【南風原朝和先生インタビュー】ROJE関東教育フォーラム『どうなる?大学入試~改革延期の今、何が必要か~』

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作成者: ROJE関東教育フォーラムさん

1 はじめに

本記事は、2020年7月12日にYouTubeでライブ配信されたROJE関東教育フォーラム『どうなる?大学入試~改革延期の今、何が必要か~』の収録終了後に行われた、南風原朝和先生へのインタビューを記事化したものです。

今回は、主に高校教育、高大接続、大学教育の現状について、南風原先生のお考えを伺いました。

※当フォーラムでは、新型コロナウイルスの感染を予防するため、適切な対策を講じています。

ROJE関東教育フォーラムの様子はこちらからご覧ください。

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パネルディスカッション

隂山英男先生基調講演

鈴木寛先生インタビュー

中村高康先生インタビュー

2 インタビュー

今回のフォーラムについて

最も印象に残った議論は何でしたか?

南風原:一番印象に残ったのは、鈴木先生が「学習指導要領はなくてもよい、法的拘束力はなくすべきだ」と仰っていたことです。パネルディスカッションの前半の議論で、「現在の大学入試は学習指導要領で求められていることから乖離しているため、高校教育も歪められている」と、学習指導要領に基づいた大学入試にするために入試改革があるように仰っていました。そのため、鈴木先生が学習指導要領廃止論者であるということには、整合性の面で少し驚きました。学習指導要領の必要性に関して柔軟な考えを持っておられることに関しては、私もそうあるべきだと思っています。学習指導要領は、「思考力・判断力」という、それ自体がどのようなものか、どのように高めるものなのかがわからない能力が中心に置かれています。その他の点も含め、私も学習指導要領そのものに問題があると感じていたので、鈴木先生が学習指導要領には批判的な考えをお持ちだということは、今まで鈴木先生の発言を聞いてきた中でも新鮮でした。また鈴木先生も将来記述式の試験を大規模共通テストに導入することをやめたほうがよいと仰っていたことも印象に残りました。

今まで見解の一致しない場面はありましたが、異なった意見の人たちが集まることでフォーラムをする意義があったと思います。

現在の高校教育について

南風原先生は「入試を変えて高校教育を変えるのではなく、高校教育そのものを充実させるべき」と仰っていましたが、具体的に高校教育をどのように内側から変えるべきだとお考えですか?

南風原:たとえば、英語に関して言えば高校ではどのような順番で指導していくのがよいのかなど、英語教育の専門家からの意見があるのです。それらの意見を聞くことなしに、入試の形式に合わせて高校教育の内容を変えるのは、やはり鈴木先生も仰っているように邪道だと思います。たとえば、英語の4技能をバランスよく、というのは短絡的に4つ均等に、ということではなく、技能間の学習の関係をふまえることが大切だと思います。たとえば、音読やリズムを大事にする英語学習をすることで、音声やリズムも助けになって英文を読めるようになり、内容理解が進むのではないか、そうやって読解力がつくのではないかと考えています。だとすると、音読やリズムを取り入れた英語学習は、読解のみの入試の対策にもなるうえに、確固とした英語力につながることが期待できます。当たり前のことですが、入試に即応した学習をさせることだけを目的に据えるのではなくて、どのようにすれば自分たちの生徒により力をつけさせることができるか、という観点から現場で授業内容をしっかり考えることが大切です。

一点つけ加えると、高校生は大学に行く人ばかりではないわけです。高校教育の内容は高校教育で十全に行うこと、そして高校教育の評価は高校の中で行うことが基本です。その上で大学に行きたいという高校生は、大学が「本学に入学したいのであればこのような勉強をしてください」と示すものに向けて準備をするべきです。そこをうまく接続することが大切だと思います。高校教育では大学に行かない人を含めて高校で学ぶべきことをしっかりと学んでもらうということが大切です。

では、大学入試の内容に縛られずに、高校教育をどのように改革していけばよいのでしょうか?

