道徳を積極的に活用する?-苫野一徳先生の考え方から実践案まで

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作成者: Koma (Edupedia編集部)さん

1 はじめに

本記事は、2019年7月6日に代官山 蔦屋書店にて開催された、苫野一徳先生(熊本大学准教授)の『ほんとうの道徳』出版記念イベントの模様を取材し、編集したものになります。
 本イベントは、朝日新聞記者・杉原里美さんによる苫野先生へのインタビューという形式で行われましたが、本記事では、苫野先生のお話を中心に再構成しました。まず、道徳教育を学校ではすべきでない理由について、歴史的経緯を含め、「道徳=モラル」の定義から確認します。次に、それでも現に存在する道徳の授業にどう取り組むかについての話に移り、最後に具体的な3つの授業実践案も見ていきます。
 詳しい議論の内容や、実践方法については『ほんとうの道徳』をお読みいただければ幸いです。

2 道徳教育を学校ですべきでない理由

近代社会の原理という視点から

ざっくり説明しますと、学校教育というのは市民社会の土台を支えるものです。そして近代市民社会は、モラル社会ではなくルール社会となっています。ここがポイントで、近代以前のヨーロッパ世界は、異なるモラル(≒道徳)同士の凄惨な対立の世界でした。例えばカトリックとプロテスタントとの間では、激しい宗教対立から互いに殺しあう時代が続いていました。この対立を乗り越えるために哲学者たちによって生み出されたのが、「どんなモラルであっても、それが他者の自由を侵害しない限り認め合う」というルールです。これが、近代社会のルールとなっています。モラルからルールへの転換に伴い、近代社会のためのルール体系として法体系を整備し、その法をより実質化するために教育という制度がつくられたわけです。にも関わらず、また学校でモラルを教えようというのは、原理的におかしい話なのです

そもそもモラルとは何か

モラルという言葉を私は、「習俗の価値」という意味で使っています。先ほどのカトリックやプロテスタントの例のように、それぞれのモラルというのは、ある時代や状況、国や文化における限定的な価値だという本質を持っています。そのため、繰り返しになりますが、近代に整備された学校教育でこうした意味のモラルを教えるのはあり得ない話なのです。そうではなくて、どんなモラルの持ち主も互いに認め合うというルールへの理解を育むのが学校教育のあるべき姿なのです。

3 今の教育制度の中でできること

道徳の授業が所与の世界で

とはいえ、道徳は教科化されました。文部科学省によって指定されている、22の内容項目というものがありますよね。この中には市民社会のルールと言っていいものもあれば、習俗の価値、あるいはマナーのようなものまで、いろんなものがごちゃまぜになっていますが、それを授業で扱うことになっているわけです。
 なのでここからは、道徳の授業をやらなければならないという前提のもとで、いかにその授業を活用していくか、ということを焦点に話をしていきたいと思います。

道徳の授業に困る先生

私の友達の先生でも、道徳の授業をどうしたらいいか困っている先生はたくさんいます。普通の国語の授業と同じように、先生が感想を聞いたりしながら、持っていきたい方向に落とし込むというやり方をしている先生もいるようですね。これはある意味仕方のない話で、先生としては指導書通りにやっておけば安心、という思いはあると思います。他にも、授業の「茶番さ」を感じて困っている先生もいると思います。
 私としては、道徳の授業を抜本的に変えることを、本書(=『ほんとうの道徳』以下同)での具体的な実践方法を含めて、提案したいと思います。

カリキュラムというフィクションを超えて

そもそも近代の学校教育には、1つのフィクションがあります。決められたカリキュラムを決められた通りにこなしていれば、みんなが内容を理解し、みんなが上質で均質な人間になる、というものです。道徳も構造は同じで、1内容項目を1時間ずつやっていけば、みんなが道徳的に上質で均質な人間になるというフィクションに基づいています。でも、こうした積み上げ式などというのは幻想で、あり得るわけがないんですよ

道徳教育でチャレンジしてみよう

私はずっと学びの構造転換というのを主張しています。みんなが同じペースで、決められた内容を決められた通りに行うという仕組みを撤廃しようということです。その点からすると、道徳というのは構造転換しやすい教科なんです。道徳は教科横断的にもできるので。

