中学歴史〜日本の工業の発達と労働運動〜(自主学習用教材「こころの窓」第55回)

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第55回「日本の工業の発達と労働運動」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

お元気ですか。今日もがんばりましょうね。

今日のお題は、「日本の工業の発達と労働運動」です。

明治以降の日本の工業は、綿織物や絹織物などの繊維工業(せんいこうぎょう)が発達しました。特にヨーロッパから輸入した機械で糸を紡(つむ)いだり織物を織ったりすることで、今までの手作業とはちがって、格段に生産量が増えました。そして、大量生産ができるようになったため、生産された商品を清や朝鮮に輸出するまでになったのです。

また、日清戦争で得た賠償金を使って、九州の福岡に官営(国が経営する工場のこと)の八幡製鉄所を建設しました。そして、中国から鉄鉱石を輸入し、鉄鋼業の生産も始まったのです。このように、明治以降の日本は、繊維工業に代表される軽工業と鉄鋼業に代表される重工業の両面から工業を発達させていったのです。しかし、富国強兵をスローガンに工業の発達を最優先していった日本は、いろいろな問題も残しました。その代表的なものが、当時の工場で働かされていた人々のきびしいな労働です。

ここで、当時の労働をモデルに作られた「あ~野麦峠」という小説を紹介します。

山本茂実(やまもとしげみ)という小説家が、当時の工場の実態を取材しながらつくられた小説です。

明治36年、岐阜の貧しい山村の少女たちが100人以上、長野県にあった製糸工場に出稼ぎに行くのです。そして、そこには想像を絶するような過酷(かこく・・・ものすごく厳しい)な労働があったのです。朝6時頃には起こされて、朝食もろくにとれないまま、すぐに労働が始まります。休憩なしの労働が続き、昼にわずかな食事が出されます。そしてまた労働が始まり、夕方にもわずかな食事が出された後、夜中の10時や11時頃まで労働が続くのです。もちろん一年中休みの日はありませんでした。こんな労働が続けば、病気になる少女も出てきましたが、医者に診てもらうこともできず、薬も与えられないまま働き続けさせられたのです。そして、結核(けっかく)などの重い病気にかかると、実家に連絡され引き取りに来させたのです。しかし、すでに重病になっていたので、ほとんどの少女たちは家に帰るまでに亡くなったのです。主人公のみねという少女も同じように結核になって、迎えに来た兄に背負われ家に帰る途中の野麦峠で、亡くなるというお話です。

じつは、このような過酷な労働を経験した人たちによって、日本ではじめて労働運動(ろうどううんどう)というものがはじまってきたのです。働く人たちが労働組合(ろうどうくみあい)をつくり、会社側に労働時間を短くしてほしいとか、賃金を上げてほしいといったことを要求するようになったのです。この労働運動により、日本の労働者の生活はだんだんと良くなっていったのです。

もう一つ、日本の工業が発達する中で、問題となったのが公害問題です。栃木県の足尾(あしお)銅山から流れ出た鉱毒(こうどく)が原因で、下流に住む人たちの農業や漁業に大きな被害を出したのです。いわゆる足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)です。この事件で田中正造(たなかしょうぞう)という人が、初めて公害反対運動を起こしたのです。このように日本の工業の発展は、すばらしい良いところと、大きな問題の両方を持って発展していったのです。

では、復習問題にいってください!

復習問題

1.明治の日本の工業が、どのように発達してきたかをまとめてください。

日本の工業は、綿織物や絹織物などの繊維工業が発達しました。特にヨーロッパから輸入した機械で糸を紡いだり織物を織ったりすることで、今までの手作業とは格段に生産量が増えました。そして、大量生産ができるようになったため、生産された商品を清や朝鮮に輸出するまでになったのです。また、日清戦争で得た賠償金を使って、九州の福岡に官営の八幡製鉄所を建設しました。中国から鉄鉱石を輸入し、鉄鋼業の生産も始まったのです。このように、明治以降の日本は、繊維工業に代表される軽工業と鉄鋼業に代表される重工業の両面から工業を発達させていったのです。

2.工業の発達によって起こってきた問題についてまとめてください。

想像を超えるきびしい労働によって、たくさんの労働者たちが亡くなっていったのです。また、工場から出る排水や排煙によってたくさんの公害問題が発生したのです。

3.日本に労働運動がはじまったながれについてまとめてください。

過酷な労働を経験した人たちによって、日本ではじめて労働運動というものがはじまりました。働く人たちが労働組合をつくり、会社側に労働時間を短くしてほしいとか、賃金を上げてほしいといったことを要求するようになったのです。この労働運動により、日本の労働者の生活はだんだんと良くなっていったのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第55回「日本の工業の発達と労働運動」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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