南風原:高校の教育を入試に寄せていくという部分はどうしても出てくると思います。理想は、寄せることによって、よりよい教育になるような入試問題であることです。鈴木先生が私立大学の一部で知識量だけを問うようなあまりよくない問題があると仰っていましたが、そういう問題を排除して改善していくところに共通テストの意味があると思うのです。それが共通一次試験が始まった理由の一つです。寄せがいのある入試を作るというのが、理想的な大学入試改革の一つのキーワードになると思います。また、私が勤めている高校の英語教育の方針を例に挙げましたが、一見入試に直結するようには思えない教育でも、実際は入試にもつながるよい教育があると思うのです。そういった工夫をしてほしいと思います。

また、高校の学習指導要領は、高校教育のためのものであって、学習指導要領にあるから大学入試で問わなければいけないというものではありません。学習指導要領それ自体が適切かどうかという問題もありますが、目的は高校教育のためのものということを意識してほしいと思います。

南風原先生は「高校の勉強は高校の中で完結させるべきである」と仰っていたと思うのですが、今の高校では習ったことをどの程度定着まで落とし込めていると思いますか?

南風原:高校の学習内容を生徒が十分に学べているかというとこれはかなり疑問ではあります。学習指導要領や教科書の内容を見るとやはり生徒たちが着実に身に付ける最低限としてはレベルが高いです。鈴木先生も仰っていたように高校が多様化する中で、すべての生徒に望むことのできるレベルとはかけ離れていると思います。高校はほぼ全入時代になっているので、皆が学習指導要領に応じた学習内容をしっかりと身につけられているのかどうかは、かなり疑問です。その意味でも、共通の学習指導要領というのは現実面でも無理があるかもしれないです。習得率は相当多様だと思います。

高校でも学習指導要領によらず、それぞれの学校で授業中やテスト中に生徒がどのような行動や回答をするべきなのかを、考えていく必要があるということですか?

南風原:それぞれの学校の方針で生徒に学習をさせようと考えなくても、実際にはそうなっていると思います。各高校の生徒の状況に応じて「中学レベルの学習内容も復習させながら、なんとか3年間で最大の学びをさせよう」などのように工夫していると思います。学習指導要領を守るということに関しては高校の先生方が臨機応変に考えられるようにしていくべきだと思います。

理解の本質を問うようなテストを高校の定期考査で作るにはどのような点に注意すればよいのでしょうか?

南風原:まず、定期考査でのテストの形式は記述式だとより本質を問いやすいと思います。たとえば、理由説明の形で問う、それをさらに他者に説明させる形で問う、などと色々なレベルで問いを重ねることで本質を問いやすくなります。

基本、テストは本当にわかっているかわかっていないかという、見えないことを測るものです。本当にはわかっていない人は授業中やテスト中にどのような行動や回答をするのか、また、本当にわかっている人は授業中やテスト中にどのような行動や回答をするのかを見るのがテストです。先生方は専門知識や経験から、本当にわかっているとはどういうことかを理解していると思いますので、それをテストにしていくということです。

選択式ではなく、他者に説明させるような高次な質問のほうが理解を測れるということですか?

南風原:定期試験はそれでできると思います。また、選択式でもテストの技術次第で、わかっている人はこれを選ぶ、ちゃんとわかっていない人はこれを選ぶというようなテストを作れば測れると思います。センター試験はそういう工夫を積み重ねて作られてきました。問題作成委員会だけではなくて点検委員会もあるのでかなり工夫して作られています。試験の翌日に新聞などに試験の内容を出してもほとんど文句が出ないですよね。相当テストの質がよいということです。

入試を含めた高大接続について

「大学の個別試験があるにも関わらず、共通テストに記述式の問題などを入れて全て詰め込もうとするからおかしくなっている」と仰っていましたが、共通の部分に必要な要素は何だとお考えですか?

