はじめに
わが家にプロパンガスを供給してくださっている大丸エナウィン(株)の、顧客向け冊子2011年11月1日発行の第83号に、「日本語の揺れと乱れ」に関して、とても興味深い記事がのっていました。
1 【ラ抜き言葉】
1つめは、【ラ抜き言葉】です。
あるアニメの主題歌の歌詞に「タマネギ食べれる」というのがあります。
また、「素直に生きれないの」というJポップスの歌詞もあります。
プロ野球選手はインタビューで「ここまでやって来れたのは、ファンの皆さんの声援のおかげです」と話します。
「食べれる、生きれる、来れる」は【ラ抜き】言葉です。
「~することができる」という可能を表す場合は「食べられる、生きられる、来られる」であるのに【ラ】が抜け落ちたのです。
【ラ抜き】言葉ができたのには理由があります。
「食べる」を例にしましょう。
「食べる」を尊敬表現にすると「食べられる」、また受け身表現も同じく「食べられる」です。つまり「食べる」の可能・尊敬・受け身表現は全く同じ形になります。「出る」「着る」といった動詞も同様です。これでは混乱します。混乱を避けるためにできたのが【ラ抜き】言葉だというのです。たしかに「タマネギ食べられる」だと、化け物のようなタマネギに食われてしまうような気もします。「【ラ抜き】は日本語の『乱れ』というよりも、『揺れ』であり必然だから認めよう」という学者もあります。
現在のところ【ラ抜き】は、話し言葉なら許され、書き言葉ではダメといったところ。真面目なテレビ番組は、出演者が「来れる」と話しても、字幕は「来られる」としています。』と、【ラ抜き言葉】について、柔軟に書いてありました。
確かに、私自身も若い人たちと話していると、次のような【ラ抜き言葉】を耳にすることはあります。
「起きれる」「決めれる」「着れる」「出れる」「投げれる」「寝れる」「見れる」「よけれる」
あれっ?と感じる言葉もあれば、いつの間にか、すっかり聞き慣れてしまった言葉もあるかな、といったところです。
2 【レ足す言葉】
2つめは、【レ足す言葉】です。
次は【レ足す】言葉です。「書く」という動詞の受け身・尊敬は「書かれる」。日記に悪口を書かれる(受け身)、先生が字を書かれる(尊敬)となります。「書く」を可能表現にするには特別な形「書ける」があります。このような例は他に「読む」→「読める」などがあります。
可能を表す形があるのに「書けれる」「読めれる」と余計な【レ】を足してしまうのが、【レ足す】言葉。何がおかしいなと、言った本人も気づくことが多いためか、あまり広まってはいません。』と、【レ足す言葉】について、あっさりと、まとめてありました。
私が耳にして、あれっ?と違和感を感じた言葉は、次のような【レ足す言葉】です。私の周囲にいる若者たちではなく、ほとんどテレビ番組の出演者のみなさんでした。「行けれない」「出せれない」「飲めれない」「読めれない」仮にもテレビ番組に出演するプロのタレントならば、【レ足す言葉】は間違った使い方で、正しくは「行けない、出せない、飲めない、読めない」だと心得てもらいたいなあと感じました。ひょっとすると、本人はわざと「甘えんぼキャラ」を演出するために、幼稚っぽさを演じているつもりなのかも知れませんが・・。
3 【サ入れ言葉】
3つめは、【サ入れ言葉】について、です。
広まっているのは【サ入れ】言葉です。会合などで司会者が「次に移らさせていただきます」と言うのをよく耳にします。この場合は「移らせて」でよいのに、ていねいにと思ってか、余計な【サ】を入れてしまいます。「帰らさせていただきます」「歌わさせていただきます」など、多くの人が間違いと気づかずに使っています。』と、【サ入れ言葉】について、ズバッと、指摘してありました。
この【サ入れ言葉】も、テレビ番組で、たびたび耳にすることがあります(困ったものです、と思うのは、オッサンだからでしょうか)。
「移らせていただきます」
「帰らせていただきます」
「歌わせていただきます」
が正しいのは、言うまでもありません。
「言わさせていただきます」は、「言わせていただきます」と、
「置かさせていただきます」は、「置かせていただきます」と、
「預からさせていただきます」は、「預からせていただきます」と、
「見させていただきます」は、「見せていただきます」と、
「急がさせてすみません」は、「急がせてすみません」
と言うように、上から目線じゃなく、さり気なく教えてあげましょう。「この言い方のほうがかっこいいよ」とつけ加えながら・・。
学校の先生方だけでなく、各民放テレビ局さんも、せめて【サ入れ言葉】については、正しい日本語を教える(伝える・広める)一翼を担ってくださるとうれしいなと思いました。
まとめ
大丸エナウィン(株)の顧客向け冊子2011年11月1日発行の第83号では、次のようにしめくくっていました。
ここでは、【ラ抜き】は『揺れ』、【レ足す】【サ入れ】は『乱れ』としておきます。『乱れ』は正し、『揺れ』は立ち止まって検討すべきでしょう。
言葉は、揺れ、乱れ、変化します。
高名な文学者の作品にも【ラ抜き】【サ入れ】が見られるのですから、言葉の専門家ではない一般人が間違えてもしかたがない〈かも知れません。
しかし、自分たちの言葉を大切にしたいと思うなら、言葉に敏感になるべきでしょう。
「話し言葉でも【ラ抜き】など使わない」というのは立派な個人の美意識。さあ、揺れ、乱れ、変化する日本語に、当探偵局とともに向き合いましょう。』
以上です。
おわりに
なるほど、【ラ抜き言葉】が日本語の『揺れ』、【レ足す言葉】【サ入れ言葉】は日本語の『乱れ』ということですか。【ラ抜き言葉】【レ足す言葉】【サ入れ言葉】には、なんとなく違和感を抱いていた私も、そこまで整理して考えたことがなかったので、この文章を読んで、なんだかスッキリした気分です。
大丸エナウィン(株)顧客向け冊子の編集部さん、ありがとうございました。
日本語の『乱れ』【レ足す言葉】【サ入れ言葉】は、大人(祖父母・大多数の親・教師)が子どもに教えてあげなければいけないということになるのでしょうね。
それに対して、日本語の『揺れ』【ラ抜き言葉】は、金田一春彦氏の見解のように、日本語の『進化』につながるかも知れないと考えるなら、柔軟に見守っていけばいいのでしょうかねぇ。私自身は基本的に【ラ抜き言葉】を使わないのですが、「来れる」(可能)には違和感を感じなくなっているのも事実です。う~ん、迷うところですよね。まだまだ柔軟性に欠け、「やわらか頭」じゃない私には判断がつきかねると言うか、【ラ抜き言葉】には、私自身が、ゆらゆらと揺らいで^^います。

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