1 はじめに
本記事は、2020年11月29日にYouTubeでライブ配信されたROJE関西教育フォーラム「先生はどう働き、子どもはどう学ぶか — コロナ禍で問う学校のあり方 —」内で行われた、パネルディスカッションの内容を記事化したものです。登壇者である、漆紫穂子氏 (品川女子学院理事長)、妹尾昌俊氏(教育研究家)、隂山英男氏(陰山ラボ代表・教育クリエイター)と、菅原靖(本フォーラムを主催するNPO法人ROJEの学生登壇者)の4名が議論を交わしています。
今回は、「学校のあり方」をテーマとして、新型コロナウイルス感染拡大による臨時休校時、オンライン授業、教員の働き方改革、学校改革といったさまざまな話題を取り上げています。
※本フォーラムでは、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、適切な対策を講じています。
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2 パネルディスカッション
臨時休校が子どもたちに与えた影響
菅原:まずは最初に新型コロナウイルスによる臨時休校が学校の子どもたちに与えた影響についてそれぞれお聞きしたいと思います。それでは隂山先生の方からよろしくお願いいたします。
隂山:よろしくお願いします。このコロナ禍では、3月から約3ヶ月間休校になるという過去に前例のないことが起こりました。そこでいろいろなことがありましたが、実はよくなったことと悪くなったことがありました。
まず悪くなったこととしては、教員が衛生の専門家でもないのに学校内を消毒し、学校で勉強することができない子どもたちのために大量のプリント類を届ける必要が生じるなど、とても大変になってしまった点です。ところが不思議なもので、実はよいことも起きていたのです。その1つが子どもたちの体力が上がったということです。学校が休みとなり、普通は下がったと思いますよね。しかし、少し休養が増えたためにかえって子どもの記録が上がったという話があちこちから聞こえてきました。それから、学校の行事が非常に少なくなったので、学校の授業に専念できるようになり、子どもたちの成績が上がったという話も出てきました。
私の関係している学校でいうと、福岡県田川市では、「休校期間中に1年分の予習をしてください。そして授業が始まった6月から12月の間は、授業を3倍速で進めてください」とお願いしました。冬になるとまた休校になるかもしれないからということで、11月の今でもおおむねその通りに進めてもらっています。この予定でいくと冬休みから1月2月にかけては、1年分の学習をもう一度復習することができます。その結果、1年分の学習を家庭による予習、学校での3倍速の高速授業、そして総復習というように3回繰り返すことになります。ですから、絶対成績が上がるだろうという有効パターンになってきているわけです。このような大胆な発想をともなうことというのは、今回のコロナウイルスの影響による休校のように、体制を大きく変えなければならない必要性が出てこないとできなかったと思います。
その一方で、教科書に縛られていると思うところがあります。4、5月は授業ができなかったので夏休みの短縮を行いましたが、それは冷房の普及が進んでいるとはいえ、まだ冷房が十分ではないところもある中で、最も学習しづらい季節である夏に学習を進めなければならなかったということです。これによって、子どもが苦しい思いもしてきていると思います。要するに、地域間格差がとても現れてしまうのです。一言でいうと、学校マネジメントのあり方が地域によって大きく違うということになります。教育委員会、よりストレートにいうと教育長や学校の校長の判断によって地域間格差や学校間格差が大きく出てきてしまっています。そうした流れのなかで1つはっきり見えてきたのは、学校というのは実は地方分権の行政であるということです。文部科学省が決めている、全国均一の教育にはなっていないことがはからずも見えてしまいました。よって、学校の実態に即してこれから改革をしていかなければならないと思っています。
菅原:はい、ありがとうございます。それでは漆先生よろしくお願いいたします。
漆:生徒の変化だけではなく、まず大きな変化、よかったこと、困ったことについて話したいと思います。本校では4月13日から全てオンラインで授業をしました。その結果、夏休みも通常通りに取れている、感染対策をとりつつ部活動もできている、行事もやっているという現状になっています。そこで教員たちの中での大きな変化というのは、ヒエラルキーの逆転です。どうしてもベテランの教員は発言力があり新人の教員はそれを教えていただくという立場になりやすいのですが、特にこのオンライン授業の期間には逆転が起きました。
私たちの学校ではまずプロジェクトチームを立ち上げ、どのようにすれば全校でオンライン授業ができるのかということを一週間ほどで若手中心に検討しました。オンラインの扱いはどうしても教員の中で得手不得手があります。配信授業が一人ではできないという教員もいたので、次の一週間でみんなでオンライン授業に関する研修をしました。