南風原:それぞれの大学には、「自分の大学に来たい人はこれを勉強してきてほしい」という個々の要求がありますが、ほとんどの大学が共通に求めていることもあります。たとえば、「しっかりと文章を読める」ことや、「数学の基本理解がある」ことなどです。この共通部分に関して、全国の大学の先生がそれぞれに問題作りをしていたら無駄が多くなります。今年はこの大学の先生に作ってもらう、というように専任を設けることによって効率がよくなり、より作問に注力できるようになるので質もよくなります。共通部分は、大学がそれぞれ別に作るより、協力して質のよいものを作るということに意味があると思います

しかし、大学の多様化が進むなか、どうしても共通部分はそれほど大きくはなりません。大学入試改革のもともとの議論の中でも共通部分が膨らみすぎているという指摘があり、その認識はかなり共有されていたと思います。共通部分はスリムにして、各大学が求める生徒像として足りない部分は大学ごとにテストや面接をすればよいと思います。共通にする部分には、必要なものをどんどん入れていくのではなく、共通にする必要があり、かつ50万人規模で実施するのにふさわしいものを作っていく、と割り切るのがよいと思います。たとえば、英語のスピーキングも、もし共通に必要とされ、かつ、50万人規模で効率よく評価できるのであれば共通の部分に盛り込むべきだと思います。しかし、実際にはどちらの条件も満たしていないのではないかと思います。

共通テストをできるだけシンプルにして、それ以外の部分で高校と大学をつなぐようなイメージですか?

南風原:つなぐとは言っても色々なつなぎ方があります。たとえば大学のシラバスを高校のときから見ておくと、想像していた学科の教育内容と違うといった落胆も減るので、高校生は大学についてもっと理解し、大学は大学のどの学部や学科でどのようなことが学習・研究できるのかを伝えるように広報をする、というような歩み寄りが必要だと思います。高校ではそのような進路指導や進路選択をするという接続が大事です。それに加え、「入試では出されなくても、大学の進路に応じてこのような技術を身につけるとよい」などの指導が高校にあってよいと思います。

大学入学共通テストはセンター試験とは違って「思考力・判断力・表現力」を問う前提のもとで作られていると思いますが、大学入学共通テストは知識基盤型社会において妥当性はあると思われますか?

南風原:私は、センター試験と大学入学共通テストが思考力の点で大きく違うとは思いません。そもそも、「思考力・判断力・表現力」とは何なのかという疑問があります。実際、大学入学共通テストの試行問題を見てみても、作問者がよく思考して作った労作だとは思いますが、解く側にこれまで問われなかった新しく重要な能力が問われているのかというと必ずしもそうでもないと思います。むしろ、大学入学共通テストでは色々な要素に気を配る力のようなものが新たに問われている気がしていて、狙いは本当にそれなのか、それでよいのかと疑問です。

私は、「思考力・判断力・表現力」というスローガンを敢えて掲げることはせず、断片的な事柄の暗記だけではなく多方面からしっかり説明ができるか、というような「本わかり」を問うていくことが正しいと思っています。それはセンター試験でも努力してきたことです。センター試験までは測ることのできなかった思考力が、大学入学共通テストに移行した途端測ることができるようになるという考え方は間違っていると思います。単純な知識以上のものを測ろうと努力してきた結果がセンター試験で、その努力がこれからも大学入学共通テストに形を変えて継続していくだけのことです。不連続にガラッと変わるものではないと思います。

改革を推し進めてきた方々は、大幅に、不連続に変わると主張したいのかもしれません。しかし、テストは思考のプロセスや深い理解を問う方向性で作る側が努力を重ねてきたものであり、今後も連続的に改善が試みられる、そういうものだと思います。

しかし、センター試験までは理解の深さに関係なく知識が身についていれば正解だと言われていたのが、大学入学共通テストでは資料をもとに自分の知識から統合していく問題が加わりました。そこにはこれまでと大きく差があると思うのですが、どのようにお考えですか?

