「何度言ったらわかるの?!」と、怒り、嘆いてしまう前に

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作成者:matui hiroshi (Edupedia編集部)さん

1 ついつい、言ってしまいませんか?

この記事は、教師だけではなく、保護者やあらゆる指導者、会社等の上司にも当てはまる話だと思います。ぜひ、様々な「上に立つ立場」の方に読んでいただきたいです。そして一度、再考いただく機会になればと思って書いております。

「何度言ったらわかるの?!」と、ついつい、言ってしまっていませんか?似た言い方も含めて、誰かにこうした叱責の言葉を投げつけた(投げつけられた)経験はないでしょうか。あるいは心の中でそうつぶやいた(つぶやかれた)ことはないでしょうか。
「さっき言ったでしょう」
「(同じことを言うのは)これで●度目だけれども」
「ハァ」(深く嫌味な溜息)
「・・・」(にらむ、無視する)

なども、類似する叱責・圧力パターンですね。
教室で教師として、職員室では職員として、家族では親として子として、こうした言葉を言う側の立場になることもあるでしょうし、逆に言われる側の立場になることもあるでしょう。特に教師という立ち位置にいると、こうした言葉を発してしまうことがありがちです。時には怒気と殺気をこめて、時には嫌味ったらしく、
「何度言ったらわかるの?!!!!!!」

 私も他人に対して、自分の言葉をあまりにも聞いていない場合、受け入れてくれない場合には腹が立つことがあります。そしてたまに、「ちょっと自分の言っていることが理不尽だな」と思いながらも、「この人には何度言ってもわからない」ことが薄々わかっていながらも、つい怒っている(嘆いている)こともあります。
「何度言ったら分かるのーーー」

下記リンク先の関連記事もご覧ください。
1回で指示を通す 
不安・不安定な子供が多い学級を改善 ~自治と自立を促す

指導が完了するまでは、次の6つの過程があると思います。
1.言う(言ったら伝わると思わないでください。聞いているふりをしているだけかもしれません。相手の聞く力が弱いかもしれません。そのことをこの記事で書いています。)

2.伝わる(伝われば理解されたと思わないでください)

3.理解する

4.できる

5.定着する

6.使える

3番「理解する」以降の状況は、下記の記事で説明していますので、ご参照ください。
「わかる」「できる」「身につく」「使える」の差

2 「何度言ったらわかるの?!」に対する言い分

けっこう長い文章になってしまったので、「何度言ったらわかるの」に対する答えを最初に書いておきます。言われた方の言い分にどのようなケースがあるでしょうか。「つぶやき?言い訳?言い分?口答え?」を列挙してみます。
(ア)「聞く力がないのです」(理解力が低い)
(イ)「聞く力がないのです」(共感性に乏しい)
(ウ)「あなたの基準でそんな事を言われても」
(エ)「何度も言われた覚えはない、一度目(二度目)ですが」
(オ)「聞きたいけど、あなたの言っていることがわかりにくい・伝わりにくいです」
(カ)「分かっていることと、できる事は違う。」
(キ)「そんな事、了承した覚えはない」
(ク)「あなたのいう事は聞きたくない」
(ケ)「あなたのいう事だから、聞きたくはない」
(コ)「何度言われてもよくわからないんだ」
(サ)「そんな無理な注文を言われても困るのですが」
(シ)「なんでそんな難しいことを口頭で伝えるわけ?」
 
どうでしょうか?ただの口答えと思えるかもしれません。素直でない、反抗的な感じを受けたかもしれません。ムッとしている方もいるでしょう。一方で、なるほど、思い当たる節もあるなと感じている方もいるかもしれません。(ア)~(シ)まで、どの口答えパターンのリアクションにも共通している「思い」は、
「何度言われたってわからない場合があるんだよー」
です。相手の目にあなたは「暴君」としてうつっているかもしれません。