そして通常通りの日程、時間割で授業を開始しました。そこで、若手の教員がいろいろ発言をしたり、 ICTに強い人が弱い人に教えてあげたりするということがありました。リバースメンタリングが進んだのです。オンライン授業が始まってからはほとんどテレワークでやっていました。しかし、一人の配信は心配という教員がいたので、そのような教員のためにほかの教員がはじめのうちは手伝いにくるということもありました。
少し話がそれますが、そこで1つ気がついたことがあります。小さい子どもがいる教員はテレワークの方が楽だと思っていましたが、実際にはそうとは限らないことが分かりました。1時間目の授業に学校に来ていた教員がいたのですが、「今までは朝に子どもを保育園に送るのは夫の仕事だったけれども、自分が家にいると子どもが自分のほうによってきてしまい、働きにくいので学校にきました」と言っていました。
そのような中で、よかったことというと、情報の共有が進んだことだと思います。Slack上では、「うまくいった」「こういうやり方があります」逆に「こんな不具合がありました」「こうやったら失敗してしまった」というように、よい事例や失敗した事例が積極的に共有されるようになりました。教員は、生徒のために少しでもよい授業をしたいと思っているのですが、そこに関わる情報共有が進んだのです。3年はかかるような改革が3週間くらいでできたという気がしています。教員は、生徒を守る仕事なので保守的になりがちです。今までの型通り行おうとすることが多いと思います。例えば、欠席連絡も電話の方が声が聞けてよいという人がいますが、共働きの家庭が多い今の時代は、メールのほうが便利なのではないでしょうか。このように、今回はいろいろな変更を行わざるをえなかったために改善した点もあると思います。
生徒にとっても、 よかった点と悪かった点があります。オンライン授業に関するアンケートを取ったのですが、よかった点としては、「ログが残るので復習しやすい」「自分のペースで進めることができるのでよい」という声などがありました。また、高校の上の学年の成績のよい生徒たちにとっては効果が高かったのですが、下のほうの学年の少し勉強が遅れがちな生徒に関しては逆に勉強がしにくかったようです。中学校の下のほうの学年は、勉強が得意な生徒と得意ではない生徒で層が2つに分かれるようなことも起きてしまい補習で対応しました。
したがって、これからデジタル化していくときに、オンライン授業を自分で受けられる生徒については問題ありませんが、伴走者がいないとできないような、勉強のやり方が身についていない年下の生徒や勉強が苦手な生徒には特別な配慮が必要ということに気づきました。そのほかにも雑談が大事ということや、学校に生徒が集い、顔を合わせてみんなで勉強するということの効果にも改めて気づきました。 隂山先生もおっしゃっていて、その通りだと思うのですが、多くの学校の教員から公立は公平性を重んじるためになかなかこういうことができないという意見が寄せられていて、公立と私立や地域の差というのがこのオンライン授業などによって非常に大きく開いてしまったということを私たちも実感しています。
菅原:ありがとうございます。それでは妹尾さんよろしくお願いいたします。
妹尾:子どもへの影響として、3つ申し上げたいと思います。まずは、大人もコロナ禍で大変で、子どもたちもストレスを感じていたと思いますが、苦しい子どもがいる一方で、全く負担なしという子どももいたことは確かだと思います。先日も、あるコミュニティスクールの委員をやっている関係で、部活動の話で少しディスカッションをしました。部活動の大会の縮小や中止で、教員が生徒のモチベーション低下を心配していましたが、生徒たちは意外と楽しくやっているということでした。ストレスを抱えていると思うけれども、いきいきとできる生徒もいるということがグッドニュースだと思います。
一方で気になることとしては、それの裏返しですが、苦しい子や辛い子もいた点です。子どもからすると、学校や図書館など、子どもの居場所となりそうなところが閉まってしまい、公園で遊んでいても怒られるということがありました。家があまり居心地のよくない子どもたちのことをどのように対応していくかは引き続き課題だと思います。それから学習面では、多様な子どもがいると思いますが、3ヶ月間の休校で子どもにとっては自由時間ができ、その自由時間を自分の好きな時間として楽しめた子もいる一方で、アウトプットするとか学ぶというよりは動画やゲームという消費的な生活ばかりになってしまった子も多かったのではないかと思います。
保護者や教員が、子どもたちが自分の好きなことをどんどん追求したり、探究したり、楽しいことをどんどん深めていったりする動機づけをできなかったということでもあるのかなと思っています。つまり、自律的な学習者を育てられていなかったという反省点は一番大きなものとしてあると思います。それにもかかわらず、学校再開後どうしているかというと、子どもたちが中心の企画はなく、教員たちがトップダウン的に修学旅行の場所を決めるというように、一方通行で学校生活が進んでいる地域も多いので、再度学校で重点を置かなければいけないことは何かを考えています。
オンラインのよさと対面のよさ
菅原:先ほど、漆先生の話の中で、対面で人が集うことの意味として、雑談することが大事だというお話がありました。ほかに、対面で会う意味として、ほかの人の価値観を知ることで自分の価値観が相対化されるということもあるのでしょうか?
