中学歴史〜太平洋戦争〜(自主学習用教材「こころの窓」第65回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第65回「太平洋戦争」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将・リーダーがどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日もがんばりましょう。

今日のお題は、「太平洋戦争」です。

日中戦争が長引くなか、日本は1940年に、ドイツ・イタリアと三国軍事同盟を結び、アジアでの権力をさらに強めていこうとしました。また、ソ連との間で日ソ中立条約を結び、ソ連からの攻撃を受けないようにしました。しかし、資源の少ない日本が日中戦争を続けていくためには、石油はどうしてもなくてはならないものだったので、この石油を確保するために東南アジアへも進出していったのです。

このような日本の動きにアメリカが怒りました。そして、アメリカは日本への石油や鉄類の輸出を禁止し、これと同様にイギリスやフランスも日本への輸出を禁止しました。こうして日本はアメリカとの関係がしだいに悪くなっていったのです。それでも、アメリカとの戦争は絶対に避けなくてはならないと日本政府は考えていたので、何度もアメリカとの交渉を続けていきました。

当時のアメリカの大統領は、世界恐慌の時にニューディール政策を行ってアメリカを大不景気から救った有名なフランクリン・ルーズベルトです。また、日本の総理大臣は、近衛文麿(このえふみまろ)さんです。以前にも話しましたが、近衛内閣も必死でアメリカとの直接対決を避けるためにいろいろな交渉を行いました。しかし、アメリカは日本に対して通称「ハル・ノート」といわれる文書を送ってきたのでした。この通告には、日本はすぐに中国から軍隊を引き揚げなさい。また、日独伊三国軍事同盟もすぐにやめなさいといった、日本が全く了解することのできないものだったのです。アメリカとの交渉がうまくいかなかったために、近衛内閣は解散してしまいます。そして、この緊急事態に内閣総理大臣に指名されたのが、現役の陸軍大臣であった東條英機(とうじょうひでき)です。彼も何とかアメリカとの戦争を避ける交渉をしようとしたのですがうまくいかなかったのです。

そしてとうとう、1941年12月8日に、日本軍はハワイの真珠湾にあったアメリカ軍の基地を攻撃し、アメリカとの戦争を始めてしまったのです。これが太平洋戦争です。

戦争が始まって半年くらいは日本が快進撃を続け、東南アジアや南太平洋一帯を占領しました。しかし、戦争がはじまった翌年の6月に、ミッドウェー海戦で日本軍は大敗したのです。実は日本の暗号がアメリカによって解読されていたため、ミッドウェーでアメリカ軍は待ち伏せをしており、日本軍が徹底的にたたきつぶされてしまったのです。これ以後は負け戦が続きます。

余談ですが、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した時、本来ならば相手の国にこれから戦争をしますよという宣戦布告(せんせんふこく)というものを行わなければいけないのですが、この報告が1時間ほど遅れてアメリカに入ったために、日本のこの攻撃は奇襲攻撃と言われ、世界から非難されてしまったのですよ。
お疲れ様でした。では、復習問題へ行ってください。

復習問題と解答

1.なぜ、日本はアメリカと戦争を始めてしまったのですか。原因をまとめてください。

日本の中国侵略や満州国の建設などに対して、アメリカは怒りました。そして、アメリカは日本への石油や鉄類の輸出を禁止し、これと同様にイギリスやフランスも日本への輸出を禁止しました。こうして日本はアメリカとの関係がしだいに悪くなっていったのです。それでも、アメリカとの戦争は絶対に避けなくてはならないと日本政府は考えていたので、何度もアメリカとの交渉を続けていきました。当時日本の総理大臣は、近衛文麿です。彼は、必死でアメリカとの直接対決を避けるためにいろいろな交渉を行いました。しかし、アメリカは日本に対して通称「ハル・ノート」といわれる文書を送ってきたのでした。この通告には、日本はすぐに中国から軍隊を引き揚げなさい。また、日独伊三国軍事同盟もすぐにやめなさいといった、日本が全く了解することのできないものだったのです。アメリカとの交渉がうまくいかなかったために、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まったのです。

2.アメリカとの戦争なのに、なぜ日本は東南アジアを攻撃したのですか。その理由をまとめてください。

日中戦争が長引くなか、資源の少ない日本が日中戦争を続けていくためには、石油はどうしてもなくてはならないものだったのです。しかし、今まで輸入していたアメリカやイギリスが石油を輸出してくれなくなったために、インドネシアなどにたくさんあった石油を求めて、東南アジアへも進出していったのです。

3 ダウンロードはこちらから

歴史No.65.docx

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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