では上記の「口答え?or言い分?」をもう少し詳しく解説してみましょう…

(ア)「聞く力がないのです」(理解力が低い)

 聞く力は人それぞれに違います。何でも人がしゃべっていることを理解し、共感できる人がいる一方で、聞く力が弱い上に理解力も悪く、さらに共感性に乏しい人もいます。言っている内容の1つにこだわりが生じると他のことが聞こえなくなる、記憶に残らなくなるという人もいます。
 理解力が悪いというのは聞く方面の理解力だけが悪いという場合もありますし、インプット全体が弱い場合があります。インプットと言っても、学校では「聞く」の他は「見る」が主でしょうか。授業に於いては「におう」「触る」「味わう」「食べる」という活動の比率は小さいですね。「見る」は「図的に見る」と「文字を見る(読む)」に分けられるかもしれません。理解力が悪いのはその人のせいではないはずです。実は私は教師でありながら、「聞く」「文字を読む」が極端に弱いのです。そのせいで社会生活に不適合を起こすことが多く、学校的社会(職員室・家庭)では「お困り感満載」で生活をしています。
ちょっと古い感じになりますが、漫才コンビ「オードリー」の漫才で、話の途中で若林が言ったことに対し春日がずいぶん後になってから「お前、俺のこと嫌いだったのか?」と聞き直す定番ボケがあります。あれは、ある種の人が抱える「こだわりの強さ」を笑いにしているのだと思います。一般レベルの人にとっては驚くべきこだわりかもしれないですが、私自身に同様の状況があります。何かに引っかかると前に進めなくなります。「たくさんの情報を流されると、その中の一つにひっかかって情報処理が苦しくなる」という傾向がある人は少なからずいると思います。

(イ)「聞く力がないのです」(共感性に乏しい)

理解力がないこととは少し違い、共感性に乏しくて聞くことが苦手な人もいます。残念なことに私は理解力と共感性の両方に難がありますので、人とのコミュニケーションに於いて苦しい場面が多いです。共感性に乏しくとも、理解力のある人は比較的大丈夫ということになるかもしれないのですが、両方に難があるとなると相当なハンディを持ってしまうことになります。いわゆるアスペルガー傾向がある人には、両方に難がある場合が多いのではないかと思います。「共感性が高いor低い」の発言の仕方人によって違っているはずです。上辺では共感性が高いように見えて、けっこう冷酷な人もいます(苦笑)。一様に共感性が低い人が人として劣っているとみなすことはできないと思います。共感性の低さは「コミュニケーション能力の『偏り』」であって、「コミュニケーション能力の『不在』」であるとは限らないと思います。それにしても、
「どうして私が今言ったことを聞いた上で、そんなことを言うの(そんな事ができるの)??」
と、思い、思われることはお互いにとって有益ではありません。人と人が円滑に生きていくために、「聞く力」とはいったい何であるかという事(あるいはコミュニケーション能力とはいったい何かという事)を理解する必要があると思うのです。

付け加えると、共感性の欠乏という点については「聞く」に限ったことではなく、
「どうしてこのシュチエーションでそれを言うの(やるの)?」
という怒りを買うことも多く、“コミュニケーション能力の『偏り』による生きにくさ”の源でもあります。この件については、専門家に譲りたいと思います。

(ウ)「あなたの基準でそんな事を言われても」

教師がどのような基準で子供にモノを言っているのかということはしっかりと考えてみる必要があると思います。詳しくは下のリンクをご覧ください。

どのような「基準」で日々の指導をするか

人それぞれに能力のレベルがあり、価値観があります。(ア)(イ)の子供たちの「聞く能力」は、おそらくあなたと同じではありません。その「聞く能力」の問題に加え、「あなたに言われた内容を実現できるかどうか?」という能力の問題もあります。教師の言っていること(要求)が果たしてその子供にとって可能であるのかどうかは、教師側も冷静に振り返ってみる必要があると思います。「じっとそこに座って話を聞くのが生徒としてのあなたの役目です」というのは、確かに正論です。しかし、場合によっては正論が人を追い詰めることもあるのです。