南風原:資料などを提示するのは思考力とは少し違うと思っています。短い試験時間の中で様々な資料に目を通して咀嚼するという問題の形式では、ある種の情報処理能力は求められると思います。しかし、思考力を測ることを最大の目的としたときに、試験に出された問題を1つ解くために5〜10分くらいの時間でクイックに働く思考力が大事なのか、それとも、たとえば歴史が転換した背景は何だったのかを調べ、継続して深く考え続けることができるという思考力のどちらが大事なのかという問題があります。私は、後者のように深く考えることが、その後大学で研究をしたり社会で仕事をしたりするために大事だと思います。

新しいものを見てクイックに判断する素早さも必要かもしれませんが、それは思考力の一部にすぎません。クイックに働かないものの、ある物事を自分の中で咀嚼しきれるまで長期間深く思考する力は大事なので、短時間で行う思考と、継続して粘り強く行う思考、その成果としての深い理解のどちらを重視してテストを作成していくべきなのかを考えていく必要があると思います。

そもそも大学入学共通テストでは、短い制限時間の中で試験を行なっている時点で、本質的な理解につながる長期的な思考力は測ることはできないということですか?

南風原:いいえ、「記述力が大事だから記述をさせる、思考力が必要だからその場で思考をさせる」という風に人は短絡的に考えがちですが、テストを作る側は試験を作る技術があるので、たとえば文章を書かせることはしなくても、ある程度記述力を測ることができます。また、深い理解に到達している人はこれを選ぶ、そうでない人はこれを選ぶ、という選択肢を大学入学共通テストにおいて作ることもできます。たとえば、「文章構成を推敲させる」選択式問題では、文章を書ける人はどこをどうすればよいのかすぐ分かりますが、書くことが苦手な人は文章のどこがどう悪いか分からないわけです。テスト作成の技術の問題です。深い理解や記述力をどのように測るか、50万人規模の入試で実施できるような選択式問題でそれらをどのように測るかの工夫が求められていると思います。

現時点で国公立大学の記述式問題は記述力を測る問題としては妥当性があるのでしょうか?

南風原:それぞれの大学は相当時間をかけて問題を作って採点しています。大学ごとに少しやり方は違うかもしれませんが、それが大学の個性であって多くの大学はよい問題を作り、採点をしていると思っています。記述式問題は、受験者数がある規模を超えると機械的な採点になってしまい本来の記述式問題のよさが消えるので、大学入学共通テストで記述式問題を課すのはやめたほうがよいと考えています。

入試そのものの意義を考えたとき、先ほど仰っていたことを踏まえ、テストの成績だけを見る必要はないのではないかと思えてきました。たとえば私の学部では「FACT入試」(注1)というものがあるのですが、そのようなレポートを中心にした入試はこれから増えていくのでしょうか?

(注1)FACT入試:時間無制限でレポートを作成して、それを元に面接をしてもらう。教科ごとに学校の成績なども総合的に見る入試形態。

南風原:増えていくのではないでしょうか。特に今回のコロナウイルスの問題で、おおぜいの受験者を同じ場所に集め、一斉に回答を開始させるという試験がかかえる困難が見えてきました。そのため、今後、時間をかけてレポートを作成して提出するという入試形態は、有力な選択肢になってくると思います。あと面接ならばオンラインでもできるかもしれないですね。

また、クイックな思考のほかにディープでロングな思考もあるので、人それぞれの強みが出せますよね。長期のレポートならものすごい力が出る人もいると思います。中村先生が「選択肢があるとよい」と仰っていましたが、私もその意見には賛成で、自分が最大限に力を発揮できるやり方で受けることのできる入試形態があるとよいと思います。それぞれの生徒が、自分が強みを伸ばしていけるようになれば、それは高校教育にとってもよいと思うので、一般的に入試形態を多様にするというのには私は賛成です。

現在の大学教育について

大学入学時には、外部試験の利用などを通して英語4技能を求める入試形態が増えていると思いますが、大学入学後に学生たちの英語能力を伸ばしていく英語教育環境は大学に十分にあるのでしょうか?