指導要領を読み込む大切さ

でも皆さん、学びの構造転換だなんて言われると、指導要領に違反していないのかと疑問に思われる方も多いはずです。というわけで、ここで1つ補助線を入れたいと思います。私はみなさんに、指導要領や教育法規を読み込むことをお勧めします。こうしたものは、我々の自由を奪うものではなく、我々が何をどこまでできるのかを知るのに役に立つものなんです。
 指導要領には、「この価値を教えろ」とか「ここまで到達させろ」とは書かれていません。「取り扱う」と書かれているんです。なので、「取り扱えば」いいんですよ。他にも、教科書の使用義務はありますが、教科書以外を使っちゃいけないとか、教科書通りに教えなきゃいけないとかは書かれていません。
 こうしたことを知れば、意外と創造的に授業を展開できることが分かります。日本では、制度的には思いの外自由になっていて、邪魔しているのは慣習なんです。もちろん、できるからといって創造的にやるのは恐いことだと思います。それでも、現状の教え方に疑問を持っている先生方は多いので、だったら何かちょっとチャレンジしてみてほしい。そのヒントになればいいなと思って、実践方法を提案しています。

同僚・学校の壁を越えるために

指導要領的には問題ないとしても、現場では管理職の先生などを説得しないと、せっかくの裁量も活かせないという話になりますよね。そういう場合には、私の本を読んでもらってください(笑)
 私はいつも言っているのですが、物事はワクワクベースで変わっていくと思うんです。今の道徳の授業では、先生も子どももつまらないとは思いませんか? もちろん、立派な実践をしている先生方もいらっしゃいますが、私としては本書で提案しているように、もっとクリエイティブにできると思っています。なので、私の本を読んでもらって、「こっちの方がワクワクしませんか!」という風に話し合いをしていただければと思っています。

4 3つの実践案

さて、具体的な実践の話にいよいよ移りたいと思います。哲学対話、学校・ルールをつくり合う道徳教育、プロジェクトとしての道徳教育の3つを本書で提案していますので、それぞれを簡単に説明します。

哲学対話

哲学対話という実践として、「価値観・感受性の交換対話」と「超ディベート(共通了解志向型対話)」、そして「本質観取」の3つの方法を提案しています。

その1:価値観・感受性の交換対話

これは、端的に言うと、みんなで作品の批評をするんです。そうすると、人それぞれに響くものが違うこと、つまり、価値観・感受性が互いに異なることに気付けます。それがまず「他者尊重」ということに繋がります。でも、それだけでは終わりません。 優れた作品というのは、何が優れているかを言葉にできるものだと思っていて、それを伝え合ってみると、お互いに納得できる部分が出てくるんです。その「共通了解」を得るということまでいくのが大切なんです。
 なぜ共通了解が大切かというと、それが対話の希望となるからです。今は対話がブームで、いろんな場で対話が為されていますが、対話をやりっぱなしで終わることが多いんですよ。司会者が最後に「いやー、難しい問題ですね。答えは出ませんでしたが、それでも話し合ったことに価値がありますよね」と言うのがお約束になっている。これでは対話に対する希望を失ってしまうと思うので、子どもたちの対話への希望を育めるような方法を考えたときには、暫定的なものでいいので、共通了解を得ることが大切だと考えています。

その2:超ディベート(共通了解志向型対話)

ディベートというと、賛成派と反対派に分かれて論理的な説得力を競い合う競技ディベートを思い浮かべると思います。ですがこの超ディベートでは、勝敗をつけることを目的とはしません。両者が納得できる第3の、より高次のアイデアを出すことを目指します。そうした対話の方が楽しいですし、より建設的に議論ができるんです。

その3:本質観取

これは哲学の奥義だと思っているんですけど、例えば道徳とは何か、教育とは何か、といった物事の本質を、「確かにこれはその通りだ!」となるぐらいぐーっと深めて言葉にするんです。もちろん絶対正しい本質なんていうのはありませんが、みんながなるほどと頷けるような言葉にすることはできる。そして、物事の本質が分かれば、それにまつわる様々な問題を考えることができる。例えば、教育の本質が分かれば、どんな教育をすればいいかが分かるわけです。逆に言うと、本質を分かっていなければ、互いの主義・主張をぶつけ合うだけで対立はいつまでも収束しません。なので、本質を掴むというのはとても大事なことで、それができるという感覚を得ることも、とても大切なんです。

学校・ルールをつくり合う道徳教育

「ルールはつくるもの」という経験値

今の子どもたちにとって、ルールは上から与えられて、ただ従うものとなっています。そのため、「ルールをつくり合う」という考え方を、子どもたちは体得できていないと思います。ルールが与えられるものだということがスタンダードで、それに慣れてしまうと、それが当たり前になってしまいます。そこで、道徳の時間を使うことで、意図的に「ルールをつくり合うという経験」をさせてあげよう、というのがこの2つ目の提案です。
 例えば、「今ある校則で、おかしなものはないだろうか?」という風に問いかけて、どうルールをつくり変えればいいか、どうすればみんなが守れるようになるかなどを話し合ったりするのもありです。