漆:はい、あると思います。例えば、Zoomではブレイクアウトルームという機能がありますが、隣の人とちょっと話すというのができないのではないでしょうか。Zoomを使うと、顔を出すことによって、しっかりと話さないといけないという雰囲気になるので、試しに少し自分の意見を隣の子とシェアするという軽いコミュニケーションができなくなってしまいます。そのような点から、オンライン授業では自分の意見が相対化されにくいということはとても感じています。
菅原:なるほど、ありがとうございます。この意見を聞いて妹尾さん、どのようにお考えでしょうか。
妹尾:そうですね、オンラインにはオンラインの便利さ・よさがあります。コロナウイルスの影響が広がっているときやコロナに限らず、災害時などでリモートでやった方がよいというときは活躍してほしいと思うので、GIGAスクール構想も含めてもっと政府にはオンラインの環境の整備を進めてほしいと思っています。ただ一方で対面の一番のよさは、やはり五感で感じるということだと思います。例えば、今も「医療現場大変ですよね」あるいは、僕も当事者ですが「日本の子育てはいろいろ大変ですよね」と言われている中で、本を読んだりオンラインで話を聞いたりしてある程度理解することは可能です。しかし、話さない瞬間やその人の表情から読み取れるものがあるので、やはり対面や現場も大事にしながらそれぞれのよさをうまく活かしていけるとよいと思います。
菅原:なるほど、対面のよさというのは、雑談などによって、相手の価値観を知ったり、それこそ五感を使ったりというところにもあるということですね。ありがとうございます。対面で集まる意味というのが臨時休校で見えてきた部分があると思いますが、逆に今までの学校の悪かった面も同じく見えてくるようになったのではないかと思います。そのうちの1つが妹尾さんがおっしゃっていたように、学びの動機づけがなかなかできず、自立的な子どもたちが少なかったということだと思います。この点に関して漆先生はどのように見ていますか?
漆:妹尾さんのおっしゃる通り、先ほどお話ししたように、上の学年の上位の子は、自ら学ぶのでむしろ効率がよく、下の学年の勉強が苦手な子は、成績が逆に落ちる傾向があり、自立的に学ぶというのは、「叱られるからやる」というモチベーションである「外的調整」が強いと、なかなか「はい、一人でお家でやってください」と言われたときのコントロールが難しかったと思います。そのようなことから、本校の場合、ホームルームから全部オンラインでやっていました。そのようにしないと、朝起きて勉強すること自体もなかなか難しい子どもがいると思います。生活習慣などある程度は自己コントロールできるように育っていないと、いざこのような休校時は厳しいということはとても感じました。
学習内容の増加・授業時間数の減少
隂山:オンラインでも普通の授業でも基本は同じです。ですから、対面だから意欲が高く、オンラインだからこのようになるというより、やはり意欲づけが重要だということがいえると思います。
実は、田川市のほうで授業をやっていたときに、一年分の新出漢字を「小学校2年生以上は休校期間中に自分たちで全部やってしまいなさい」という指示が出ました。その結果が衝撃的でした。小学校6年生は3月の卒業する段階では60%くらいしか定着しないのですが、田川市では、休校明けのしばらく経ったところでテストをすると、78%習得していたのです。学年が下がるほどに成績が落ちていきました。これはなぜかというと、冷静に考えたら当たり前なのですが、6年生の方が勉強のやり方を分かっていて、基礎的な力が高まってるからです。
つまりオンライン学習にしても自主的な学習にしても、その学習を進めていくためには最低限の基礎力と目標、意欲、学習方法が必要です。なぜ学力が低い子ができなくて高い子ができるかというと、これは基礎力の問題です。あるいはその学習の仕方が分かっているかという問題です。それらを小学校の低学年の段階から習慣づけておかないと、繰り上がりがまともにできなかったり、九九を覚えていなかったりということになり、自主的な活動に入っていきにくくなります。そのような各発達段階に応じた学習が必要なのではないかと思います。
もう1つ、今日は5年生と6年生の算数の教科書持ってきましたが、何ページあると思いますか?
菅原:200ページくらいですか?
隂山:教科書自体は300ページありますが、授業時間数が減っています。だから、今までの学習方法での指導は、今や絶対にできないシステムになっているのです。しかし、誰もそのことを問題にしないので、私たちは「これだけやればよいですよ」という、「たったこれだけプリント」という教材を作りました。田川市では税金でコロナ対策として、「たったこれだけプリント」を配ってそれで予習してもらっています。教科書の1単元十数ページ分を2ページやればよいようになっているのです。子どもたちは喜んで5時間分を1時間でやっていて成績が急上昇しています。これがもう驚きでした。普通だときちんと教員が4、5時間かけて指導して平均点80点程度のものが、予習を入れて5時間を1時間分でやったら平均値が94、5点になった。しかも低学力の子も伸びてるということがはっきりしてるわけなのです。
そのような点で、教育現場と教育政策、その研究がバラバラであるという状況です。だから本当にこのような分厚い教科書を使うことが、子どもの学力を高めることにつながるのか、誰も考えてないのです。そして教科書が重くなってランドセルが重くなることで子どもたちが苦しんでいます。これは子どもたちの不登校の理由にすらなっていると思います。
これからの社会で求められる能力
菅原:次に、これから能力観についてお話を聞きたいと思います。こちらのスライドをご覧ください。
菅原:これからの時代は「予測困難な時代」と言われていて、その3つの影響としてグローバル化、情報化、技術革新が挙げられています。これを元に新学習指導要領における資質能力の3つの柱として、学びに向かう力・人間性等の汎用、知識・技能の習得、思考力・判断力・表現力の育成が挙げられています。このような、子どもたちがこれからの社会で生きるために育むべき能力についてお聞きしたいです。まず漆先生にお聞きしたいのですがいかがでしょうか。
漆:まず子どものためということをおっしゃっていましたよね。では、子どものためというのは何か、また学校は何のためにあるのか、根源的なところの概念を揃えていかないといけないと思います。子どものためというのは、「この国をこれからも存続させていくため」という意味や、「その一人ひとりの子どもを幸せにするため」とも取ることができます。そこで、学校教育は何を目指すのかという整理をする必要があると感じています。