南風原:大学によって色々だと思いますが、東京大学だけを見てもだいぶその方向に変わってはきています。私たちが学生の頃に比べて、英語を総合的に伸ばしていく工夫はできていると思います。それに加えて、東京大学では修士課程の1年生ぐらいから外国で開催される国際学会に出ていく人も増えてきているので、英語を学ぶ、そして使用する環境が大きく変わってきています。しかし、研究とあまり関係ないところや、外国語教育と距離があるところでは、そのような環境はまだまだ整っていないと思います。何しろ日本の社会が、英語が話せなくても生きていける社会であることが大きいと思います。一部は環境がだいぶ変わってきましたが、全体として大学でどんどん英語が学べるという環境には、まだまだ遠いかなと思います。

実際入試の多様化によって、様々な特色を持った学生が増えてきていると思うのですが、大学教育においてどのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか?

南風原:やはり似たような学生ばかりが集まっているという環境は脆弱で、価値観が改めて問われることもありません。しかし、全く違う背景を持っている人たちの中では、自分の考えを相対化したり、場合によっては相手を説得しようとしたり、説得しようとする中で逆に説得されたりする経験を多く積めます。やはり組織として異質な人がいるということはとても大事だと思います。ただ、多様化といってもできる人からできない人までたくさんいるというような大学になってしまうといけないので、色々な強みを持っているという意味での多様化であればよいと思います。互いに刺激し合えるということですね。ちょうど自分たちが外国に行ったと想定してみれば、国内にいるだけでは学べないことが色々学べますよね。互いに学習し合える環境であるという意味で、1つの大学に通う学生が多様であることは重要だと思います。

私立大学の入試形態は多様化していると思いますが、国公立大学では一般入試で入学する学生が8~9割ほどで、AO入試で入学する学生は少ないイメージがあります。それについてはどのようにお考えですか?

南風原:その通りですね。東京大学は3000人のうちの100人ほどだけが推薦入試による入学なので、多様化を推進する観点からしたらほとんど影響がないのではないかと思われるかもしれません。しかし、実際は一般入試のみでも、数学が得意な人、英語が得意な人、スポーツが得意な人など様々な人が入学してきています。だから、多様化というのは入試で工夫しなくても実現できている面があります。入試形態の多様化というのは、たとえば東京大学の推薦入試もそうだと思いますが、色々な強みを持った人を積極的にとっていきたいという大学側からのメッセージかなというように思います。

英語4技能の導入について

最近の大学入試改革では、グローバルベースに合わせていくために英語4技能をバランスよく育成するという目標が掲げられていて、それに合わせて大学入学共通テストは工夫されていると思うのですが、実際には大学や進む方向性によって英語はほとんど使わない場合もあると思います。それを加味したうえで、大学入学共通テストに最低限必要な英語問題はどの程度を想定されていますか?

南風原:共通に必要とされる、かつ、50万人に無理なく実施できるという意味で考えると、現状で実施されているリーディングとリスニングだと思います。しかし、大学入学共通テストでは発音・アクセント問題・語順並べ替え問題、文法問題がなくなりました。他の英語学者のお話も聞きましたが、私は発音・アクセント問題も文法問題も、英語を運用していくために必要な基礎知識で、大学入試全体で共通部分になるべきだと思っていました。今回の大学入学共通テストでは、民間試験で4技能を測るので、そこにライティング・スピーキングも含まれることから、筆記試験での発音・アクセント問題、文法問題を削ろうとしたわけです。

しかし、民間試験の導入がなくなってしまったら、それらは完全に削られただけになり、4技能から離れていく試験になってしまいます。この辺りは非常に柔軟性と整合性を欠いているなと思っています。民間試験導入がなくなった時点で発音・アクセント問題や単語並べ替え問題を残すべきだったと思います。これらの問題はもともとセンター試験に入っていたのだからできるはずなのですが、誰かが意地を張ったか、手を抜いたか、少し違う方向に進んでしまっています。ここは見直して欲しいと思っています。発音・アクセントの問題を解けても本当に話せるとは限らないという批判や、語順問題を解けてもライティングができるとは限らないという批判もありますが、それはそれでよいのです。発音・アクセント問題が解ける知識を持っていることが今後活きる、そのために発音記号などを勉強していることが今後活きることに意味があると思います。だから、それらの問題がなくなったことはむしろセンター試験から大学入学共通テストへ劣化したところだと思います。

それでは、共通部分のテストで、発音・アクセント問題や語順並べ替え問題だけを民間試験で補い、民間試験とセンター試験を両方使うというのは現実的に考えてどう思いますか?

