河原流社会科授業開き~「主体的」「対話的」な「深い」学びから~ (河原和之先生)(第2回「0から学べる社会科授業セミナー」)

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目次

1 はじめに

こちらの記事は2017年3月19日に行われた「第2回0から学べる社会科授業づくりセミナー」内で行われた、河原和之先生の講演を編集記事化したものです。
 このセミナーは「小学校と中学校をつなぐ社会科授業づくり」をテーマにしており、講座や実践提案、模擬授業が行われました。
 授業開きは、生徒の教科に対する意識を掴むのに重要です。授業や単元の最初をどのようにスタートするべきかを、河原先生流の具体例と模擬授業を合わせてご紹介させていただきます。

2 河原先生講演

これからの授業開きの提案

学習指導要領の改訂により、これからは思考力・判断力・表現力が重要になってくるとされています。「わくわく・楽しいだけ」の授業開きでは許されなくなっているのです。
 社会科=暗記教科というのは大間違い。社会科は「社会の構造やその背景にあるものを見つけ出すことが大切だ」ということを生徒たちに認知させることが重要です。

例)なぜスカイツリーの展望台の値段は2060円もかかるの?(経済)

経済を例に1つ。「なぜスカイツリーの展望台の値段は2060円もかかるでしょう?」
 (生徒)「景色がよく見えるから」
 (生徒)「作るのにそれだけお金がかかったから」などの意見が出てくるでしょう。
 そこで、ある矛盾を提示します。
 「先生は以前東京都庁に登ったとき、スカイツリーと同じくらい景色の良い展望台に無料で登れたよ」と、これはおもしろい矛盾ですよね。
 さらに、「私は都庁に行ったときにお金を取ってほしいと思いました。どうしてでしょう?」
 それは並ぶからです。都庁では2時間並んでやっと景色を見ることができました。一方スカイツリーは混雑しません。お金を高く払うこと=混雑を避ける。つまり、私は時間をお金で買ったのです。
 これは社会の仕組みになっています。「なぜ2060円なのか」を解く中で、経済の機会費用という概念を、言葉で教えることなく理解させることができるのです。

日常の出来事から概念形成

具体的な日常の様々な事例を取り上げて概念を導き出すことが重要です。そして、この概念を使って生徒達にグループワークしてもらうのです。
 「君たちの普段の生活の中に機会費用という概念はないのだろうか相談してご覧?」と、生徒達が話したくなるテーマ設定をすることが大切です。
 たとえば「USJに行ったとき、お金を払ったら並ばずにいける」「新幹線に乗ったとき、外でコーヒーを買うのと、車内で買うのとでは値段が違う」など、日常生活の場面から機会費用という概念を膨らませます。

「難解な問い」の設定

難解な問い」の設定が重要です。具体的には「タクシーを配車してもらうとなぜ通常よりも高くなるのだろう?」といったものです。ちなみに答えは「配車してくださったお客様をお迎えする間に、別のお客様を乗せられるかもしれない。その間無給にならないようにする為」なのです。
このように、勉強できる子もできない子も同じ土俵で勉強できるテーマ設定が大切。先生の授業は学力差のない、勉強出来ない子でも活きることができる授業だということをアピールします。「なんかこの先生面白い」「自分たちの日常を解いていく中で、教科書の内容がスッと入ってくるよね」そういう導入が大切です。
 数学の勉強では「基本問題→概念習得→応用問題」と解いていくでしょう。社会科でも同じように「基礎→概念取得→応用」の流れができるのです。基礎的な日常的な事象から概念をつかませ、その概念を使って日常の謎を解き明かすのです。

例)源氏物語は誰に対して作られたでしょう?(歴史)

歴史での導入の例もみてみましょう。「源氏物語は誰に対して作られたでしょう?」
 藤原道長には子どもがいました。系図をみてみると彰子がいます。この子は12歳という若さで結婚をしました。相手は一条天皇。この時代の結婚制度は今と違います。一夫多妻制もありますが、妻問婚といいます。男性が女性の家を訪ねるのです。
 さて、彰子さんは一条天皇に寵愛されて家に通ってもらったのでしょうか?いいえ、通ってもらうことはできませんでした。なにしろ、12歳は今で言う小学6年生の子どもです。そこでお父さんの道長は彰子を素晴らしい女性にするために内面を育てました。当時重要とされていたのが漢文と和歌の素養です。この2つを磨くために教育したのは誰でしょう?紫式部です。そして最終的に彰子は一条天皇の寵愛を受けて、道長は栄華を極めます
 では、最初に戻ります。源氏物語は誰に対して書かれたでしょうか?答えは彰子です。『源氏物語』は恋の手ほどきです。このことを押さえた上で源氏物語を学習していきます。

