どのような「基準」で日々の指導をするか

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作成者:matui hiroshi (Edupedia編集部)さん

その基準は正しいのか


教師は自分の中に何かしら基準を持っていて、その基準に照らし合わせて、「これをしなさい」「あれができてない」「それ、うまくいったね」とほめたり叱ったり要求したり、絶えず判断をしています。自分が持っている基準に自信を持っていなければ教師という職業をやって行けない半面、あまり自信を持ち過ぎると危険な面もあります。自信満々で自分の基準(価値観)を押し付けていると、
「先生の個人的な基準(価値観)でそんな事を言われても」
と、子供たちが反発したり、心の中でつぶやいていたりする場合もあるでしょう。強引過ぎる指導は、どこかで綻びが出ますし、破綻してしまう場合もあります。
子供を叱った時、その基準(価値観)は果たして正しいのか??教師の思っている基準が高過ぎて、子供がそれに適合不可能であれば、何度同じことを言っても(要求しても)子供には理解ができないし、実行や達成もできません。最後には教師の言葉が耳に入らなくなります。教育を施すという行為の際には、絶えず「価値観の違い」という難しい問題が横たわっています。

正論であるように思えることでも、「正論だからこそ人を追い詰める場合」もあります。
例えば掃除のルールが崩れてしまって掃除の時間が成立していないような状態だったとします。真面目に掃除をしている子供がほとんどいない状況で、一番さぼっていると思える子供に「さぼらず掃除をしなさい」と注意しても、
「そんな事、俺だけに言われても、こんな無政府状態で真面目にそうじなんかできやしないわ」
と思われてしまうのがオチです。教師と子供の間に価値のずれが生じているとこうなります。価値観、価値基準がずれてしまっている状態で、子供に「教師サイドの価値観」を投げかけても、うまくは届かないものです。教師は子供に何かを要求するとき、何を基準にしているのか、何を根拠にしているのか、子供の心に届くように示すことができる必要があると思います。
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「何度言ったらわかるの?!」と、怒り、嘆いてしまう前に
教師が価値観・基準をどうやって決めているのか、以下のようなパターンを考えてみました。

①平均的な子どもが基準


公立学校の場合、多くの教師が集団の真ん中辺りを基準に設定している「つもり」で日々、指導をやっていると思います。ただ、それは「ぼんやりした基準」であって、思っているほど明確ではありません。
また、真ん中辺りの子供が基準ならいいのかというと、そうでもないでしょう。「平均点は70点です」「ほとんどの人が70点以上をとっています」と、言われても、(全員が同じ点数を取らなければ)平均点を取れない子供は必ずいます。平均以下の子供にとっては、「平均(以上)がよい」というような言い方は酷であるかもしれません。
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②過去の経験や他のクラスが基準


教師自身の子供時代や今まで教師をしてきた中で見てきた子供が基準になっていることは多いでしょう。他のクラスで行われている指導も基準になるでしょう。
「去年の私のクラスの子供たちはもっと整列が早くできた」「今年の6年生は今まで私が持った中で最低です」「あなたのお兄さんは忘れ物などしなかった」などと、去年や今までの経験との比較でものを言ってみるのはあまりよくないと思います。たまに発奮材料として投げかけるのはいいかもしれませんが、「今までの方がよかった」という言い方は、子供たちにとってマイナスに働く方が多いと思ってください。
過去との比較で「過去の方がよかった」ことを述べる場合は、必ず「比較した過去のレベル」に追いつき、追い越させることができる見通しと、自分の指導力への自信がある時に限ります。
 また、他のクラスで同僚が指導しているのを見て、その基準を参考にするというのは一つの方法です。「あんなに厳しくしてもいいんだ」とか、「あれではだめだな」とか、様々な教師の指導の様子を見ながら自分の基準を作り上げていくことは大切だと思います。
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③自分が基準


教師が自分を基準にするなんて自己中心的な感じでどうだか・・・と思いますが、けっこう、人は自分を基準にしているものです。教師が自分の力・自分の価値観を基準にしてしまうと・・・自分に高い能力があった場合には子供たちにとっては「無茶振り」となりますし、自分の能力が低い場合は、「低レベルな判断」となりかねません。教師は特に自分が得意な分野に関しては、子供に高い要求をしがちです。あるいは、「これぐらいはできて当然」という気になって指導がおろそかになるケースもあるでしょう。
たとえば水泳が得意な教師は、なぜ水が怖い子供がいるのか、なぜ浮くことができないのか、なぜ力を抜いて魚のように泳ぐことをイメージできないのかがわかりません。元々自分ができることについては、できない人の気持ちやできない理由がわかりにくいものです。
逆に全く泳げない教師が指導をすると、泳げる子供にとってはたいくつな指導になるし、泳げない子供は「先生も泳げないし、これでいいんだ」と、向上するきっかけを失うかもしれません。
「自分が基準」になってしまっていないか、時々、子供たちの気持ちになって想いをめぐらせてみましょう。
多くの教師は自分の子供時代のクラスの中ではある程度上位の成績を収めていたでしょう。一方で、東大や京大やプロスポーツチーム等の「ハイレベルな組織」に入れるほどの学力・能力がある教師は少ないでしょう。「教師レベル」の価値観や基準があまり適切であるとは言えないように思います。
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④上位層の子供が基準


