叱ることは難しい ~子どもを叱る基準や叱り方

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叱ることは悪いこと?

時々、叱ることができない教師がいます。何故か叱ることはいけないと思っているようです。ここ数年は「笑顔」ブーム、コーチングブームで、叱ることが悪いことであるかのように語られることがあり、そういう言説に影響を受けているのかもしれません。ほめるだけでなんとかなる子供・学級であればそれもいいかもしれません。しかし、そうでないケースも多く、叱らずにいい結果を出すには大変な力量が必要になります。力量もないのに叱らずに指導しようなどという考えていると、結局は後で叱りまくらなくてはならない状況に陥りがちです。もし叱るなら、早い時点で叱った方がいいと思います。
叱るなら、早い時点で

逆に、叱ってばかりの教師もいます。これも困ったものです。強い叱り方で子供を追い詰めて委縮させたり、脅しに近いような言動をとるような教師は問題です。自分の指導が下手なことを棚に上げ、子供ばかりを責めるというのはいかがなものかと思います。

結局のところ、バランスよく褒めて叱って・・・ということになるでしょうか。このバランスの良さが、コミュニケーション力なのでしょう。

怒鳴る(脅す)は三流?

叱る側の姿勢

教師の叱る力を高める

「何度言ったらわかるの?!」と、怒り、嘆いてしまう前に

叱ることは難しい

も、ご参照ください。
怒鳴らざるを得ない場合もありますが、注意が必要です。

怒鳴るとなんとかまともに動く → 怒鳴らないとまともな動きができない → 怒鳴ってもまともな動きができない

と、変化していくと、後が大変です。

「叱る」と「怒る」は、違います。

「叱る」には冷静さがあります。相手のことを考えて叱っているのです。
「怒る」は感情に任せています。自分が腹が立つから、怒るのです。
このことは、子供にも言ってあげればいいと思います。
「先生も、『叱る』ようにするから、みんなも友達に何か厳しいことをいうときは、『怒らず叱る』ことを心がけてください。」
というように話しておけば、陰湿なムードで友達にクレームをつけるということが減ってきます。

では、怒ってはいけないのかと言うと、そうでもないのです。人間の生身の感情を伝えるという点では、時々は怒ることも大切だと思うのです。ただし、学級経営が恐怖政治になってしまったり、度をこして体罰と判断されるような言動になってしまったりすることは、慎みましょう。

冷静に

また、指導が難しい子供にはついつい「ああ、またこの子が・・・」「なんで言う通りにできないんだ」と、教師側にイライラが募り、ついつい意地になって何度も注意してしまったり、言い方がきつくなったりしてしまいます。

子供の方も、「なんでぼくばかり」「先生は私のこと嫌いなのかな」などと感じてしまい、ついつい感情的な対立になりがちです。

相手の様子を見て冷静になって叱ることが大切です。いつも叱っているA君が私語や他事をしているときには、A君が話しかけている子供やA君以外で私語や他事をしている子供を見つけて注意することによってA君を名指しで注意することが避けられることもあります。

叱り方、色々


さっぱり叱る
これは、大原則でしょう。ねちねちやられると、子供もしんどいです。相手のためを思ってしかっているというメッセージを言語・非言語で伝えることが必要です。

表情は百面相で
同じ「叱る」にしても、様々な度合いがあります。声質、顔の表情のバリエーションを意識しましょう。ある先輩教員が「さっきまで笑っていたのに表情を180度変えて怒りを表す」という職人芸を見せてくれました。「教師の表情は芸の内」と教えてくれました。とにかく「目力」が半端でなく、喋っている子供を目力だけで5秒で黙らせることができました。(※やりすぎ注意です)
先輩は褒め方のバリエーションもすごく、褒めているけど顔は笑っていないとか、心から褒めているとか、本当に顔芸、百面相でした。「教師たるもの役者たれ」と常々おっしゃられていました。

叱ったらフォローする
叱った後の子供の様子はしっかり観察しておきましょう。反省して行動の変化が見られたら、ほめることも忘れずに。叱られるとただヘコんでいるだけの子供もいます。そんな子供であれば、叱った後には、挽回をするチャンスを意識的に教師が作ってあげることも必要です。

どんな時になぜ叱られるのかを理解させる
早いうちに先生がどんな時に叱るのか、何故叱るのかを宣言しておきます。私は次のように言っています。
① 人の体や自分の体を傷つけるような場合です。危険な状態の時です。
② 人の心や自分の心を取り返せないくらいに傷つけるような場合です。
③ たくさんの人に迷惑をかけるような場合です。
④ 法律違反をしているような状態の時です。

