音楽会等、学校で流れる曲の選曲時にポップソングを入れる場合の留意点

35
目次

学校にポップソングは適切か?

私はポップソングが好きです。歌詞や曲調はそれぞれの時代の空気を反映しています。流行歌から「今」という時代を見つけるのは楽しいです。この記事を書いている時点で、世の中は「AKBグループ」の全盛から「ももいろクローバーZ」「きゃりーぱみゅぱみゅ」「〇〇坂」へと流れが変わり、アイドル戦国時代と化している様子です。

【追記】「うっせぇわ」がはやった頃、これが給食時にインストゥルメンタルで流れたのですが、子供たちがいっせいに「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ」と歌い出して困惑したことがあります。

音楽会、運動会、体育の時間、朝や昼の放送、音楽の時間、学級でBGMや「みんなのうた」として使用する・・・学校において音楽を利用する場面はたくさんあります。

子ども達は「今」を生きています。高学年になってくると流行に敏感になり、現在はやっているポップソングにも敏感になります。また、若い教師も、現在流行っている曲を使用したいという気持ちに駆られる傾向があります。しかし、どうでしょうか??それらを流す場所が学校であることを考えると、それぞれの選んだ曲が適切か不適切かを判断するのはけっこう難しいものがあります。教員の間でも賛否が分かれます。

特に現在流行っている曲については時代の淘汰を受けておらず、「性的要素」「暴力的要素」等、危うい毒が含まれている場合があります。もちろん、現在流行っている曲でなくてもそれはあります。例えば、ビートルズが音楽の教科書に載っていたりしますが、彼らの歌詞にはけっこう性的な要素や麻薬文化(当時はやっていました)をにおわす要素が入っている場合があります。

教師が選曲する場合

どの場面で流すのかを考えて選曲した方がいいでしょう。後述するように子ども達が選曲に絡む場合もありますので、その時に「先生も好きに選んでいたじゃない」と言われてしまうようでは困ります。ある程度は教員同士で「性的要素」や「暴力的要素」が含まれていないかを考慮して、相談しながら進めた方がいいでしょう。「AKBはOKだけれどジャニーズはアウト」などと言い始めると、子ども達からの不満の声を抑えきれなくなってしまう可能性があります。

特に長く使用する場合や子ども達に歌わせる場合などは気をつけた方がいいと思います。昔、ビートルズの“Day Tripper”を教師が選曲し、音楽会の合奏に使用した学年がありました。私も大好きな曲でしたが、かなりきわどく麻薬や性を暗喩している歌詞で(合奏なので歌詞はなかったけれど)、問題を感じたことがあります。

また、新しい曲であっても、古い曲であっても、あまり”個人の趣味が全面的に出るような選曲は避けた方がいいと思います。「えー、それって先生の趣味じゃない?」と子どもや保護者とのコンセンサスがとれないような雰囲気になるのを避けましょう。バランス感覚が必要ですね。

子どもが選曲に絡む場合

音楽会や運動会などで子ども達の意見を取り入れながら選曲を進めることがあります。または、「みんなのうた」としてクラス曲を決めて歌う機会を持つ場合や、自分たちでダンスの振り付けまで考えさせて踊らせるような場合もあると思います。
放送委員が学校放送で流す曲を選択するという場合もあるでしょう。放送委員や子ども達が選曲した曲を流すこと、流行の曲を流すことについては、教員の間でも賛否が分かれます。「これぐらいの曲を流すのはいいじゃない。自由にさせてあげれば?」という感覚と「自由にさせていてはまずい」という感覚に分かれます。

もし、自由を許し出すと少し精神年齢が高い子ども達が中心になって「自分たちはこんな流行をキャッチしているんだ」「精神的に幼い連中にはこの曲はわからんだろう」という内輪の盛り上がりの証として仲間内の好みを選曲して、妙に自己主張をしているムードが漂う場合があります。流行をキャッチした先鋭的なグループあるいは個人が学校という公共空間に性的要素や暴力的要素を含んだ曲を私的な感覚で流している状況は問題があるでしょう。その方向に行ってしまうのを止めておく必要があると思います。

学校・教室・全校などの公の場で曲を流す場合には、「10年ほどの歴史の淘汰を経た曲つまり、発表されてから10年以上がたっている曲であることを条件にします」というような規準を設け、現在流行している曲が排除されるようにした方が健全です。小学生の子ども達にとって10年は長いので、10年前の曲を選ぼうとしても、なかなか情報が入ってきませんので、抑制するためには効果的です。放送委員会が給食時や清掃時に音楽を流すのであれば、オルゴールアレンジの曲や室内楽を流すように持っていくのがいいと思います。

公共性を考えさせる

曲選びに際して、子ども達に学校的な「いい子ちゃん」になってもらって判断をさせる必要はないとは思います。また、選曲に関するガチガチのルールを作ったり、終わりのない「公共」についての論争をしたりする必要もないと思います。

日頃から、学校という場の「公共性」を考えて適切な選曲ができるように、「良識ある判断」ができる子ども達を育てておくことが必要なのだと思います。普段から「公共性」や「小学生としての健全な態度」についてしっかりと考えさせておき、少々の不満があっても落とし所を見つけ、納得ができるようなバランス感覚が必要なのではないかと思います。、特に正解のない課題に対して「納得解」を導き出せるように子ども達を育てていきたいですね。
子ども達に公共性を考えさせることについては、下記のリンクをご参照ください。

「公」と「私」の違い理解させる | EDUPEDIA

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次