切磋琢磨という言葉どおり、身近に存在する「できる仲間」とライバル意識を持ちながら互いを高め合うことは学習する集団の中で必要なことです。しかし、あまり高いレベルの子供を基準にすると、クラスの上位層の子供は頑張れるかもしれませんが、中位層・下位層の子供にはついていけない基準になってしまいます。「○○さんは忘れ物をしたことがありません」と、言われても、「それは○○さんの能力が高いからであって、われわれは真似できないよ」ということになってしまいます・・・
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⑤下位層子供が基準


できない子供を基準にすると、基準が低すぎることになってしまいます。それでは、できる子供にとっては退屈な内容となってしまって、まずいです。
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⑥法的な基準


教師のひとつひとつの言動に法的根拠があるのでしょうか?教育基本法第一条(教育の目的)には、「人格の完成」と書いていますが、「人格の完成」のために、どういった具体的な基準を定めて指導をすることが適当なのか、私にはよくわかりません。「人格の完成」などというのは、実に高い目標であるように思えます・・・。学習指導要領の基準もそれほど具体的なことは書かれておらず、法的な基準というのは、かなり大雑把でぼんやりしたものでしかありません。
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⑦その時の気分


けっこう気分屋の教師は多いです。自戒してください。子供たちが先生の気分を伺うようになります。「今日の●●先生、機嫌悪いなあ」「●●先生、いつも怖いなあ」とか思われることはあまり自慢できることではありません。先生の気分の揺れに、子供たちが混乱しているケースもままあります。保護者から「先生の気分によって基準が変わる」ことを指摘されるようであれば、赤信号です。「気分屋の教師」になってしまうことは、「自分勝手な教師」とみなされてしまい、躓く危険をはらんでいると考えましょう。
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⑧個々に合わせて基準を持っている


一人一人の子供に対して、個別の基準を設定して指導に当たる。理想的な考え方だとしても、最大40人という枠組みで一斉教育をせざるを得ないのが日本の現実です。個々の子供に合わせた基準を考えることにはかなり手間暇、集中力が必要です。場合によっては、「何で俺に厳しいのに、あいつには同じことをしても叱らないんだ!」といったエコヒイキ疑惑を招きかねません。エコヒイキと思われないためには、子供たちとどれだけ信頼関係を結ぶことができるのかが、ポイントになってきます。高いレベルを要求されることは、自分が期待されているからなんだと思わせることができるかどうかです。そして高いレベルをクリアした時にはしっかりほめて、認めてあげることが大切です。
一人一人をよく見て、その子供が成長したときに「前のあなたは□△だったよ。でも今は、○○になったねえ。すごいね。」と、「前の自分」を基準にして成長を認めてもらえるとうれしいものです。
そのためには、しっかりと子供たちの変化を見つめておくことです。

データをとってほめる材料に
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成長させることが第一


以上、思いつくままに書き出してみました。必ずしも無茶な基準を設けることが悪いわけでもないでしょう。⑦の「気分屋教師」なんてひどいと思うかもしれません。でも、時には直観的に要求したことでけっこう子供が伸びる場合もあります。
思い切り高い目標を掲げてみて、子供たちを発奮させることも必要な場合もあります。
崇高な価値観や高い基準を押し付けるのはいけないと思ってしまって、逃げ腰になってしまうこともないと思います。
どんなやり方にせよ、子供たちがきちんと成長していれば、教師と子供の心は離れにくいと思います。逆に成長もないのに高いところに基準を置いてしまえばたちまち心が離れ、信頼は薄れていくということです。

例えば歌を歌わせる時、
「声が出ないねえ。恥ずかしいのかなあ。飽きたのかなあ。まあこの子たちの実力も、自分の指導者としての実力も、こんなもんかなあ。」
等と弱腰な考え方をしていては、出る声も出ません。
きっぱりと、少しはったりをかますぐらいで、
「なんだ、その蚊の鳴くような声は?3倍の大きさの声が出るはずだぁ!まだまだだ!」
と、バシッと言い切ることも大事です。もちろん、3倍の声を出させる責任は、半分以上教師側にあることをしっかりと心に留めた上での叱咤激励でなければなりません。そうでなければできない責任を子供に押し付け、単に嫌味を言ったり罵倒したりしまう結果になってしまう可能性があります。
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丁寧に個々に合わせて


きめ細かく、一人一人を見た⑧番がいいのは間違いないでしょう。個々の基準を設定して個々の成長を見つめる。それでやっていけるぐらいの「見る目」と「広い視野」と「余裕」を持つことが大切です。きちんとデータを取ってひとりひとりの子供の基準を設定してあげることができ、さらに確実に伸ばしてその成長をほめて、いっしょに喜んであげられるようになれば、素晴らしい「成長の循環」が生まれることと思います。

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