プロジェクトとしての道徳教育

問いを立てるという経験値

まず、探求というのをカリキュラムの中核に据える必要があると私はずっと言っています。現在の学校は多くの場合、出来合いの問いと答えを勉強するというのがメインですよね。ですが、子どもたちが自由に生きていけるような逞しい力を育むためには、探求できる=自分で問いを立てることができる、ということが非常に大切なんです。その大切な経験を積む時間にできるのが、道徳の授業です。

プロジェクトの形式の1例

テーマから子どもたちが考えてもいいですが、ここは先生が考えてもいいと思います。例えば死刑制度というテーマにしたとします。そのテーマの中で、子どもたちは自分で問いを立てて、それに何週間かの時間をかけて取り組んでいく。この問いは人それぞれ違っていて構いません。死刑は人権侵害なのか、死刑の歴史はどうなっているのか、各国の死刑制度についてなど、いろんな問いがあり得ます。取り組むのはチームでやっても個人でやってもどちらでもよく、それはケースバイケースです。そして成果を何らかの形で交換し合って、議論し合うことで互いの知見を広げ合っていくんです。これこそ、究極の「考え、議論する道徳」と言えると思います。

補助としての先生:正解の所有者をやめること

このプロジェクトを実行する上で大切なのは、先生も答えを知らないということです。例えば死刑は人権侵害か、という問いを立てられたとして、先生もすぐには答えられないですよね。それが当然ですし、それで構わないんです。先生の役割は、子どもの問いの探求を徹底的にサポートし、共同探求者としてプロフェッショナルになることです。そしてこの寄り添うことは、子どもが「こう来たか」、「こう考えたか」というのがあり、とても楽しいことでもあります。
 大切なのは、「こう来たか」を「じゃあこうしよう」と訂正しないことです。ただ、このように子どもをコントロールしないことには不安や葛藤もあるでしょうし、そうした不安を乗り越えるには、探求型の学びを実践して経験を積む必要があります。ですので、少しずつ変えていけばいいと思います。子どもたちが探求に没頭する姿を見れば、探求が先生にとっても非常に楽しいことなのだという感覚を掴むことができて、その感覚が忘れられなくなると思いますよ。

価値は後付けできる

このプロジェクトをやると、内容項目を全部扱えるのかという話になると思います。ですが、価値はいくらでも後付けできるので、心配いりません。各自で取り組んだ問いを共有すれば、全員が該当する内容項目を取り扱ったことにもして構わないんです。

時間は問題ない

価値が後付けできるとしても、やっぱり時間が足りず、終わらないことへの恐怖はあると思います。時間については、例えば、展示会という期日ありきで探求を実施するのも1つの解決策だと思います。
 ただ、本格的に実施するにはやはり学校ぐるみで実施する必要があります。カリキュラムマネジメントも利用できるかもしれません。もちろん教室でも、「道徳の授業だけはプロジェクト型にしよう」といった方法を取ることは可能です。

問いの前提:浸り切る時間

最後に、1つ忘れてはならない前提があります。それは、問いを立てるためには、そのテーマについて浸り切る時間が必要だということです。その時間なくして思いつくような問いは、ネットで少し検索しただけで調べ終わってしまうような問いに終わってしまうでしょう。テーマに関する本や記事を読みまくることも、探求には欠かせません。

最後に

最後になりますが、より詳しく実践方法や私の考えている理念を知りたい方は、ぜひ本書を読んでいただければと思います。

5 講演者プロフィール

苫野 一徳 (とまの・いっとく)

1980年兵庫県生まれ。熊本大学教育学部准教授。哲学者、教育学者。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)がある。幼小中「混在」校、軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。

杉原 里美 (すぎはら・さとみ)

1969年、長崎県生まれ。92年に朝日新聞社に入社。熊本支局、福岡本部報道センター社会部、東京本社くらし編集部、社会部・教育班などを経て、2018年4月から、朝日新聞専門記者(家族、教育分野などを担当)。家族をめぐる法律や社会保障、家計などを取材。『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)で教育分野を執筆。近刊に『掃除で心は磨けるのか——いま、学校で起きている奇妙なこと』(筑摩選書)がある。

6 関連記事紹介

7 編集後記

今回の記事を通じて、道徳の授業への不安が解消され、逆に新たな教育のあり方への第1歩となり得る期待を抱いていただければ、何よりだと感じています。また、代官山 蔦屋書店では、こうしたイベントが開催されていますので、公式HPもぜひチェックしてみてください。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 東奥)

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