妨害児の指導(岡篤先生)

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目次

1 はじめに

本記事は、岡篤先生のメルマガ「高学年の学級経営~70号、72、73、75号 」から引用・加筆させていただいたものです。授業を妨害する「妨害児」が妨害しないようにするための先生の取り組みを紹介します。
岡篤先生のメルマガはこちらを参照ください。→http://archive.mag2.com/0001346435/index.htm

2 実践内容

■意図的に騒ぎ、妨害する子ども

授業中は大声で騒ぎ、注意をするといわゆるキレた態度になる。集団遊びをしようとすると、誘っても「しょうもない」などといって入らないくせに、雰囲気をこわすようなことを繰り返す、といった子がいたときはどうしたらよいでしょう。こういう子は今までさんざん厳しく叱られてきているので、多少のことで反省することはありません。しかし、このままでは落ち着いて授業はできず、不平不満を持った子たちのストレスも高まっていきます。いわゆる「妨害児」といってもいいような子どもにどのような対応をするのかも大切な危機管理と私は考えています。

■なぜ妨害するのか

事情は、子どもによっていろいろです。子どもを理解することも重要です。原因が家庭にあると思われる場も多いでしょう。しかし、原因が子育てにあろうとなかろうと、クラスでの行為を何とかしないと担任としては解決になりません。なぜ妨害をするのかを考えてみましょう。上の子の場合、クラスで遊ぼうとすると入らないくせに、邪魔はしてくるというところがポイントです。つまり、心のどこかでは「いっしょにやりたい。」いう思いがあると考えられます。ただし、ストレートに「本当は入りたいんだろ。」いっても「誰もそんなこと思ってない。」と返ってくるだけです。もしかしたら本当はいっしょにやりたいのに素直に入れないということが自分でも、理解できていないのかもしれません。

■気分のムラもある

いわゆる「むかつく」というときもあるはずです。そんなときは、気分がおさまるまでは何をしても仕方ありません。親切心で声をかけても、関われば関わるほど火に油注ぐという場合もあります。こういったときは、冷却期間(「クールダウン」というそうですね。)をとるしか仕方がないかもしれません。では次に、こういう子が集団の中に入れるようにするにはどうしたらよいかを考えてみましょう。

■虐待の傷の回復には同じ年数以上かかる

これはある養護施設の理事長さんにうかがったことです。虐待やネグレクトによって受けた傷が回復するには、それを受けた期間と同じ年数あるいは倍かかるという原則があるそうです。5年うければ、5年あるいは10年かかるということです。ということは、荒れた子どもの原因が虐待やネグレクトもあった場合、非常に長いスパンでとらえる必要があるわけです。とはいえ、担任の立場を考えると、そうもいっていられません。今のクラスを何とかしたい、今の混乱を何とか治めたいと考えるのは当然です。

■子どもを変えるのは半年かかる

まず、授業妨害をする子を変えようと思ったら半年かかる、と腹をくくることが必要です。もしかしたら、1週間で変わるかもしれませんし、1ヶ月で十分かもしれません。しかし、早く変わったということは、もしかしたら表面的な変化だけだったのかもしれません。ということは、またすぐにもどってしまうということです。「半年かかる」と覚悟を決めれば、少しくらいの変化、あるいは変化のなさにも動じることがなくなってきます。なんといっても、根本的な部分まで変えるには小学校の6年でも足りないかもしれないという取り組みです

■「意味分からんし」の意味

私が以前、授業中の妨害が激しい子どもの担任をしたときには、ゲームから取り組みを始めました。いくら注意しても、ほめても、それだけでは全く変わる様子が見えず、目先の取り組みでは無理だと割り切って始めたことです。授業中、何かと「意味分からんし」などと妨害を繰り返すのですが、この「意味分からんし」には、3種類あるということが分かりました。1つ目は、口癖になっていて、分かってるかどうかは関係なく、何かというとそういってしまうパターンです。2つ目は、気分のムラが激しい子で、朝からいやなことがあったりすると、授業どころではなく荒れて周りを引きずり回すときです。3つ目は、本当に学習内容の「意味」が「分からん」ときです。態度や言い方が悪いため、授業中に「意味分からんし」と言われるとつい、こちらもかちんときてしまいます。しかし、その3分の1は、言葉を訳せば
「すみません、今の授業が分かりません。教えて下さい。」
といっているわけです。では、丁寧に教えればよいかというとそれだけではうまくいかないことも多いのです。

