子どもたち同士が対話し、「道徳的な価値の自覚」を深める授業を目指して

対話には相手に「どう思われるか」という自己防衛を越えた自己開示が必要です。だから教師は子どもたちと信頼関係を結ぶことが大切だし、子どもたち同士の信頼関係を広げながら同時に深めていくような姿勢を貫くことが求められます。
あなたのクラスの子どもたちは「授業中何を言っても受け入れてもらえる」と感じていますか?

そういった感覚が醸成されるかどうかは、まず教師がそのような聞き方、話し方をしているかどうかにかかっています。教師の在り方は子どもたちに伝わり、そして広がっていきます。もしあなたが「クラスの子どもたちが仲間の意見を聞かない」と感じているなら、まずは自分の聞き方を疑うべきではないでしょうか。

授業中、子どもたちは自分たちの意見がどこまで聞いてもらえるのか測りながら話しています。道徳のようなオープンな発問中心で構成される授業では、子どもたちの経験が少ない場合、「何を答えればいいのか」という不安が高まり、「話し出す勇気がもてない」という状況が生まれてきます。

そこで、ぼくは道徳の授業では特に、どのような意見でも認め、取り上げるようにしています。一見、取り上げる価値の無いような(たとえ、ふざけているような)発言でも、「〇〇君の意見についてみんなはどう思う?」と返すことで、子どもたちの考えが深まっていくきっかけになります。また、「え?」と思うような意見を認めることで、「何を話せばいいのか」という不安を取り除き、子どもたちの発話へのハードルを一気に低くすることができます。

道徳的でないような発言も全体に返すことでそれに反対する考えや、その子がどうしてそう考えるかを推し量ろうとする発言が生まれてくるものです。そのとき、教師は価値判断をするのではなく、子どもたちが考え合うような環境を作ることに徹すればいいのです。

そういう経験を積み重ねていけば、子どもたち自身がお互いの考えを認め合い、互いの発言の奥にある価値について深めようとする雰囲気をつくることができます。実際ぼくの経験上、道徳的ではないような発言に関心を示すと、子どもたちはそこからより一層意欲的に意見を交換するようになると感じています。

道徳の授業に正解はありません。教師が子どもたちの発言を教師の価値観で「表面的に」評価するようなことはできるだけ避けなければならないと思っています。
教師は資料を読み込んでその時間で深めたい価値に近づくための発問を用意したら、授業の中では子どもたちの自由な発想のひとつひとつに驚き、その奥にあるものに興味をもって進めればいいのです。道徳の時間における「いい授業」とは、資料をもとに子どもたちが考え合うことを通して、一人一人が「自己の生き方に対する自覚」を深める授業だと思います。

道徳的に正しい、見た目美しい発言ばかりが繰り返され、子どもたちが自分自身をふり返らないような授業を繰り返せば、その分学級の闇は深くなります。よい資料と適切な発問で構成される授業では子どもたち自身が道徳的な価値への自覚を深めていきます。そうすれば「自分の進めたい方向に引っ張る」ことはしなくてもよくなるのです。

子どもたちを対話に導くことを目指して、日々の全ての授業に取り組んでいきたいと思っています。

ブログ:心の教室~道徳とぼくと特活と~より

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