叱った自分にも反省点を見つける
指導が悪いから叱らなくてはならないはめになったのだ。という自戒の念を持っておきましょう。場合によっては、「先生も、ここは反省するから、あなたも変わってください」と、自分の非を認めることも必要です。

黙る
例えば、授業中のざわつきが収まらないときは、教師が黙ってしまうというのも、メッセージの出し方です。ただし、黙って子供に無視されているようではどうにもなりません。

怒鳴る
怒鳴るは三流です。ですが、どならざるを得ない場面もあります。本当にいけないことをしたのだということが伝わるように、効果的に怒鳴りましょう。ずっと怒鳴っていると子供に慣れられてしまう場合があります。怒鳴った限りは、徹底して行動を改めさせなければなりません。怒鳴られたのにたいして変容を迫られないのであれば、かえって子供は教師をなめてしまうことになりかねず、危険です。

下手な脅しは使わない
「強く叱られたのであるが、特にペナルティーもないし・・・あれはただの脅しだったのか。」と、子供に思われてしまうのであれば、これはまずいです。昔はよく「帰れ!」と言ったものですが、それを言うと、本当に帰ってしまう場合が続出しています。「帰れ!」イコール「強く反省しなさい」というようには取ってくれません。実現不可能なペナルティーを示して脅しに使うことは逆効果になる場合があります。落とし所をどうするのかは、難しい問題です。体罰厳禁のご時世になっていますので、ペナルティーの設定をどうするのかを、学校の中で話し合っておく必要もあるかもしれません。荒れた学校であるなら、「教師への暴言の場合は教頭が対処」などというラインを決めておくのも方法でしょう。

叱られたことを納得させる
子供は叱られても、何を叱られたかさえわかっていない場合があります。「なぜ叱ったか」「叱ったのはあなたのことを思って叱っている」「こうすればよい」ということは、しっかりと理解・納得させましょう。

叱るなら、早い時点で(1)
悪い行いを叱らずに、さんざん見逃しておいて叱ると、子供たちにすれば「何で今まで何も言わなかったくせに」「何で私がやったときだけ」という気持ちになります。そしてそれを子供が口に出して指摘し始めると、一気に教師は苦境に立つことになります。

叱るなら、早い時点で

叱るなら、早い時点で(2)
ぼっとしている教師は、早い時点で叱ることが苦手です。ついつい見逃してしまい、「この先生は甘い」と思われてしまいます。自分の中に、クラスを成り立たせるための善悪の基準をはっきり持っておき、何がポイントになっているのかを見極めておく必要があります。

叱ったことをクラスで共有する
A君を叱って、B君を叱って、次はGさんをしかって・・・延々と個人を叱っていてもモグラ叩き状態になって叱ってばかりいる自分につかれてしまうことがあります。A君を叱ったときに、「こんな事があってA君をしかったのだけれど、みんなはどう思いますか。先生はこういう場合はこんな対処をします。」というように、ルールを共有するきっかけにするといいと思います。

泳がせて、叱る
上記の「早い時点で」とは逆の手もあります。ある程度の失敗をさせることも時には必要です。失敗経験をさせて、自分でその原因や解決方法を考えさせるというのも、時には大切です。ただし、泳がせすぎは危険です。

追い詰め過ぎない
叱られても、本人にはどうしようもない場合もあります。特に発達障害を抱えている子供などは、「それはだめ」と言われてもすぐに自分を変えることができない場合が多いです。「いつまでに、どう変わればよいのか」というある程度の余裕や見通しを示してあげるのもよいかもしれません。

諭す
「怒る」「叱る」という表現の他に「諭す」もあると思います。それぞれがどう違うのかと正確に比較分類するのは学者さんに任せて、ニュアンスとして「叱るのではなく諭す」という心持で接するのもいいかもしれません。語気を強めず、自分(たち)のどこがいけなかったのか、どうするべきだったのかを自分(たち)で考え、明日からの行動の変容を促す・・・というのが私の「諭す」のイメージです。毎回、「諭す」で通す必要はないと思いますが、場面に応じて指導する側が心持ちを柔軟に冷静に、コントロールできるようになりたいものです。

(2022年7月25日 タイトルを「叱ることは難しい 〜叱る場合の原則」より変更)

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