(エ)「何度も言われた覚えはない」

教師は毎年同じ事を何度も言っているので、何度も言っているように思っているが、そんなに何度も言っていない相手に、何度も言ったように思っている可能性はあります。何せ、教師はたくさんの人に接しています。不用意に「何度言ったら分かるの!?」と言ったら、相手が「?、まだ1回目(2回目)ですけど」となる場合もあるでしょう。
また、全体に対して言った(注意した)ことを自分の事とは受け止めていない場合も多いです。最近、その感触が強くなっています。「自分個人に向けて言われたのは1度目ですがー」という受け止め方をしているかもしれません。根気良く、一人一人に伝える努力もしましょう。

(オ)「聞きたいけど、あなたの言っていることがわかりにくい・伝わりにくいです」

 だらだらと要点のわからない話をムニャムニャと抑揚もなく話されても、聞く力が弱い人には伝わりにくいですね。聞くに値する内容の話をしているのかどうかも、チェックする必要があるでしょう。たとえば、
「掃除をするときは話をせずにさっさとしなさい」
と、伝えたい場合、同じ意味の事でもいろいろなニュアンス、いろいろな話し方がある筈です。

(カ)「分かっていることと、できる事は違う。」

 言っている内容は正論で、分かるのだけれど、だからと言って、それができるかと言われても、できないことはあります。(ウ)の中に含まれていますが、取り出してみました。
「イチローのようになるには、毎日これだけの練習メニューをこなしなさい。」
と説明したとして、「イチローのようになるには、たくさんの練習が必要だ」ということが相手に伝わったとしても、イチローと同じように練習ができないのが普通です。人のレベルはそれぞれであり、「頭で分かっていてもできない」ことがあるのは当然です。「言って分からせたからできるはず」だというのは、思い込みにすぎません。

(キ)「そんな事、了承した覚えはない」

「○○○○○○・・・です。分かった人、手を上げなさい」
というような話の持っていき方をする教師は多いです。
あるいは
「●●●●●●・・・です。反対の意見がある人、手を挙げなさい。ん?誰も手を挙げないということは、みんなやるっていうことだよね。後になって文句を言ったり、やらなかったりしたら、承知しないよ。」
こんなな話の持っていき方をする教師もいます。ちょっとそれって詐欺まがいとは言わなくても、かなり強引ですね。
こうした教師のやり方に対して、「いや、あの場で手を挙げない(手を挙げる)なんて、無理でしょう」と多くの子供が思うような持っていくような「圧力的に了承させるやり方」はあまりよろしくないのではないかと思います。

(ク)「あなたのいう事は聞きたくない」

 人のやり取りは、互いの信頼関係の上で成り立っています。話したことを受け入れられるに足りるような関係を築いてきたかどうかを見直すことは大事です。

(ケ)「あなたのいう事だから、聞きたくはない」

信頼関係が崩れ、(ク)がさらに深刻な状況になると、普通なら聞き入れられるような正論でも、こじれてしまう場合があります。わざと言ったことと逆の事をされ始めると、最悪の状況に陥り始めます。

(コ)「何度言われてもよくわからないんだ」

 赤ちゃんを相手に何度「泣くな」と言っても、通じません。同じように、小学生であっても、中学生であっても、大人であっても、人それぞれに理解のレベルが違うので、何度言われても分からない場合もあることを知っておく必要があるでしょう。

(サ)「そんな無理な注文を言われても困るのですが」

 無理なことを言っておいて、できないことを責められてもこまりますね。最近、教師の仕事が多忙化しているのに保護者や管理職からの要望・指示がさらに多くなっており、これは教師自身も感じているかもしれません。教師として無理な注文をしてしまっていないか、要チェックです。