私たちが大事だと思うのは、その子が幸せで周りの人にとってもその人がいることで幸せになるような人を育てることです。そのためには知識や技術の習得の前に、「何のために生まれてきて何のために生きていくのか」、「私はどのようなときに幸せを感じるのか」ということを、その人その人がまずその年齢なりに考えるということが必要だと思います。
例えば、最先端のAIで有名な東京大学の先生がいて、その人はアメリカに行けばお給料が二桁変わるくらいの人です。ですが、ずっと日本にいるので、「どうしてですか?」とある人が聞いてみました。すると、「私はAIをやればやるほど人間とは何かという問いが深くなっていきました。そうなると自分にとっての幸せはやっぱり人のためになることで、私は身近な人が喜んでくれたら嬉しいから日本からは出ないのです」と言っていたのです。そのように「何のために学び、何のために生きるのか」というところがあるからこそ、「このような勉強も人のためにしてみよう」「このようなことを身につけて仕事してみよう」となるのだと思います。まずは何のために生きるのかというところから始まるのではないでしょうか。
菅原:先ほどの意見を聞いて妹尾さんどのようにお考えでしょうか。
妹尾:最後の漆さんの話でいうと、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦先生も述べられているように、国や各学校は自ら進んで学習ができる主体性や自律的な学習者を育むことが大事だと言いますが、結局は「忖度する主体性」を育てているだけではないかという反省は大事だと思います。
自分の好きなことをやることで自分だけがハッピーになるだけではなくて、自分の好きなことをやっていく中で、周りの人もハッピーにできるということもあると思います。自分の幸せと周りの人の幸せのうまく重なる部分を高めていくということは、キャリア教育でも重要と言われていることだと思いますが、改めてそのような部分を子どもたちにも伝えたいと思います。人に嫌われようが同調圧力に負けずに、大事なことは大事だと言いつつも、柔軟に人の意見や見方を取り入れるということを子どもたちにも大事にしてほしいと思っていますね。
菅原:ありがとうございます。社会や学校で求められていることや幸せに生きることのバランスは難しいと感じたのですが、隂山先生はその点に関してどのようにお考えでしょうか。
隂山:日本では、日本の教育は画一的であまり個性がないと自虐的に思われていますが、そうではないと思います。21世紀に入ってから理系のノーベル賞受賞者数は、トップはアメリカですが、2位は日本です。実は今と似たような時代でイノベーションの激しい明治の文明開化の時代では、ペリー来航の3、4年後に、日本人が自前で蒸気船を作ったのです。前原巧山という日本人が作ったのですが、元々は嘉蔵という提灯職人です。かつて、宇和島藩の殿様が蒸気船を走らせろというとんでもない無茶な目標を立てて、とにかく藩の中で作れる人間を探してこいということになり、ただ手先が器用だというだけで選ばれたのです。
つまり、寺子屋の学習と知的好奇心、これぞ「陰山メソッド」のように読み書き計算ができればあとは好きなことをやってなさいというのが私の想いです。
漆:本当にその話その通りで、基礎がないとやはりダメなのです。昔、本校の中1で、勉強時間がいくら長くても成績が上がらないという子が、宿題をやっているところを見ていると、不思議な癖があるのです。何か書き終わるたびにシャープペンシルをトントンとやって時間潰すのです。そんな癖を直すために鉛筆の持ち方からはじめました。まずはメソッドというかその子にあった勉強方法を身につけることが必要かと思います。本校は探究型の学習というのをやっていますが、その子たちが自分の興味のある分野から「こういうものがあったら便利なんじゃないかな」ということをチームで考えてみます。例えば、台所の角の三角コーナーからフードロスの問題を考えて、自分たちにできる行動まで考えさせます。このような学習になると、驚くほど自主的に勉強するのです。数学が嫌いでも統計をやりだしたり、調べ物で朝7時から学校にきたりするのです。本当に興味があることができたり誰かのためになりたいと思ったりしたときに、筋トレとして腹筋・背筋・腕立て伏せをやるのと同じように、面倒なことでもやりだすということがあると思っています。
菅原:ありがとうございます。子どもが育むべき能力として、社会に求められる力と自分が幸せに生きること、そして自分が何のために生きるのかを問い直すことの重要性に気付きました。その要はメソッド、基礎ということですね。ありがとうございます。
教員の多忙化
菅原:ここで次のトピックに移りたいと思います。スライドをご覧ください。
菅原:先ほど子どものためとは何かという話をしてきました。子どものためにというのを合言葉に教員の多忙化も進んでいるかと思います。日本労働組合総連合会のデータによると、一週間の労働時間が60時間以上の教員の割合として、小学校教員が30.3%、中学校教員が48.3%、高等学校教員が16.1%となっております。また、文部科学省の出しているデータでは、小学校教諭が33.4%、中学校教諭が57.7%となっているのですが、ここで妹尾さんにお聞きしたいと思います。教員の多忙化が学校に与える悪影響というのはどうのようなものがあるでしょうか。
妹尾:そうですね、たくさんあると思います。子どもたちの基礎力や意欲あるいは探究的な学びも含めて子どもの好奇心を高めたいと思うと、教員たちがそのような学習方法をきちんと身につけ、その子に応じたレコメンデーションやアドバイス、問いかけがとても大事になってきます。
そうすると、教員は勉強をしていないと対応ができないと思うので、長時間労働となることで、子どもたちに対応するための教員の学びも阻害しているかもしれないということを心配しています。もちろん忙しくても勉強している教員もいますが、過労死リスクを抱えている方がたくさんいらっしゃいます。やはり教員のほうが探究的な学びができていなくて、それで子どもの探究的な学びが進むのかというところが気になっています。
教員が学び続ける意義
漆:これまでの教職課程で学んできた内容とこれからの子どもたちに必要であることが変化してきました。探究型学習では、ファシリテートする能力やカウンセリングする能力が必要となってきますが、そのようなことを私たちは大学ではほとんど学んでいないのです。テクノロジーの進化やグローバル化によって学びのスタイルが全く変わってきています。その変化する学びのサポーターとしての教員の資質能力に対して勉強が不足しているのです。そこにICT技術などあらたなスキルも身につけていかなければいけないのです。
菅原:自分の能力をアップデートすることが大切ということですね。教員の学びには様々な種類があります。教員自身が旅行をするなどいろいろな経験を積むことに対する意義をどのように考えていますか?