単元を貫くテーマ設定

1つのテーマを解き明かしていく中で平安時代の仕組みや、結婚制度や、摂関政治などを一気に開いてみせます。まさに歴史学習における単元を貫くテーマです。
 歴史学習で一番嫌われるのは「原因と結果」だけを扱うことです。これだけでは飽きてしまうからです。単元を貫くテーマを1時間使ってグループ学習していくことも盛り込めると良いでしょう。
 そして、その1時間のグループ学習を通して、教科書の内容が出来ているというのが理想の形です。したがって、文脈のある歴史を多面的に見ていくということを授業の導入で伝えていくことが大切です。

3 模擬授業

例)島根県の人口について

使用教材

日本経済教育委員会 教材検討委員会編「マジで知りたい日本あっちこっち⑥」

導入

現在の島根県は全国的に見て人口が少なく、高齢者が多く、学校数が少ないと言えます。
では問題です。「1876年当時、島根県と東京ではどちらの人口が多かったでしょう?」
 正解は「島根県が多かった」です。
 1876年当時、島根県の人口は103万人、東京都の人口は95万人でした。なぜ島根の人口が多かったのかというと、当時の中国山地での様々な産業、石見銀山の存在、歴史的には西回り航路の通り道にあたった場所だったなど、様々な要因があったのです。
 では次に人口が少なくなった理由を、木材・牛・瓦・和紙・そろばんからグループごとに分析してみましょう!グループはそれぞれ担当を決めて考えてもらいます。

~グループ発表~

【木材】
 生徒「木材が輸入されるようになってきた。」
 先生「日本のエネルギー転換ということ、木造建築の減少がみてとれるね。」
 【牛】
 生徒「輸入の増加、農業で使用されなくなった。」
 先生「農業の機械化がすすんで農耕でつかっていた牛を使用することがなくなりましたよね。さらに安価な牛肉の輸入もあるね。」
 【瓦】
 生徒「これまでの手作業から工場に。家で瓦を使わなくなってきた。」
 先生「手工業から工場化になりましたね。セメントとかに変わってきたということですね。中国山地は瓦産業が発展していたが、それが衰退してきたのだね。」
 【和紙】
 生徒「西洋の文化が入ってきて、障子が使われなくなった。製作の手間が洋紙の方が簡単にすむ。」
 先生「家の仕組みが変わった。生産過程・労働力の問題が関わってきたという事だね。」
 【そろばん】
 生徒「電卓に変わった。」

まとめ

 中国山地で行われてきた島根県の産業は、社会の産業構造の変化のなかで大きく変わりました。この変化が人口を減らす大きな要因となったのです。つまり島根県の人口の減少は自然的な問題ではなく人為的な問題だということがわかります。

 ただ単に減ったという事実だけを教えるのではなく、その背景にある経済的な構造や社会構造、時代、エネルギー革命によって変わってきたことを押さえておきたいです。

 生徒達にはわくわくどきどき・おもしろいということ、暗記ではないことを伝えます。今回はどうして島根県の人口が減ってきた理由を物を通して分析してもらいました。
 社会科は「考える教科」です。なにを知るかではなく、みんながどういう社会をつくるか?なにが出来るか?を考えることが大切です。これからの社会がこうあるべきだと、みんなで企画して発信していく教科なのです。

4 講演者紹介

河原和之(かわはら かずゆき)
 東大阪市の中学校に37年勤務。
 東大阪市教育センター指導主事を経て、東大阪市立縄手中学校を退職し、現在は授業のネタ研究会常任理事、社会系教科教育学会理事、経済教育学会理事を務める。(2017年5月22日現在)

5 著書紹介

続・100万人が受けたい「中学歴史」ウソ・ホント?授業 単行本 – 2017/4/13

続・100万人が受けたい「中学地理」ウソ・ホント?授業 単行本 – 2017/4/13

100万人が受けたい「中学地理」ウソ・ホント?授業 単行本 – 2012/6/25

6 編集後記

クラスにいる生徒全てが主役となれる授業づくり。河原先生の「学力差を感じさせない」という言葉がとても印象的でした。
 日常の何気ない出来事や状況を例示し概念を導き出すことで、勉強が苦手な子も、授業をうける楽しさを感じられるようになるのではないでしょうか?
 社会科は、なかなか「自分で考えて答えを出す」という経験をしにくい科目というイメージがありましたが、今回の河原先生の授業を通して、「社会科でも自分で考え、表現することが出来るのだ」とを感じました。
 (EDUPEDIA編集部 井上渚沙)

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