1 はじめに
本記事は、岡篤先生のメルマガ「教師の基礎技術~音読の追究~321号~326号」から引用・加筆させていただいたものです。
音読練習のときに気をつけるべきことを二つの視点から解説した記事です。
岡篤先生のメルマガはこちらを参照ください。→http://archive.mag2.com/0001346435/index.htm
また、関連記事としてこちらの記事もあわせてご覧ください。
音読の追究①
音読の追究②
音読の追究④
音読の追究⑤
音読の追究⑥
2 実践内容
指なぞりと音読練習を同時並行
音読練習がすぐにはできない子をほっておいて、できる子だけを見て進めることは、学級経営上もよくありません。一歩もどって、出来ない子ができるようにしてやるところから始めるという意識を持ちたいものです。しかし、指なぞりがスムーズにできるのをいつまでも待っているわけにはいきません。指なぞりの指導と並行して、音読の練習もしていきます。音読が苦手な子にも、効果的に練習を進めるために、指なぞりを活用し、指なぞりもスムーズに出来ない子のために、その練習があるわけです。
音読練習の際に気をつけること
全員で音読をしていると、とても上手に読んでいるように聞こえるときがあります。しかし、30人のクラスで20人がしっかり読めば、あとの10人がどうであれそれなりに聞こえるものです。しかし、10人は「上手な音読」の陰でこの間、全く音読をしていないことになります。また、一人の子が音読をしているとき、今度は29人が聞く側に回ることになります。音読をする以上、授業にとって必要であったり、意味のある練習であったりするはずです。とすれば、それを聞くことも学習であるはずなのに、実際にはほとんど聞いていないという子がいるはずです。音読は、とても有効で効率的な練習方法だと確信しています。その一方で、前述のような隙もできがちであることを意識しておく必要があります。そのために、何となく全員で、一人でというだけでなく、やり方について、その特徴を頭に置いておくとよいでしょう。まずは、連れ読みからです。
連れ読み
連れ読みというのは、教師や教師役が先に読み、子どもを先導する、つまり、連れて読む、練習方法です。子どもにとっては、教科書という文字から読むことを判断するだけでなく、教師の読みを聞いて真似すればよいので、かなり易しい音読といえます。そのため、一つの教材文の初期の学習や、低学年の学習ではとても効果的な練習方法になりえます。この易しい連れ読みにもちょっとしたコツがあります。一つは、教師がどこで切るかです。
■どこで切るか
私は、連れ読みでは、基本的に、句読点全てで切るようにしています。これも、句点(。)ごとを中心にしたり、読点(、)が短い言葉で打ってある場合は、ある程度の長さまで続けたりといったこともやっていました。しかし、それでは、子どもが迷うときが出てきます。子どもを教師役にさせるときなどはいっそう迷います。そうなると、テンポが悪くなってしまいます。とにかく、句読点では全て切る、としたことでこの迷いをかなり無くすることが出来ます。また、音読が苦手な子への配慮もあります。句読点ごとでは、短すぎるようでも、実は、低学年の苦手な子にとっては、ちょうどよいと考えるようになりました。
もう一つ理由があります。それは、視写との関連です。視写をさせてみると、読点を見落とす子が多いことに気づきました。文字と比べると小さいし、子どもの意識としては文字を追うことに集中しがちでしょうから、当然といえば当然です。そこで、連れ読みのときから、読点を意識させることで、視写でも読点を見落とすことが減ればと考えたわけです。
■実際の場面では
「ゆうだち」(光村1年上)を例に、実際の場面を再現してみます。
『』が教師、「」が子どもです。
『ゆうだち』
「ゆうだち」
『そらが、』
「そらが、」
『きゅうにまっくらになりました。』
「きゅうにまっくらになりました。」
『ひやりとしたかぜがふき、』
「ひやりとしたかぜがふき、」
『ぽたぽたとあめがおちてきました。』
「ぽたぽたとあめがおちてきました。」
『ゆうだちだ。』
「ゆうだちだ。」
「そらが」が短すぎるように感じるかもしれません。前述のように、ここは短くても迷い無く切ることにします。 逆に、「きゅうにまっくらになりました。」は、1年生の子には、一息で読むには長すぎるかもしれません。「きゅうに」の後や「きゅうにまっくらに」の後で間をあけてしまう子もいるはずです。しかし、ここは、「句読点は必ず切る」の反対で、「句読点以外は切らない」を徹底することにします。「きゅうにまっくらになりました。」と一息で読むように指示して、読み直します。ここまで句読点にこだわることを主張すると次のような声が聞こえてきそうです。「読み点は、作者が視覚的に決めることも多いので、音読で徹底する必要はないのではないか。」この言い分の前半はその通りです。