(シ)「なんでそんな難しいことを口頭で伝えるわけ?」

 (ウ)(カ)(コ)(サ)は似ているかもしれませんね。言ったらできると思っているのは、間違いです。聴覚は視覚に比べてかなり弱いインプット能力だと言われています。とても古い資料ですが、ネットで下記のような情報を見つけました。

『産業教育機器システム便覧』(教育機器編集委員会編 日科技連出版社 1972)p4に「図1.2 五感による知覚の割合」が掲載されている。 上から「味覚1.0%、触覚 1.5%、臭覚 3.5%、聴覚 11.0%、視覚 83.0%」と図示されている。

情報が古いし諸説あるようですが、視覚からのインプットは聴覚に比べて相当優位である事は間違いなさそうです。まさに、百聞は一見に如かず。私は大切なことを話すときには、キーワードを黒板に書くようにしています。特に、大切なことはドでかい文字で書きます。複雑な指示を出すときも、
①小さいプリント(1)をする→全部丸になるまで先生が答え合わせ
②小さいプリント(2)をする→全部丸になるまで先生が答え合わせ
③大きいプリントをする→後で答え合わせ
④宿題をする
⑤静かに本を読む
というように、黒板に順番に書きます。

それに、聞く力の弱い相手もいるわけですから、難しい指示を出すときには、言葉ではなく、文字で伝えた方がいいかもしれません。黒板に「①○○をする②○□をする③△○をする」と簡単に指示を書くだけでずいぶん違います。あるいは、相手にいきなり難しい事を丸投げするのではなく、スモールステップを作って導く方法もあるでしょう。

スモールステップという「原則」

小学1年生なら一度に1つの指示で1つの行動をさせる方法がよいでしょう。指示を出す相手のレベル(集団の場合は集団全体のレベル)を見てのだんだん、「一度に2つ、3つ・・・」と指示の内容を濃くしていくことも、大事です。

3 暴君と化していませんか

ずらっと「聞くことができない例」を挙げてみました。心当たりはありませんか?

言われる立場の「言い分」を気にし過ぎて、「何度言ったらわかるの?!」を使ってはいけないと思うことはありません。教師や親としての立場であれば、この言葉を使う必要に迫られる場面は多々あると思います。少々、理不尽な叱責を受けることも時には勉強になるものだという考え方もあります。いちいち相手の口答えを想定して指導をしていれないという事情もあるでしょう。「叱る」と「怒る」を区別するのが難しい(下記リンク参照)のと同じで、何でも理解をしてあげなければならないというものでもありません

叱ることは難しい

使わざるを得ない状況で相手の言い分を気にして使わなければ、(ア)以下の言い分がまかり通り、指導者と児童の力関係が崩れてしまう場合もあります。

どの教師にも「いつも、誰にでも分からせるだけの能力」があるわけではないです。子供側に聞く力のレベルの差があるように、教師側にも伝える力のレベルの差があります。教師という職業をやっていく上で、ある程度は、理不尽な話をせざるを得ない場面、強引な指示を出さなくては仕方ない場面はあります。多少の強引さでぐいぐいと引っ張るぐらいがいい場合もあるでしょう。「いい教師」になろうとして児童生徒の立場に立ち過ぎるのも危険です。
ただ、(ア)~(ク)で述べてきたような児童生徒側の言い分もあるということを自覚した上で強引な指示や無理な注文をしているのかどうかは問われるでしょう。(ア)~(ク)のような言われる側の論理があることを分かった上で叱ったり怒ったりすることと、何も分からないでただ教師の基準を物差しにして振り回すのでは、自ずと違いが出てくると思います。教師としては特に気を付けて振り返りをしなくてはなくてはならないことだと思います。自分が教室、あるいは職員室(あるいは家庭)で暴君と化していないかどうか、時々自己チェックをしてみてください。

4 人を動かす

最後に山本五十六が遺した有名な言葉を紹介します。

人を動かす

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

【有名なこの言葉には次のような続きがあります。】

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

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