最高に盛り上がった音楽会
上記は教師を始めて20年が過ぎたあたりの音楽会練習の一場面です。といっても数人の自主練習にみんなが加わった形の、「ただの自然発生的な練習」の一場面です。指揮者や指導者がいるわけでもないし、私がやれと言ったわけでもない。普段の教室でのクラス練習がこんなに楽しそうなのには驚きました。
次の年に受け持ったクラスの子供たちは音楽会本番が素晴らしい演奏でした。この2つのクラスのパフォーマンスは甲乙つけがたく、2つとも自分が関わった中で最も盛り上がった音楽会です。
普段は割とすまして素を出さない面々だったのに、すごい高揚感です。高め合って、充実して、満足げに微笑み合う様子は「本来の子供らしい姿」なのだと思いました。子供って嬉しい時は、本当にうれしそうな顔をします。
年度の真ん中で、クラスの中に何かが芽生えていると実感できるシーンでした。
音が苦?
音楽について語られる時、「音が楽しいから音楽」「音を楽しむのが音楽」などと表現されることがあります。楽しみ方は人それぞれです。合唱が好き、カラオケが好き、楽器が好き、ロックが好き・・・と、いろいろです。
私は練習嫌いですし、音楽的な才能もありません。音楽の授業を担当するのはできるだけ避けて、音楽専科のいる学年を選んできました。指揮をするのも下手で子供に申し訳ないので、なるべく避けて他の教員にお願いしてきました。
私の様に、音楽が苦手な子供も中にはけっこういます。音楽会でリコーダーや鍵盤ハーモニカに集まってくる子供たちの多くは、音楽が苦手な層です。
音楽が苦手な子供に対してしっかりと支援をせずに毎年々々「はい、時期が来たから音楽会の練習です。頑張ってください。」と宣告しても、「ああそうですね、じゃあ、音を楽しみます!!」とはなりません。音楽会へと向かう時期には次のような事情があり、音楽が苦手な子供が「音が苦」になってしまいがちです。
- 難しくて目立つ楽器を担当している子供をなんとかしなければならないため、リコーダーや鍵盤ハーモニカをしている子供にあまり時間を割けない。それで子供がいじけがち。
- リコーダーや鍵盤ハーモニカをしている子供は「その他大勢」な感じになり、士気が低い。仲間からも見下されがち。
- リコーダーや鍵盤ハーモニカをしている子供は音楽が苦手な面々が集まりがちなので、士気が低い。そのため指導が難しい。
- 音楽が苦手な子供は音楽会のように何度も練習をさせられる事を嫌がる。
- そのため、さらに練習を嫌がって叱られがち。
- 悪循環に陥って、さらに「音が苦」の方向へ。
これらはけっこう見かける、とても残念な風景です。
どの教科にも支援は必要ですが、音楽は「基本的に楽しい筈」の教科なので、楽しめる方向に持って行きたいところです。私は「音楽は苦手」でも「音楽を聴くのは大好き」です。けっこうマニアックな音楽ファンです。そんな「平凡な音楽ファン」まで潰すような結果にならないように、配慮が必要だと思います。
音が楽しい?
さてここで問題です。では、なぜ担任が音楽が苦手なのに、上記のように「異邦人」を演奏する子供たちは盛り上がっていたのでしょうか。異邦人を聴きながら考えてください(笑)。名曲だからという答えもありかと思いますが、それではないです。(※私は特に異邦人が好きなわけではないです)
答えは単純です。私は「音楽は苦手」だけれど「音楽は好きで楽しい」ので、一生懸命、音楽が苦手な子供たちを支援するからです。「子供たちにも、音楽が好きになってほしい、「音が楽しい」と思えるようになってほしい」いう気持ちを持って指導しているからです。それに、子供たちの自主性が加わりました。教師を介さず、自分たちだけで演奏をやってみたのも良かったのだと思います。下手な私が指図をするよりずっと良かったわけです。
苦手な私にできることは限られています。リコーダーか鍵盤ハーモニカの指導ぐらいです。
だからこそ、そこを頑張るのです。最初に子供たちには、
「しんどいこと、嫌だと思うこともあるかもしれません。でも、出来るようになったら絶対に絶対に楽しいから。先生ができるようになるまで付き合うから、1日1歩でも前進しましょう。」
と、言っておきます。指導のポイントは以下の通り。
- とにかく、練習させる。隙間の時間を見つけて、1分でも。
- 個々の子供に寄り添って、それぞれのレベルで反復練習をさせる。
- 少しでもできるようになったら、見逃さず、褒める。励ます。
- 基本的には否定ない。
- 投げやりになって態度が悪い時は叱る。
私にできることはこの程度です。でも、これら↑↑↑は意外と、「シンプルに大切で有効なポイント」です。
反復練習の具体的な仕方に関しては、下のリンクをお読みください。
リコーダー・鍵盤ハーモニカが苦手な子供への指導 | EDUPEDIA
良くなってきた子供には合格を出してあげて、シールをあげるなどして合同練習への参加を許可します。できる子供を早く育てて手放すことによって、できていない子供への支援を手厚くしてあげられます。
できる子供を優先する ~学力保障のために | EDUPEDIA
シールはリコーダーや鍵盤ハーモニカに貼ってき、シールが貼られていない子供の担任には、休み時間や放課後に少し残して練習してもらいます(大人数の時には協力をお願いしないと全員合格になりません)。担任にも「基本的には否定しない」ように伝えておきます。
リコーダーや鍵盤ハーモニカの合格者が7割を超え始めると、全体の音が変わってきます。上手くなってくるまではピッチが合っていなかったり音が外れたりして、人数が多いリコーダーや鍵盤ハーモニカが「ノイズ」になってしまっています。全体に不全感が漂っています。
それが、ピッチが揃い始め音が外れないようになると、塊として音が聞こえてくるようになるのです。そうなると、合奏全体の音が整ってきます。たいてい音楽専科が(専科がいるときは)、「おおっ、音が変わってきたね」と言ってくれます。
苦手な私が苦手な子供を見放さずに粘り強く接している姿は、子供たち及び教師団に対して「団結しよう、支え合おう、そして楽しもう」のメッセージになります。仲間の成長を認め、素直に喜ぶことが、全体にプラス志向を生み出します。
学力保障 ~学校の荒れを防ぐための最優先事項 | EDUPEDIA
大した指導力はなくても、指導者としての資質はなくても、子供たちが上記のように盛り上がり、「高め合って、充実して、満足げに微笑み合う」のであれば、お得な指導です。この記事には教師経験20年あたりでの「最高に盛り上がった音楽会」について書きましたが、その後も上々の盛り上がりを見せています。色々な事情があって困難な年度(コロナ等々)もありつつも、基本的には楽しい音楽会ができています。
ある年の音楽会、全体練習が終わった後に子供が、
「先生、楽し~~~~~い!!」
と痺れているような感じで気持ちを伝えに来てくれたこともあります。
音楽は、楽しくなくっちゃ。
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