妹尾:学び続ける教師像は文部科学省がずっと言ってきて、教員自身も感じていると思いますが、狭い範囲での教材研究や教材準備だけではなくて、幅広く旅行や映画を見るといったことも何か授業に使えると思います。教員の仕事は境界線が見えないことも多忙の原因になっていますが、多様な経験から吸収できて、それが子どもたちの学びにもいつかは役に立つこともあるかもしれないということです。しかし、現状は教員が楽しく考えたり、いろいろ吸収したものをアウトプットしたりという時間が減っているのではないでしょうか。多忙な現場だと教員同士のインタラクションも減るため、個人の学びに加えて組織として学び続けられるかどうかという部分でも心配しています。
菅原:生徒が主体的に学んでいかなければいけない中、まず教員自身が自分から主体的に学んでいくことが大事ということですね。
妹尾:よく新学習指導要領のキーワードで「主体的・対話的で深い学び」と言われていますが、まず職員室が主体的で対話的になっているのかということです。職員室の中で学び、成長できる部分もあると思いますが、かつてと違いパソコンに向かいっぱなしの職員室にいると居心地が悪いからと各学級で個人が仕事をするようになってしまっています。お互いに学びあうことがないというのが当たり前になっているのです。かつては土曜授業の後に雑談をしたり、若手の教員の悩みを聞いてあげたりしていました。あの時代に戻れとは言いませんが、職場で学び続けることを大切にし、職場外やオンラインでの場などを両方大事にしてほしいです。
菅原:なるほど。さきほど漆先生の基調講演の中で知識のシェアの時代という話がありましたが、それを職員室の中でも行うことが大事ということですね。
教員が多様な経験を積むことに関してもう少し深掘りたいと思います。教員が学校外で学ぶことは生徒と社会を繋ぐ側面もあります。漆先生は品川女子学院でそれを実感されることはありますか?
漆:あります。「教員の常識は社会の非常識」と昔から言われていますが、実は私はそれがコンプレックスでした。祖父も父も母もみんな教員でした。私も大学を卒業してすぐに教員になりました。周りの友達と比べて、自分は一般社会のことを全然知らないのが不安でした。生徒は多様な職業に就くため、本当にそのままでよいのかと、それがコンプレックスになりました。そこで私はなるべく異業種の人たちと交流をするようにいろいろなネットワークを築いてきました。
品川女子学院では、中途採用も大切に考えています。例えば、現在前教頭で広報部長をやっている人は、奥さんが看護師で1人目の子どもは奥さんが育児休暇を取得し、2人目の子どもは自分が学校をやめて育てたという経験がありました。この経験が採用の決め手で、それから採用試験が終わった人たちは1年間企業に出張し、外の世界を知ってもらうようにしていた時期もありました。しかし、よその企業に行くと違う価値観が先に入ってきてしまいます。これは少し違うと思ったたため、学校を外部にオープンにして生徒も教員も外の人から学ぶことで補うようにと変えました。
学校の役割の肥大化
菅原:教員がゆとりを持つことで自分から学んでいくことが大事だと分かりました。しかし、教員がゆとりを持つのは難しいのが現実だと思います。妹尾さんの著書で教員の多忙化による最重要の課題は、学校の役割の肥大化ということを拝読したのですが、詳しく教えていただきたいです。
妹尾:いくつかの先進国と比べて日本の教員ほどマルチタスクにやっている人たちはいません。よく言われるのは事務作業が多いということです。それはその通りで減らすべきですが、様々なデータを見ると事務作業だけを四六時中やっているわけではないと分かります。一教員の仕事としては授業の準備や部活動、保護者支援などのやりとりが雑多にあり、給食の時間や休み時間も勤務時間として食育指導や安全指導を行っています。
理想論かもしれませんが、お昼休みの給食や教授的な活動ではないものはランチスタッフのような形で分業ができないのかと思っています。漆さんもおっしゃっていましたが、カウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどは2週に1回などの頻度だとなかなか重い事案は持たせてもらえず、連携するにも調整コストのほうがかかってしまうという問題があります。
小学校は半分以上の教員が26コマ以上持っています。コロナ禍の休校明けで余計に業務が多くなっています。勤務時間の中で授業準備をする時間がありません。しかし、1950年代の義務教育の骨格ができた当時は1日1時間前後自己研修のような時間もありました。要するに教員の仕事はそれだけクリエイティブで、大学教授ほどではないかもしれませんが、自分のための研修(好きなことを探究する)の時間などがありました。現在、平日に図書館でいろいろ調べている教員は皆無です。そのようなことも含めていろんな面で協業など教員の授業負担を減らしていくことも考えていきたいと思います。
授業準備時間の不足への対応
菅原:授業準備の時間が少ないことに対してどのように改善していけばよいのでしょうか?
