教科指導と地域連携から公教育を考える<前半>(京都大学 石井英真先生)

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※本記事は、NPO法人ROJE五月祭教育フォーラム2016のホームページに掲載された記事(2016年5月25日公開)に加筆したものです。

目次

1 はじめに

2016年5月、京都大学准教授の石井英真先生にインタビュー取材を行いました。

石井先生は、学校現場での授業研究を進めながら、学校で学ぶべき学力の中身やその形成の方法論について理論と実践の両面から研究されています。そのなかで、コンピテンシー育成に向けた教育諸改革についての研究もなさっています。
  インタビューでは主に、ご専門の教育方法学の視点から、今の教育現場の現状について解説いただきました。

本記事は前半・後半の2本立てとなっています。

前半では、学校で育むべき能力の問題やアクティブラーニング、学校と地域との連携、ICT化の影響についてお話しいただきました。

後半はこちらをご覧ください⇒教科指導と地域連携から公教育を考える<後半>

2 インタビュー

–今日、子どもたちが身につけるべきとされる能力が多元化してきていますが、実際に学校教育でどのような能力を育むべきだと思いますか。

学校で育成すべき能力の多元化の要因は、社会とりわけ経済界からの要求を受け、学校教育の中身を問い直すべきという動きが出てきたことにあります。この議論では主に職業人として必要な能力を育成することに主眼が置かれています。経済的な観点から教育を考える議論が、学校教育に変化を促しているといえます。

しかし、それだけではなく、公教育としての学校の役割も考える必要があります。この視点では、職業人としてのみならず、社会の構成員である「市民」にとって必要な能力とは何かを考えるべきです。学校教育ができる事には限りがあります。その制約の中でできることは何か。そして、「すべての子どもたちにとって必要かどうか」という公共性の観点から「すべきこと」とは何か。これら2点を考える必要があります。

社会が求める「実力」(コンピテンシー)を、創造力やコミュニケーション能力といった「汎用的スキル」の形で明確化して、学校教育においてそれを生徒に直接育成しようとすることが望ましいか、そもそも育成できるかには、疑問が残ります。コンピテンシー・ベースのカリキュラム改革が提起するように、確かに社会で求められる「実力」との関係から、学校で育成する「学力」の中身を問い直すことは大切です。しかし、汎用的スキルを育成するという方向のみで議論を進めると、行き詰まってしまうのではないかと考えています。むしろ、まずは各教科の文脈に即して、現代社会をよりよく生きる個人を育てるという観点から教科の指導内容を問い直していくことが大切になるでしょう。たとえば、現代社会をよりよく生きていくために、目の前の子どもたちにとって必要な数学とはどのような数学か、という具合に各教科の内容を問い直していくことです。

–身につけるべき能力の多元化について、公教育外ですべきことやできることはありますか?

OECDのリテラシーやキー・コンピテンシーというのは、そもそも学校教育だけに限った議論ではありません。人間形成に関して、学校は今の社会では確かに中心的な役割を担っていますが、本来なら学校内外両方の学習環境全体を見渡してどうしていくかという視点が必要です。

日本の学校のカリキュラムは元来全人教育を志向してきました。教科外で社会性や粘り強さや自治の力を育成する機会がたくさんある点は再評価されるべきです。そのうえで、学校でしかできない教科学習が後回しになってはいけません。コンピテンシーなどの汎用的スキルをつけることを第一にするスキル主義に陥ることなく、学習活動自体を問い直すべきです。その際、教科の世界と生活の世界(=社会)をリンクさせた真正の学習」をめざすことが重要でしょう。

教科の学習を豊かにする際には、学校がセンターになりながら地域の人や保護者といった学校を取り巻く人達に参画してもらい、子どもたちの学習環境を大人たちが地域全体で協働して整えていく、そういうシステムが有効です。社会の求めに応じて学習やカリキュラムの中身を問い直すだけではなく、子どもたちを見守る大人たちの教育コミュニティのあり方をとらえなおすこともセットで追究すべきでしょう。

–地域の人が子どもたちの人間形成をサポートするチームとなるという発想は、たとえばコミュニティスクールなどにみられますが、コミュニティスクールなどの実践をどのようにとらえていらっしゃいますか?