■まずは、ゲームに参加することを目指す

例えば、「言葉の意味が分からない。」という程度なら、教えればすむでしょう。しかし、グループで話し合うというような場合は、そう簡単にはいきません。話し合いに参加することもせずに(あるいはできずに)、勝手なことをしたり、邪魔をしたりします。これは、ゲームの場面でも同じでした。それにはっきりと気づいたのは、クラス全員が輪になってボールを回すゲームです。子ども達は、「爆弾ゲーム」などといっていました。回している間に音楽を流し、とまったときに持っていた子が負けということから、爆弾が連想されるからこの名前で呼ばれています。この爆弾ゲームをしているときに、授業中騒いで妨害をする子も、一応その輪には入るのですが、奇声をあげてボールを人に投げつけたり、自分一人で抱え込んで馬鹿笑いを繰り返します。一度や二度なら許せますが、毎度しつこくやられては周りも、耐えきれません。やることについては分からないことがないはずのこの単純なゲームさえ、普通に参加することができないのです。
これができないのでは、学習での話し合いに加わることができるはずがないと判断しました。そこで、まずは、このゲームをふつうに楽しく活動できるように指導しようと腹をくくりました。

■まずは、自分のやっていることに気づかせる

輪になってボールを回すという単純なゲームで、人の顔面にボールを投げつけたり、一人でボールを抱え込んでしまいます。周りがうんざりしていることを本人は分かっていません。人の気持ちを考えたり、自分を客観的に見ることができないのです。「やりたいからボールを投げつける」「腹が立つから殴る」といった直情的な行為を繰り返します。授業中、思い通りにいかない、おもしろくない、と思えば騒ぎ立てて妨害するという展開になるわけです。まずは、自分のやっていることに気づかせることを目指しました。始める前に、「このゲームは、みんなで一つのことを気持ち良くやる練習でもあります。自分勝手に騒いで、ボールを投げたり、抱え込んだりしないことが今日の目標です。」といいます。このときは、まだそれほど興奮していないので、例の子(以降、「太郎」ということにします。)も「おう、おれのことか。」とにやにや笑って聞いています。

■それでもやっぱりやってしまう

それでも、いざゲームが始まると同じことをくりかえしてしまいます。注意をすると、ふてくされたり、大騒ぎをして妨害に走るといったことを繰り返します。
ただ、こちらもこのゲームを手立てとして太郎を変えようと覚悟をしたわけです。多少、気は長くなっています。それまでの私なら、「この太郎がいるクラスでは、ゲームはやめよう。」とあっさりあきらめてしまうところでした。注意をくり返しながら、1,2週間に1回程度の割合で、ゲームの重ねていきました。慣れてきたこともあるのか、少しずつとはいえ、態度が落ち着いていくのが感じられました。なんといっても、ねらいの中心がこの太郎を変えることにおいているわけです。普段なら、「やっぱり、自分勝手なことばかり!」となるような態度にも、「今日は、いつもより、興奮して騒ぐ度合いがましだったな」と、客観的にとらえることができました。

■立場が変われば分かる

一番、変化を感じたのは、「ステレオ」というゲームをしているときでした。一人が前に立ちます。残りの子どもを半分に分け、同時に別々の言葉をいい、それを前に立った子があてるというものです。例えば、「あか」と「たか」なら、母音が同じなので、同時に言われると意外と分からなくて楽しめます。ここでのポイントは、声をそろえるということです。ここで、ふざけてわざと先に「あか」といってしまう子がいれば、それでゲームは終わりです。太郎は、当然この妨害を大喜びで繰り返しました。周りがいやな顔をしても、全く気にならないようです。太郎が前に立つ番がきました。太郎といつもいっしょになって妨害していた子がやはり、先に答えをいってしまいました。にこにこしながら前に立っていた太郎は、顔色を変えて「おい、じゃますんなよ!」と怒鳴りました。そこから先は、ふてくされてゲームに参加しなくなってしまいました。しかし、妨害される側の気持ちを経験したことは無駄にはならなかったようです。少なくとも、爆弾ゲームと、ステレオのときには、わざと邪魔をして喜ぶ姿は大幅に減るようになりました。