隂山:日本の教科書には、日本の教育の問題点がそのまま凝縮されている気がします。教科書は中学受験に出てくる問題も含まれていて難しくなってきているうえ、授業時間も多くかかります。授業時間数が全体としても減っていますが、難しい問題を解くためには勉強時間を増やす必要があります。提供されているものと目標が大きくズレています。
要するに、学校現場と教育の研究と実際の教育政策がばらばらだと思います。時間をかけて勉強をすれば学力が上がるのはあやまりです。始業前(朝練)や土日にも部活動の練習をやっていますが、文部科学省は土日や朝練については言ってないですよね。つまりこれを進めているのは教員自身なのです。文部科学省に何とかしなさいなどと言うのは他律的でしょう。
もう1つ学校が考えないといけないことは、学力問題です。昔も今も子どもたちに学校生活の悩みに関するアンケートを取ってみると学習の問題と回答することが多いのです。子どもは十分に問題を解けないと、不安になり、親に相談します。親は宿題ができないから怒り、最後には議員に学力問題について訴えにいく場合もあります。
首長によると、ここ十数年間、圧倒的に教育と福祉に関する質問が増えたそうです。兵庫県のある教育長によると、市議会の半分の時間は教育委員会に関する議論だそうです。教育委員会は反論できないのです。議会の指摘に対して、教育委員会は「分かりました。改善します」としか答えられない構造となっているのです。文部科学省から降りてきていると思われている様々な事務作業自体は、市議会から発せられているのです。市議会で議論する大元は、子どもたちの学力問題に関する保護者の不満なのです。だから、学力が上昇した自治体は、同時に勤務時間も減少することが多いのです。なぜなら、保護者の不満が減少するからです。そうすると、余計な事務作業の時間も減少し、また子どもたちの学力が向上すると、授業自体も作りやすくなります。
また、大学の教職課程では、現場に応じた授業をしてほしいです。板書の技術を身につけるための授業が大学ではなされていないと聞きます。授業のときに子どもたちに何を問い、どんな活動させるかという授業のいろはのようなものが、急速に薄れてきているように感じます。そして、教員不足という問題も起こっています。一年間で定数の教員が揃うと、校長が自慢するということまで起こってしまっています。つまり、学校には教員が足りないということが今、日常となってしまっているのです。
しかし、これらの問題に対して、解決方法が一定ではありません。その点に関して、文部科学省に提案したいこととしては、現場でうまくいっている事例を広げることだと考えます。文部科学省は、文部科学省の方針に合っている実践は押し上げるけれど、現場のたたき上げの実践はなかなか認めていないように感じています。私も文部科学省に陰山メソッドを認めてもらえるように頼んだことがあります。しかし、文部科学省からは「あり得ない」というコメントが返ってきました。だから、よい実践を下からきちんと広げていく必要があると思います。これは、弊団体ROJEのEDUPEDIAの活動ともつながってきます。
教員が同じ方向を向くには
菅原:先ほどのお話の中で「バラバラ」ということがキーワードと考えられました。別の観点から考えますと、先ほど「子どもがゆとりを持つことが大事」という話にもあった通り、職員室の中で教員同士がバラバラに考えていくと、教員の働き方に変化をもたらすことも難しいとが考えられます。ここで、漆先生にお伺いしたいのですが、教員一人ひとりがバラバラの方向ではなく、一つの方向を向くために教員個人にどのような工夫ができると考えられますでしょうか?
漆:まず、「データでものを言う」ことだと思います。教員の中には「かつて自分はうまくできた」という信仰心が強い教員が多いと思います。学校の教員になる人はまじめな人が多いのです。まじめに勉強し、大学入試を突破し、教員となっているので、その方法がよい方法だと強く信じて、生徒に対してもよかれと思ってその指導方法を繰り返そうとします。データで見ると、子どもによってモチベーションの上げ方も異なってきます。例えば、成績上位者である場合、ドリル型の学習をするとかえってモチベーションが落ちることもあります。隂山先生のご著書にも「勉強はある一定の時間をかける必要があるけれど、それ以上すると逆に他の気晴らしの時間が増え、結果としては学力が落ちる」と書かれていますよね。
教員一人ひとりが「データでものを言う」という習慣を持つと、無駄な対立がなくなると思います。意見の奥には価値観があります。学校の教員も保護者も価値観は同じで「子どもが好きで、子どもに成長してほしい」と思っているのです。その点は同じですが、それぞれがそれぞれの信じている方法論にこだわると、意見がぶつかって、協力がしにくくなるのです。よって、子どもにとってどのような教育が効果的なのかというデータを取って、データに基づいて話をすると、もっと協力や情報共有ができるようになると思います。
菅原:ありがとうございます。ここで、教育研究家として、様々なデータを普段から使っている妹尾さんにお聞きしたいのですが、教員がデータを使って考えるというのは、教員にとっては馴染みのないことだと思います。教員がデータをどのように生かして、自分の業務改善などにつなげていくべきでしょうか?
