怒鳴る(脅す)は三流? ~「怒鳴る」と「叱る」の違い

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1 怒鳴るは三流

授業や指導がうまくいかない時に、怒鳴ってなんとかするというのはよくないやり方です。教師として、「怒鳴るは三流」とも言われます。また、脅すような言動もよくありません。

子どもたちへの指導が難しくなってきており、ついつい教師は手詰まりになりがちです。思ったように指示通りの行動ができないとき、怒鳴ってしまうことがあります。授業を成り立たせるため、一つの行事をやり遂げるためには、一喝をいれる場面も必要でしょう。また、学校や学年には、一人か二人の強面の教師が存在することも必要悪です。

叱るなら、早い時点で | EDUPEDIA

叱ることは難しい ~子どもを叱る基準や叱り方 | EDUPEDIA

も、ご参照ください。

私も時々、怒鳴ってしまいます。教師の生身の怒りを子供たちに伝えるには、たまには怒鳴ることも必要だと思います。生身の教師の感情をぶつけることも時には必要です。

この「怒鳴る」という方法をずっとやり続けていると、子供たちにも耐性ができてきます。教師には実質的に子供に対する懲戒方法がありません。唯一、出席停止が法律で可能ですが、出席停止が発動されることはまずないと考えてよいでしょう。そうなると、子供は「なーんだ、教師って怒鳴ることぐらいしかできないんだ」となって、怒鳴られてもそれをやり過ごせばいいという知恵がつきます。

怒鳴るとなんとかまともに動く → 怒鳴らないとまともな動きができない → 怒鳴ってもまともな動きができない

と、悪い方向に行ってしまうことがあります。こうなると、学級崩壊・学年崩壊へと向かっていきます。また、自分が指導するときは怒鳴って聞かせることができても、専科等、他の先生が自分のクラスを指導するときに怒鳴らないと動かないでは困ります。
また、怒鳴ることでとりあえず何とかなると教師が味をしめると、指導に工夫がなくなり、教師としての成長の妨げになります。「自主性がない」と言っては怒鳴って、自主的に子供が動くと「勝手な行動をするな」と怒鳴ってはいませんか?
きっと教師が怒鳴らずとも子供たちがしっかりと育っているクラスがあるはずです。「怒鳴り癖」のついてしまっている教師は、そういったクラスの担任から学ぶことは多いと思います。

2 怒鳴ることはよくないと自覚して

怒鳴るも一つの指導方法ではありますが、いつまでもそれで辻褄を合わせようとすると子供たちは委縮したり、「また怒鳴る」と心の中で嫌気がさしてきたりします。最近の子供は怒鳴られたり、怖い顔をされると委縮しすぎて、酷い場合には不登校になるケースもあります。「怒鳴る」は三流です。もし、どうしても怒鳴らなければならないなら、個人を怒鳴るより全体を怒鳴る方が良いと思います。怒鳴るにしても、

①効果的に ②要所で ③少ない目にすることを目指して ④冷静さをもって

怒鳴るようにしましょう。
「怒鳴る」「脅す」と「叱る」「諭す」は、違います。ネットでもその違いが色々と解説されていますが、私は「怒鳴る」「脅す」は教師側の都合である場合が多く、「叱る」「諭す」は児童生徒に寄り添った指導であると考えています。怒鳴るのは怒鳴らなければならない状況を作った自分自身に責任の半分はあると考えましょう。怒鳴ることは決して良くないことを自覚しながら怒鳴りましょう。そして、だんだん「怒鳴る」から「叱る」「諭す」~「ほめる」に変換していけるように心がける必要があります。怒鳴らなくてもいい方策をどんどん取り入れて、教師も子供も嫌な気分をせずに毎日を過ごせるようになるように、成長していかねばなりません。

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