『スイミー』~劇化でイメージを作る=具体化する~(スイミーは赤い魚たちにどう教えたか)

10
目次

1 はじめに

この記事では、東京作文教育協議会・前会長、元杉並区立小学校教諭の今井成司先生からいただいた原稿をもとに、『スイミー』(レオ・レオニ)の授業実践をご紹介します。

この授業は、作中の言葉から状況をイメージし、スイミーや赤い魚たちの具体的な会話や動きを劇化するというものです。これにより、子どもたちはスイミーや赤い魚たちの強い願いを読み取ることができるようになります。

関連記事

『スイミー』に関する記事はこちら

『スーホの白い馬』に関する記事はこちら

『キリン』に関する記事はこちら

『モチモチの木』に関する記事はこちら

『ちいちゃんのかげおくり』に関する記事はこちら

『ごんぎつね』に関する記事はこちら

『やまなし』に関する記事はこちら

2 言葉で答えてすませてはいけない

「スイミーは教えた。けっして、はなればなれにならないこと。みんな、もちばをまもること。」

上記の読みについてです。多くの場合、教師が「スイミーは何を教えたのですか。」と聞いて、「①けっしてはなればなれにならないこと。②みんなもちばをまもること。」この2つを押さえ、その理由を尋ねるという授業になります。

それでも読みは成立しますが、私は、それでは子どもたちの想像力は育たないし、「はなればなれにならないこと」や「もちばをまもること」の練習をするときの魚たちの気持ちや大変さは伝わらないだろう、と考えました。そこで、以下のような授業展開をしました。

教師:スイミーは、「はなればなれにならないこと」と言葉で言って教えたのですか。

子ども:ちがう。

教師:「もちばをまもること」と言葉で言えば教えたことになりますか。

子ども:ならない。

教師:じゃあ、どんな風にして、離れ離れにならないことを教えたのか、持ち場を守ることを教えたのか、想像してみましょう。

3 劇にすれば動きが見えてくる

子どもたちに、スイミーが「どう教えたのか」を劇にしてもらいました。「教える」は一方的な行為ではなく、「教わる」との関係で成り立ちます。劇にすることで、双方の動きが見えてきます。

子どもたちには、以下のような紙を配りました。鉤括弧がいくつも書いてあります。

※実際に授業で用いたものは縦書きです

教師:スイミーや赤い魚たちがどんなことを言いながら練習したのかを、ここに書いてみましょう。カギかっこの上には、「赤」や「ス」と書いておけばいいですよ。

※赤:赤い魚たち、ス:スイミー

小学2年生なので、ト書きは無しで会話文だけ作成しました。子どもたちは楽しそうに、熱心に取り組んでいました。台本を書き終わったらすぐに発表をします。(いわゆる「劇活動」ではないので、台本を読み上げるだけの発表です。)

▽N君が考えたものです。

ス「そこの赤い魚、そこのしっぽのほうに行ってくれ」

赤「ハイ」

赤「ぼく、どこですか」

ス「そこのせびれになってくれ」

赤「やだ。でも、大きな魚をおいだせるから、いいか」

赤「おい、そこは、おれのばしょだぞ」

赤「ちがうよ」

ス「まあまあ、けんかしないで」

ス「そこの赤い魚、そこの真ん中に行って」

赤「ええっ。うまくできるかな」

ス「君ならできるよ」

赤「じゃあ、やってみるよ」

発表を聞いている子どもたちからは、時折笑い声が起こりました。自分たちの普段の暮らしも反映されていて、いかにも本当にありそうな友達の姿を思い浮かべていたのかもしれません。「教える」「教わる」「練習する」姿が具体的に浮かんできました。赤い魚たちそれぞれにも個性があるのです。

▽Sさんが考えたものです。

ス「君、あそこに行って、しっぽになってくれる?」

赤「ここでいいんですかあ」

ス「君はあそこに行って、うろこみたいになって」

赤「でも、ここに来たら、この子とぶつかっちゃう」

赤「スイミー、ぼくこんなかんじでおよげばいいの」

ス「あっ、そんな風に、うまいうまい。これでだいじょうぶだ」

クラスの約半数の子どもたちが、このように発表しました。「あっ、くずれちゃった」「みんなくっついちゃだめだよ」—このような具体的な言葉や行動が「はなればなれにならないこと」であり、「もちばをまもること」であり、それらを「教えること=教わること」なのです。

教師:教えるって、本当は、今、みんながやったようなことだよね。こんなにいろいろやって、教えたことになるんだ。で、どんなことをしたの?