学校改革進める際、学校のサポーターをいかに作るかということは大きなポイントの一つです。大原則として、地域連携が先生にとっての新たな仕事になってはいけません。先生方がのびのびと実践できるように、地域の人をはじめ学校外の人からの信頼を作っていくことが大切です。信頼を得るためには学校の活動をうまく地域に発信することも求められます。

いまの学校での学習活動全体を見ると、コンピテンシー云々といいつつ、子どもたちに失敗をさせないようにするという矛盾とも言うべき傾向が強く見られます。課外活動では安全の問題はつきものですし、少し大胆に川遊びをしようものならすぐに「もし怪我でもしたらだれが責任とるのか」となります。指導案に書かれていない想定外のことが起こってもとやかく言われず、公開授業をしたときに少々上手く行かなくても必要以上にストレスをためないといった具合に、子どものためになされる教師の挑戦や試行錯誤に対して寛容な環境が望ましいと考えます。「この学校の先生方がやっていることはしっかりとした中身がある」という、学校への面の信頼を作っていくことがとても大事です。信頼を作っておけば、少々大胆な授業でも、保護者の人は疑心暗鬼を起こさず、静観してもらえたりサポートしてもらえたりすることが期待できます。学校に対する保護者や地域の支持的な雰囲気を作っていくことが何よりも大事です。

–教科について、アクティブラーニングなど最近の流行を導入して授業案を作る際に注意すべきポイントはありますか?

たとえば中学校・高校のアクティブラーニングなら、一時間の授業の中に一か所、生徒たちに委ねるアクティブな場面を入れればよいでしょう。逆に小学校の場合はすでにアクティブ過ぎるので、これ以上アクティブであることを強調する必要はないでしょう。むしろ小学校については、児童が教科内容を理解することや先生自身が教材研究・教材解釈を深めることなくして学びは深まらない、という点を強調すべきだと思います。

アクティブラーニングについて文科省は「深い学び対話的な学び主体的な学び」という3つの視点で授業を見直すよう提案しています。このうち、「深い学習」をきちんと意識すべきです。いま心配しているのは、「対話的」と「主体的」がすごくクローズアップされた、いわば主体的で協働的な学習だけになっている傾向が非常に強いことです。特に高校でも「学び合い」などが広がりつつありますが、一つ間違えると「教科指導の特別活動化」になる危険性があります。例を挙げるなら、問題集から適当な難度の問題を選び、あとは生徒たちみんなでわかっていきましょう、全員がわかるようにするのが自分たちの責任であるといった、ある種の学級づくりの指導をして「みんなでわかっていく集団」を作る。あとは生徒たちにおまかせという授業も見られます。そこに教科指導はあるのでしょうか。

子どもたちの学びへの責任意識や主体性を喚起する点で、こうした指導を決して全面的に否定するわけではないですが、それが教師の教科指導の責任の放棄にならないよう、深さの軸、つまり「対象世界との対話」ということをきちんと考慮する必要があると考えています。

—先生が考える、授業において重要な要素とはなんでしょうか。

私が重要と考える要素は、「目標と評価を一体化すること」と、「ドラマとしての授業」の2点です。

1時間の授業で追求したいメインターゲットを一つくらいに絞る。その上で、授業を通して子どもたちが何を学んでどういった姿に変わればいいのかを考える。このように、「何のためにアクティブにするのか」を熟慮することは極めて重要です。目標を問うとは、このように、教育活動の出口の子ども像を具体的にイメージすることです。そして、「目標と評価の一体化」というのは、授業計画の段階で目標と評価をセットで考えてみるということです。授業を通して子どもたちのどんな姿が出てきたらいいか、いわば評価者の立場に立って授業前に考えてみることで、授業の目標は子どもの具体的な姿でイメージできるわけです。そこまでできれば授業はぶれません。

ただ、「目標と評価の一体化」のみを強調すると、事前に想定した姿に子どもたちを無理やり向かわせることになりかねません。そこで、「ドラマとしての授業」を同時に意識します。これは、ひとつには授業は生き物だということを認識するということです。計画通りにいくのがいい授業とは限らないし、筋書があってもそれを越えることで子どもたちの学びは深まっていくわけです。そしてもう一つは、展開感覚を持つということです。授業には「導入展開まとめ」があると言われますが、これはただのお題目ではないのです。要はドラマのようにヤマ場があるのです。授業は流すものではなくて展開するものであり、だからその展開感覚を学ぶことが大事なのです。それがないと、最初に盛り上げてしまってあとは息切れするなどの失敗をします。

日本の授業の蓄積の中で、いま若い世代に伝えきれていないと感じるのがこうした展開感覚です。授業の一番のヤマ場で思考を触発する課題提示を行い、思い切って子どもたちに任せて、考える機会を保障するのが一番展開的に見て良いヤマ場のつくりかただと思います。そのために最初は静かに好奇心に火をつけ、ちょっとずつ一問一答なども使いながらやり取りしていくと、子どもたちも徐々に授業に入ってきやすいし、全員参加の授業にしやすいです。

目標と評価の一体化」と「ドラマとしての授業」の2つをセットで考えていくのが、アクティブラーニングに限らずすべての授業づくりの基本ではないかと考えています。

–ICT化の影響についてどのようにお考えですか?