■ゲームに参加することから協力することへ

それまでも、クラスでゲームはしていました。しかし、あくまでも楽しい時間を過ごす、といったことが主なねらいでした。というより、ねらいというほど明確な意識は無く、何となく、「みんなで遊ぶとストレス発散になったり、仲良くなったりするかな」という程度のものでした。このクラスでゲームを積極的に取り入れたのは、あくまで太郎が授業に入れるようになることがねらいです。爆弾ゲームやステレオでみんなと同じように参加できるようになったことを大きな進歩でしたが、そこで終わるわけにはいきません。そこで次は、単に参加できるかどうかでなく、協力が必要なゲームを取り組むことにしました。

■グループで行うゲームへ

「二者択一」は、例えば「社長と副社長、どちらを選ぶか」といったことをいくつか書いた用紙を配り、まずは自分で回答します。それをグループ内で発表し、代表が結果と感想を全体の場で言うというものです。ここでのポイントは、以下の3点です。

  • グループで活動する
  • 発表する内容は、ニ者択一で間違いや難しい物は無い
  • 全員が発言する必要がある

まだ、太郎はグループで話し合うといった活動にはなかなか参加できていません。その理由の1つは、きまりを守ってみんなといっしょに活動することに慣れていなかったためでもあります。それは、爆弾ゲーム、ステレオなどで慣れ始めています。理由の2つ目としては、「何をやったらよいのか分からない」ので、それをごまかすためや面白くないために妨害に走るといったものだろうと思われました。「二者択一」では、どちらかを選ぶだけで、しかも人によって考えは違うので間違えることもありません。これなら、今の太郎なら行儀良くとはいわないまでも、ほぼみんなと同じようには参加できます。この後は、やや相談が必要なゲーム(「無人島に持って行くとしたら何、それはなぜ」など)も取り入れていきました。太郎も少しずつゲームに参加できる時間が増えていきました。それは、授業を妨害せずにふつうに活動する時間とほぼ比例していました。

ここまでのポイント

  • 授業や集団活動の妨害を続ける子への対応が危機管理の1つ
  • 集団に入りたいと心のどこかでは思っているかもしない
  • 気分のムラのときはクールダウンするまで待つ
  • 虐待・ネグレクトの回復には同じ期間以上かかる
  • 簡単なことでも半年かかると腹をくくる
  • 「意味分からんし」に意味がある
  • まずは爆弾ゲームで集団に参加する練習をする
  • まずは自分のやっている迷惑行為に気づかせる
  • それでもやってしまう
  • 逆の立場を経験することが変わるきっかけとなる
  • 単にゲームに参加することからグループで活動することにレベルアップ
  • グループで相談するゲームができるようになった頃には授業にふつうに取り組む時間も増えつつあった

3 執筆者プロフィール

岡 篤(おか あつし)先生
 1964年生まれ。神戸市立小学校教諭。「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会(略称学力研)」会員。硬筆書写と漢字、俳句の実践に力を入れている。

4 書籍のご紹介

『読み書き計算を豊かな学力へ』2000年

『書きの力を確実につける』2002年

『これならできる!漢字指導法』2002年

『字源・さかのぼりくり返しの漢字指導法』2008年

『教室俳句で言語活動を活性化する』2010年

5 編集後記 

自分がいつも授業中にしている妨害を体験させるという実践が印象に残りました。人の気持ちがわかるというのは、いつになってもとても大切なことだと思います。ぜひ、次の機会にご活用ください。
(文責・編集 EDUPEDIA編集部 中原瑞貴)

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