子どもたちの発表から、以下のように板書しました。

—口で話した

—やってみせた

—めいれいした

—ちゅういした

—ほめた

教師:こんなにいろいろやって、教えたことになるんだね

O君:わかった。だから、先生が、作文を書くときに、くわしく書かないと分からない、と言うのはこのことなんだ。(見出し4「概念砕き」へ)

教師:おい、O君、それ、今先生が言おうとしたことなんだよ。でもわかってもらってうれしいよ。

O君の中で、読みの授業が作文の学習とつながっていました[*1]。

隣のクラスでは、この「劇」の発表が面白くて2時間使って全員が発表をしたそうです。

授業のまとめである最後の方には私の偏向が表れています。「教える=教わる」ことの中に、「どうしても、大きな魚をやっつけたい」「自分たちの平和な暮らしを取り戻したい」という魚たちの強い願いを読み取ることができたのに、それを軽視し、言葉の問題としてまとめてしまったからです。

[*1] O君は、学年が進んだあるときにこう言いました。「おれ、教科書全部写しちゃった。先生、今度はどこをやればいい?」ノートには、なんと、本文以外の「手引き」の文まで書き写してありました。彼が1・2年生の2年間、私は国語の授業に「聴写・視写」を取り入れることを基本としていました。彼は自主的に視写に取り組んでいたのです。

4 概念砕き

「概念砕き」とは、「日本作文の会」[*2]の中で使われていた言葉です。概念・観念語は便利で、それを使うことで分かったつもりになってしまいます。しかし、同じ「平和」という言葉でも内実は様々で、大きな違いがあるはずです。このような概念語を使うことで、実態に迫らずに、受け流してしまいがちになります。それでは、どこかの誰かの言葉をなぞっているだけで、自分の認識にはなりません。そこで私は、作文を書くときには、できるだけ概念語に頼らずに具体的に書くことによって、出来事の特徴や感情の起伏まで表すことを子どもたちに求めたのです。自分とその周りの現実から認識を作っていくこと、つまり子どもたちの個性を大事にしたのです。「楽しかった」では、何がどのようにして、楽しさをもたらしたのかが分かりません。今回の『スイミー』の授業では、具体的な場面を設定することによって、「教える」という概念語を言葉や行動のやり取りとして表現しようとしたのです。O君は、そのような私の意図を読みの中でつかんでしまったということです。

[*2] 日本作文の会

1950年、同人組織「日本綴方の会」として発足。翌年「日本作文の会」と改称。当時、国語教育は「書くこと」が軽んじられていた。事実に基づいて、真実を見極め、ものの見方・考え方・感じ方・行動の仕方を育てる生活綴方教育の復興と発展を願い、戦前から、あるいは戦後新たに実践を始めた教師たちが広範囲に集まってつくられた。(「日本作文の会」HP(最終閲覧:2020年11月13日)より抜粋)

5 実践者プロフィール

今井成司先生

杉並区教育研究会、元国語部長

東京都杉並区三谷小学校を2007年に退職

杉並区浜田山小・久我山小、立川第八小などで講師をした。

現在、東京作文教育協議会委員、日本作文の会会員。

杉並区作文の会会員。

主な著書に

  • 「国語の本質がわかる授業」(1、2)(日本標準、編著)
  • 「楽しい児童詩の授業」(日本標準、編著)
  • 「教科書教材の読みを深める言語活動」(1~4年生)(本の泉社)

などがある。

(2020年11月時点のものです。)

6 関連記事

『スイミー』に関する記事はこちら

『スーホの白い馬』に関する記事はこちら

『キリン』に関する記事はこちら

『モチモチの木』に関する記事はこちら

『ちいちゃんのかげおくり』に関する記事はこちら

『ごんぎつね』に関する記事はこちら

『やまなし』に関する記事はこちら

7 編集後記

概念的表現を劇化し具体的な状況をイメージすることで、スイミーや赤い魚たちの思いを読み取ることができるようになるということがわかりました。この記事が多くの先生方のお役に立てれば幸いです。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 小林奈菜)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次