南風原:スピーキングとライティングを民間試験で補うということですね。各大学が独自に取り入れる、入試のオプションとしてはあると思います。しかし、今回の民間試験導入が頓挫しているところを見ると、共通する部分かつ無理なくテストをすることを目標にしようと考えたときは無理があるということですね。だからこれらは共通テスト以外で評価することを考えるのがよいと思います。

視聴者からの質問

現在高大接続が『挫折』の状況ですが、私は改革は必須と考えています。改革をしなくては日本の教育は大きく出遅れたと思うからです。そこで、今後の改革のスケジュールをどのようにイメージしているかを教えてください。

南風原:その方は記述式や4技能試験をするのが改革である、という国が進めてきたことに賛成する立場で仰っていると思いますが、「変えれば改革、改善」ではないのです。私は一つ一つ課題点が出てくるたびに、どのように対処すればよいのか考える立場です。たとえば英語教育の改革が出遅れたのであればどうすれば進められるかを考えるべきで、そのことについてもかなり英語の先生方が発言しています。もっと少人数クラスにしないとだめであるとか、英会話の教育のためには多くの時間がかかるので、他に充てていた時間を犠牲にしなくてはならないであるとか、英語教育そのものについて色々な議論があるので、それを踏まえて教育を変えていかなくてはなりません。何が遅れているのかや何を直すべきなのかを考えると、結局は教育を改善するしかないのです。そのためには、お金をかけて外国人の先生を雇用したり、1クラス15人の英語の授業を充実させたりすることなどが必要で、教育のほうを変えないでスピーキングテストの導入を待っているということではだめだと思います。

読者へのメッセージ

最後にフォーラム参加者やEDUPEDIAの読者にメッセージをお願いします。

南風原:最初にフォーラムの企画・運営にあたられた学生の皆さんに、貴重なディスカッションの機会をいただいたことを感謝したいと思います。事前に2回にわたって広尾学園まで来ていただき、私がそれまでに書いたり話したりしたものも読み込んだうえで、さらに理解を深めようといろいろと聞いていただきました。その準備の段階からここまでのプロセスが、関係した皆さんの良き学びの機会になっていたら嬉しいです。

ご参加いただいた皆様には、関心をもって視聴していただき、ありがとうございました。当日お話ししたことは、以下のもので補足いただければと思います。

  • 「大学入試のあり方に関する検討会議」第7回配付資料(2020年5月14日)

https://www.mext.go.jp/content/20200513-mxt_daigakuc02-000007071_6.pdf

  • 萩生田文部科学大臣への要望書(2020年7月5日)

https://app.box.com/file/687426859397?s=0xaom1hx6pcs98nqinyi1ohq5xx9lr8t

EDUPEDIAの読者の皆様には、教育について真剣に考えて活動しているこの学生たちの団体を今後もご支援くださいますよう、よろしくお願いします。

3 登壇者のプロフィール

南風原朝和先生

東京大学名誉教授/広尾学園中学校・高等学校長

1953年沖縄県生まれ。東京大学教育学部卒業後、アイオワ大学大学院教育学研究科教育心理・測定・統計学専攻博士課程を修了。東京大学で教育学部附属中等教育学校長、大学院教育学研究科長・教育学部長、理事・副学長、高大接続研究開発センター長などを歴任。文部科学省高大接続システム改革会議委員を務めた。
専門は心理統計学、テスト理論で、日本テスト学会副理事長。
※プロフィールは2020年7月現在のものです

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