■読点は音読で切るべきであるのか
読点は、音読で切る場所とは限らない、という人がいます。その通りです。私自身、読み点をつけるときに、「ひらがなが続いて分かりにくいから、読点を入れとくか。」と、入れるときもあります。少し古い本ですが、
読点について明確に述べている
『実践・日本語の作文技術』(本田勝一)
をみてみます。
そこには、読点の原則が二つ書かれています。
「長い修飾語が二つ以上あるときその境界に点をうつ(略して『長い修飾語の原則』)」
「語順が逆になったときにテンをうつ(略して『逆順の原則』)」
これ以外のところに読点を打ってはいけないとは書いていません。しかし、こういったことを強く意識していればいるほど、音読で切る場所と、作者が読点を打つ場所は、違う場合があると考えるようになるのも当然といえるでしょう。
■「、」で1拍、「。」で2拍という指導法
ある朗読講座に参加したときのことです。講師が、「、」で1拍、「。」で2拍は古い指導法だということを言いました。理由は、読点については上述のようなことであり、間については内容によって変わるものだということでした。 この理屈も納得できます。実際に、プロの朗読を聞いていると、間の絶妙さに引き込まれるような思いがするときもあり、その間の取り方が、「、で1拍、。で2拍」というような機械的なものではないことはあきらかです。
■教育実践の論理
本田氏は、新聞記者です。講師は、アナウンサーです。それぞれ、文章のプロであり、朗読のプロです。その人のいうことですから、正しいことには違いありません。とはいえ、それは、新聞記者の理論であり、アナウンサーの理論です。専門家の理論、科学の理論を学び、参考にすることは、指導者にとって大切なことはいうまでもありません。だからといって、それをそのまま教育現場に持ち込むことが、子どもにとってよいとは限りません。我々が立つべきところは、別分野の専門家の理論ではなく、教育実践の理論です。
■先に一文字でも切ることを示す
文章、朗読の専門家と教師が一般的に指導してきたことは、どうやら違うようです。その上で、別分野の専門家の言葉を鵜呑みにするのでなく、教育現場に合わせて生かしていくべきです。では、読点と連れ読みにもどります。連れ読みの最初の段階では、私は、句読点全てで切ります。理由は、以前にも書きました。子どもが混乱しないからです。例えば、会話文の「」があって、そのすぐ後に、「~と、いいました。」が続く場面では、「と」一文字で、切ることになります。あまりに短いので、子どもが教師役をするとつい続けてしまったり、分かっていても「短すぎるから続けた方がいいのではないか。」と考えてしまうことがあります。こういうときに、教師が、いつも一文字でも切るということを指導しておけば、スムーズに流れます。文章としては細かくきれすぎですが、混乱は無くなるだろうと考えたわけです。まさに、教育実践の論理ですね。新聞記者やアナウンサーでは出てきにくい発想ではないでしょうか。
■やってみると良いこともある
かけごえの場面で、一文字ごとに切るということを混乱を避けるために仕方なく、やることにしました。ところが、やってみると、これが悪くないということに気づきました。
『一』
「一」
と、一文字ずつ連れ読みをしていると、だんだんかけ声と同じように、子ども達の声が大きくなっていくのです。最初は、細かすぎると思っていた間が、実は子ども達がしっかり息をすって、かけ声らしく読むことを可能にする絶妙の間になってたわけです。句読点ごとに切るのは、細かすぎるようですが、それなりにメリットもあるということです。私が、句読点ごとに切る理由は、もう一つあります。それは、子どもの視写の様子からきたものです。
視写の間違いからの発見
子どもの視写を見ていて、「連れ読みでは、読点ごとに切った方がいいな。」と考えるようになりました。1年生ですから、教科書教材の視写をしても、間違いがたくさんあります。やり直しをさせながら、続けていくと少しずつ間違いは減っていきます。その段階で、読点をとばすという間違いがなかなか無くならないことに気づいたのです。これは、当然といえば、当然かもしれません。何といっても、文字よりも読点の方が小さいということがあります。それに、写すときに、「くじらぐもが」とは覚えても、「くじらぐもが、」と、読点まではなかなか意識できないものです。