妹尾:方法としては、いくつかあると思います。先ほど漆さんがおっしゃっていたのは必ずしも定量的なもの、つまり「◯パーセントの生徒は〇〇だった」ということだけではなく、自分とは違う考え方といった感覚的なものも含めて吸収していく必要があるというニュアンスもあると思いました。心理学や経営学などでは、「素人理論」や「現場の持論」という言葉があります。全ての教員に当てはまるわけではありませんが、ある現場で通用した持論をよかれと思ってほかでも適用すると、上手くいった子どもにしか目を向けなくなり、上手くできなかった子どもに対しては「家庭がしんどかったからかな」などと自分の都合のよいかたちで持論を展開、強化することがあります。
このように、バイアスがかかってしまう状態となります。「勉強する」「学ぶ」ことの意義の1つにこのようなバイアスから自由になることがあると私は思っています。例えば、多様な人々の話を聞いてみたり本を読んでみたり、またほかの人からフィードバックをもらったりということが考えられます。あるいは教員自身がよかれと思って行っていることでも、子どもたち自身が実際にどのように思っているのかを子どもたちに聞くことも大切だと思います。これらは教育方法や部活動の指導方法など、さまざまな面においていえることだと思うので、「こだわりが強すぎないか」「自分の持論だけで大丈夫か」といった疑いの目は持つべきだと思います。
もう一点、業務改善や働き方の見直しという点でいうと、目の前に控えている行事の目的を再確認することが重要だと思います。例えば、今回のコロナ禍で分かったこととしては卒業式の準備時間についてです。今回、卒業式の準備期間が一斉休校と重なり、十分に時間を取ることができませんでしたが、卒業式の準備時間に今後もそこまで取る必要はないのではという意見も出ました。また、来賓からのご挨拶も今回は紙で配布しただけとなりましたが、これに関してもコロナ関係なく今後も紙でも問題ないのではないかと思います(笑)
要するに、公立の小学校・中学校は「今までこうしてきたから」という前例を重んじるあまりに準備にたくさんの時間をかけてきました。コロナ禍によって、その前例を踏襲することはできなくなりましたが、それでも感動的な卒業式になったという声もありました。したがって、「卒業式にはどのような目的、ねらいがあるのか」「その目的に照らして、ここまで準備に時間をかける必要は本当にあるのか」という視点は卒業式に限らず、運動会でも修学旅行でも日々の授業でも必要だと思います。
また、学校の業務が肥大している理由として教員が丁寧すぎたり、教員自身の持論が強すぎたりするためという点もあります。一方で、教員だけを要因にすることはできない面もあると思います。例えば、授業のコマ数が多すぎるという問題は、教員定数の問題となるので、国や自治体も財政担当を説得していかなければいけない点だと思います。あくまでも、教員の意識や学校のマネジメントのみで解決できる問題ではないと思います。けれども文部科学省のみを要因とすることもできません。
教員同士のコミュニケーション
菅原:先ほどのお話の中で自分と異なるものを取り入れるという内容がありました。それがまさに職員室の中で主体的な学びをしていくというお話に関わっていくともおっしゃっていました。
漆先生にお伺いしたいです。先ほど、コロナ禍の学校に対する影響としてのICTの活用について、若い教員が年配の教員に教えるというお話がありました。そのように、教員同士がコミュニケーションを取るためにどのような工夫が考えられますでしょうか?
漆:教員同士が気持ちよくコミュニケーションを取るためには仕組みが必要だと思っています。教員同士が話すことができる機会、つまり職員会議という場を作ることも大切だと思います。かつて、会議の時間を3分の1に減らした経験があるのですが、結果としてコミュニケーションミスが起きたということがありました。教員同士がある程度の時間を共有することも重要となってくるのではないかと思います。
また、同じ教科間の教員」では情報交換するということがありますが、現在総合学習の時間に外部の人を呼ぶことが多く、教科の枠を超えて外部の情報を共有することが多くなりました。そして、デザイン思考やアサーショントレーニング、今回のコロナのオンライン学習といった新しく導入したものに関しては、年齢や教科に関係なく情報を共有する必要が生まれ、教員たちのコミュニケーションの活性化につながっていると思います。
学校改革のキーパーソン
隂山:妹尾さんにお聞きしたいことがございます。働き方改革が成功している学校もあると思います。そのような場合、学校内で誰がキーパーソンとなっているでしょうか?