ICT化は、単なる授業手法の問題ではないと思います。今回のコンピテンシー重視への教育の変化ということの背景のひとつはやはり情報革命です。なかでも情報革命によって情報や知識のあり方やその学び方・創られ方が変わってきている点が大きいと思います。もう一つはソーシャルネットワークのひろまりにつれて、人と人との強いつながりではなく弱いつながりがベースになってきているということです。強いつながりというのは村落共同体のような地縁血縁のつながりで、学校もそれに近いコミュニティを作ろうとしたわけです。その強いつながりを作れたから日本の教師とりわけ小学校の教師たちは多様な意見を練り上げる創造的な一斉授業を展開できました。学習集団が強力だったのです。だから、みんなで集中できる雰囲気が作れたのです。でもいまでは、インターネットのつながりのように好きな者同士が集まって、面識の無い者同士でも簡単につながり、いざとなればすぐに関係を切ることもできますよね。このコミュニケーション様式の変化は大きな影響を及ぼしていると思います。ゆるい関係性で行われるカフェ的な対話の方が居心地がいいし学びやすい。そんなコミュニティ感覚を子どもたちは持っているように思います。

このような事態に際して、教室における「言葉の革命」が必要です。教室では書き言葉の文化が強すぎ、考えること書くこと話すことの3つが分断されがちです。そして、授業の展開は、まず個人で考え、それを書き、書いたことを発表しあう、といった具合になります。話し合い活動は発表し合う活動として遂行され、書き言葉的な話し言葉が優勢となりがちなわけです。書き言葉には考えたことを固めたり整理したり残したりできるメリットがありますが、新しいものを生み出す力は弱いです。それに対して話し言葉には即興性や相互に触発し合う側面があり、話しあいを通して新しいものを生み出していきやすいのです。なので、たとえば、考えること・書くこと・話すことを同時にやってしまってもいいと思うんです。各自考えながら、話し合って、そこで出た意見や思いついたことをそのままメモ的にホワイトボードやタブレットに書き込んでいくわけです。このコミュニケーション様式は実は革命的だと思います。話し言葉が優勢になっていて、自分たちで話していることをベースに出た考えを書き、書いて可視化するからさらに触発されて話し言葉の会話が進む。そこでは、話し言葉でのコミュニケーションを活性化するために、ラフに書く活動が手段として位置づけられています。そういうコミュニケーションを授業の中にたくさん作りだしていくことがこれから重要になってくると考えています。そして、そういった創発的なコミュニケーションとタブレットは比較的相性がよく、効果的に活用していくこともできるでしょう。

ただ、本質はICT機器ではないことをわすれてはいけません。ICT機器はコミュニケーション革命を円滑に促進するための教具に過ぎないので、アナログでできる部分はアナログでいいと思います。タブレットありきで授業をつくるのはちがいます。ただ、タブレットには記録したものを全部一括で瞬時に集約して意見のつながりなどを可視化できる強みがあります。ICT機器を用いるならばそれでしかできないことをきちんと追究して、ICTのメリットを最大化することを考えると良いと思います。

3 編集後記

コンピテンシーを重視する動きがある中で、あくまでも「真正の学習」すなわち目の前の子どもたちにとって本当に役立つ教科学習のあり方を見直すことが重要だという点に関して、みなさんはいかがお考えになりましたか?対人スキルや批判的思考などを単体で狙って指導・育成するが故に、学校でしかできない教科学習がおろそかになってはいけない。そして、学習を深いものにするために、学校をセンターとしつつ地域のリソースを使っていくことが重要だということでした。地域住民との信頼関係は今後非常に重要になってくるのではないでしょうか。

授業における「目標と評価を一体化すること」と、「ドラマとしての授業」であったり、ICT化における書き言葉と話し言葉の性質の違いなど、実践を理論的な視点に立って見ると、また違った見え方がするように感じました。

後半では、2016年、選挙権年齢の引き下げが施行され話題となった18歳選挙権や主権者教育の問題と、「確かな認識能力」について解説していただきました。また前半で扱った地域との連携の観点と絡めながら、学校評価や、通信制高校の動き、教師の多忙化についてお話しいただきました。後半もぜひご覧ください。

記事はこちら⇒教科指導と地域連携から公教育を考える<後半>

(EDUPEDIA編集部 横山尚人・新井理志)

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