■視写の効果
その一方で、視写というものはとても有効な学習だとも思っていました。とてもシンプルで、そんなに教材研究をしなくても授業が成立する。そして、何といっても、くり返していくうちに、子どもの集中力や注意力が着実に高まっていくことを感じることができる。以前は視写をあまり取り入れていませんでした。しかし、子どもの伸びを重視するようになり、視写の効果も感じられるようになってきました。そうなると、この確実でシンプルな方法は、確かに時間はかかるが、とても効果的だということも確信するようになりました。小説家でも修業として、視写をするといいます。もちろん、目的もレベルも違うのでしょうが、少なくとも文章を職業とする人、あるいは職業としようとする人でも効果がある方法だということです。まして、文字を書き間違えたり、読点を見落としたりといったレベルなら、いっそう効果があることは間違いない、と今では確信しています。
■視写と音読の関連
それから、音読の際に、読点を重視するべきだと考えるようになりました。そこで、連れ読みの初期では、全ての読点で切るということを重視するようになったわけです。視写を続けていき、読点の見落としも修正させ続けていれば、確実に見落としは減っていきます。その過程で、連れ読みで全ての読点をくり返し意識させていることは、多少の成果を生んでいるのではないかと考えています。これが、私が読点ごとに切る、二つ目の理由です。視写と音読の関連でいうと、もう一つおもしろいことがあります。
■見落としがちな余白の重要性
視写において、読点よりも、さらに難しいことがあります。一マス空けや、一行空けですなどの余白です。一マス空けや、一行空けは、作者にとっては決して「余」った白い部分ではありません。とても重要な白い部分です。場合によっては、文字よりも重要な場合もあるかもしれません。音読でも、間を大切にしたいと考えています。
■視写の与えるクラス全体への影響
読点ならば、小さくても「、」が書いてあるのですが、一マスあけや一行あけは、何も書いていません。書いていないことが大事なわけです。しかし、当然、子どもにはこれは、見落としがちな部分でもあります。視写でも、なかなかこの間違いがなくならない子がいます。これも練習を続ければ、徐々に見落としの数が減っていきます。注意力が育つといっていいでしょう。視写が上手くなっていく過程は、クラスが落ち着いていく過程と一致しているような気がします。それは、単に視写が書き写すだけの行為ではなく、子どもの様々な面も育てているからだと考えます。
■音読と空け
以上のように、私は視写を重視しています。したがって、音読でも読点を意識させたいと考えています。そこで、本来は間を開けるのがふさわしくないような読点でも、初期の連れ読みではあけるようにしています。もちろん、連れ読みも子どもが上手くなってくれば、句点(。)ごとにするなど、少しずつ長くする場合もあります。この連れ読みを交代読みと呼ぶときもあります。子どもが教師役になり、読むときもあります。子どもが教師役をできるようになると、その分教師にはゆとりが生まれます。音読が苦手な子のそばについてやったり、全体に声かけをしたりすることができます。そのためにも、子どもが混乱しないように、読点ではどんなに短くても切るという約束が必要になるわけです。練習の上で、とても効率的な方法に交換読みがあります。教科書を交換して読む練習方法です。
3 執筆者プロフィール
岡 篤(おか あつし)先生
1964年生まれ。神戸市立小学校教諭。「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会(略称学力研)」会員。硬筆書写と漢字、俳句の実践に力を入れている。(2017年2月16日時点のものです)
4 書籍のご紹介
『読み書き計算を豊かな学力へ』2000年
『書きの力を確実につける』2002年
『これならできる!漢字指導法』2002年
『字源・さかのぼりくり返しの漢字指導法』2008年
『教室俳句で言語活動を活性化する』2010年
5 編集後記
音読を練習するうえで連れ読みと視写を重要としています。そのなかでも連れ読みは徹底して句読点で句切ることによって混乱をなくしていく工夫がなされています。
実践してみてはいかがでしょうか。
(文責・編集 EDUPEDIA編集部 福山浩平)
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