妹尾:様々な例があると思います。学校行事の見直しといった業務改善のアイデアを出すのは、最前線にいる現場の教員が多いと思います。ただ、そこで校長がストップをかけてしまうと教員のアイデアは白紙となってしまいます。例えば、コロナ禍で若手の教員が「もっとICTを活用したい」というアイデアを出したとしても、校長がやめさせようとした学校もありました。このように、キーとなるのは校長だと思います。学習指導要領や教員の定数に関わるのは国の問題ですが、そのほかの多くの点は学校の中に裁量があります。例えば、修学旅行や卒業式に関することは、学校が自由に決めることができます。よって、校長が教員のアイデアに対してしっかりとGOサインを出せるかどうかが大きく関わってくると思います。
隂山:品川女子学院の改革のキーパーソンは漆先生でしたか?
漆:そうだったかもしれませんが、まだ20代と若手であったため、周りの教員と力を合わせてやってきました。校長が改革をすると早く進みますが、そうでなくても誰かが自分のできることを行い、それが本当に子どものためになっていると分かると手伝ってくれる人が出てくると思います。今自分には力がないからとかではなく、まず動いてみることが大切だと思います。そのような人が一人でもいることでこの先大きく変わるということがあると思います。
隂山:結局キーパーソンは校長だと思います。校長権限は法的にも大きく、学校教育の教育課程を編成できるのも校長です。ところが日本中の教員の中で校長になりたい人はほぼいないという現状があります。
行動変容につながる一言
菅原:それでは最後に視聴者の皆様の行動変容につながる一言をお願いいたします。
妹尾:今日は「子どものため」と思われていることが本当に「子どものため」になっているのかということをお届けしました。私は教員や学生の皆さんには自分のための時間も大切にしてほしいと思っています。自分の好きなことや楽しいと思えることを勉強したり、行きたいところに出かけてみたり、人の話を聞いてみたり。そのような自分にとってのインプットが多くなると、子どもへのアウトプットに繋がると思います。私も応援し続けますし、私自身も学び続けたいと思います。
漆:一人ひとりが当たり前を疑ってみることが大切だと思います。そのためには自分に問いかける言葉があります。「そもそもこの目的って何だっけ?」「いつでもそうかな?」「本当にそうかな?」「誰が決めたのかな?」そして変化の激しい時代において「今学んでいることが本当にそれでいいのかな?」と一人ひとりが疑ってみることが行動変容につながっていくと思います。
隂山:学校教育がよくなっていくために最も効果的で簡単にできる方法は、校長会が議会の傍聴に行き、議会と学校、そして議会の向こう側にある保護者の本音を学校が受け入れていくことだと思います。ぜひとも、首長と議会、学校がタイアップできるようにしていっていただきたいです。
3 登壇者プロフィール
漆紫穂子氏
品川女子学院 理事長
創立1925年の中高一貫校・品川女子学院6代目校長を経て、2018年より現職。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科卒。教育再生実行会議委員(内閣府)同校は1989年からの学校改革により7年間で入学希望者数が30倍に。「28プロジェクト」を教育の柱に社会と子どもを繋ぐ学校作りを実践している。近著『働き女子が輝くために28歳までに身につけたいこと』(かんき出版)
関連著書
妹尾昌俊氏
教育研究家、合同会社ライフ&ワーク代表
徳島県出身。野村総合研究所を経て、2016年から独立。全国各地の教育現場を訪れて講演、研修、コンサルティングなどを手がけている。中教審「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁において部活動のあり方に関するガイドラインをつくる有識者会議の委員なども務めた。ヤフーニュースオーサー、教育新聞特任解説委員。主な著書に『教師崩壊』、『「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』など多数。5人の子育て中。
関連リンク
関連著書
隂山英男氏
陰山ラボ代表(教育クリエイター)、NPO法人日本教育再興連盟代表理事
1958年兵庫県生まれ。岡山大学法学部卒。反復学習や規則正しい生活習慣の定着で基礎学力の向上を目指す「陰山メソッド」を確立し、脚光を浴びる。2003年4月、尾道市立土堂小学校校⻑に全国公募により就任、2006年4月から2016年まで、立命館大学教授に就任。立命館小学校では、副校⻑就任後、校⻑顧問を歴任。現在は、一般財団法人基礎力財団理事⻑、NPO法人日本教育再興連盟代表理事、徹底反復研究会代表を務める他、全国各地で学力向上アドバイザーを務める。内閣官房教育再生会議委員、文部科学省中央教育審議会委員、大阪府教育委員会教育委員⻑などを歴任。
菅原 靖(同志社大学社会学部2年・学生登壇者)
(プロフィールは全て2020年11月時点のものです)
4 編集後記
臨時休校になったとき、オンライン授業が実施できた学校とできなかった学校、自律的に学習できた子とできなかった子というように、コロナ禍により子どもの学力格差が大きく広がりました。自律的に学習することができる子はオンライン授業を通して成績を伸ばすことができましたが、自律的な学習が難しい子にとってはオンライン授業や休校期間の自主学習に取り組むのが難しかったと思います。
また、コロナ禍を通して、教員の業務が増え、学校行事が通常通り行えないことにより、学校行事の見直しが行われました。それにより、教員の働き方にも注目がいったのではないでしょうか。教員が抱えている事務作業が多かったり、「子どものため」と思うあまりに教員の労働時間が長時間にわたったりと教員の働き方には課題が多くあると思われます。この記事を通して、多くの教員がご自身の働き方を見つめたり、今やっていることが本当に「子どものため」となっているかを考えたりするきっかけとなれば幸いです。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 清川美空)
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