頼朝と義経の関係から「武士の世の中」への理解へ繋げる(千葉教生先生)

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目次

1 はじめに

単元を構想する時、「子どもの実態」「教師の思い」「学習のねらい」の3要素を考える必要があります。
具体的には、クラスの子どもの様子、実態をしっかり読み取り、その子どもたちに対して「こういう子どもに育って欲しい」というビジョンを指導者がもつ。そして学習指導要領に照らし合わせ、子どもが力をつけるためにどのような学習にしたらよいか構想し、そのための教材研究をする必要があります。
「子どもの実態」「教師の願い」によって、当然同じ学習でも単元構想や扱う社会的事象、資料も変わります。
そのため、問題解決学習が成立するために大切なことは、子どもが問題を生み出す時間を保証し、その問題意識に対して、調べたり、考えたり、話し合ったりする時間をきちんと確保し、それに至る過程を大切にする(場合によっては構想を修正する)ことです。
実践を参考にする場合は「自分のクラスだと、どのような展開になるだろう」「子どもたちはどのような発想をするだろう」と想起しながら読んでいただけると幸いです。

2 鎌倉時代とは?

貴族から武士へ

子どもたちはこれまでの学習で、古墳を作った豪族、大仏を作った聖武天皇、それに続く「貴族」中心の世の中について学んでいる。ところが、鎌倉時代から「武士」中心の世の中を学ぶことになる。この変化は子どもたちにとって驚きであろう。これまでの時代と対比して考えることで、興味や探究心が深まると考える。

3 「武士」中心の世の中を捉えるには

この単元では、学習指導要領より、「武士による政治が始まったこと」を理解することを目標としている。

武士による政治が始まったことの理解には、特に以下の点を押さえることが大切であると考える。

  • 武士は、所領(土地)を大切にしていた。
  • 幕府と御家人は、土地を媒介とした主従関係で結ばれていた。

しかし、子どもたちの武士や武士の世の中に対して持っているイメージは、次のようなものが多い。
①武士=刀を持って戦をする。
②主従関係という言葉から、単なる上下関係・身分の違いをイメージしてしまう。
③資料集等の、幕府の仕組みの図や、ご恩と奉公の関係図からは実感的なとらえはできない。                    

http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/syouen/kantan.html

4 主従関係に問題意識を持つには

そこで
①「武士の起こり」に注目!
②頼朝と義経の関係に注目!
できるような指導計画をたてるとよいと考える。

5 具体的には・・・実際の授業をもとに。

武士ってなんだろう(「武士の起こり」への注目)

これまで貴族中心の世の中を勉強してきた子どもたちが、「どうして武士がでてくるの?」「武士はどのように起こったの」ということに疑問や関心をもつ導入を工夫することによって、土地を守るために武士になったということに気づけるようにする。

☆導入に効果的な資料☆

〜平治物語絵巻〜

重文 平治物語絵巻 信西巻(部分) 鎌倉時代・13世紀 
静嘉堂文庫美術館蔵
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2836

〜児童の反応〜

  • Aさん 武士は誰かの命令で動いて、命は大切にしていないイメージがある。
  • Bさん 周りの人は、この人たちをどういう風に見ているのかな。
  • Cさん 貴族が武士をよけているように見える。

この資料から気づいたこと、不思議に思ったこと、調べたいことを出し合った結果、

  • 武士はいつからいて、どのように生まれたのか。
  • 武士は戦い以外の時は、どんな暮らしをしているのか。
  • 源平の戦いはどうなったのか。
  • 武士の世の中は、いつまで続くのか。

という学習問題が生まれ、これらのことを調べ発表する過程で

  • 武士は土地を大切にし、土地を守るために武装した。
  • 代表的な武士として、源氏と平氏がいた。
  • 源氏と平氏が戦った。            

ことをとらえていった。

児童から出た大きな2つの疑問

1.子どもたちが源平の戦いについて調べたことを発表している時、頼朝が平家を倒す戦いを関東の武士と始めたにも関わらず、(富士川の戦いの後)「途中で鎌倉に帰った」ことに疑問をもった子どもがいた。

2.また、源平の戦いで大きな功績があった義経が「最後に頼朝に殺された」という発表も「ええーっ」という大きな驚きを子どもたちに与えた。

この2つの疑問を解決しようという気持ちが子どもたちに高まっていった。

1.頼朝はなぜ鎌倉に戻ったのか(子どもが調べた内容)

  • 富士川の合戦の後、京まで攻めようとして、家来に止められた。
  • 関東の武士を味方につけた。
  • 鎌倉に戻り、侍所、その後公問所、問注所を作り、幕府の仕組みを整えた。
  • 鎌倉の街を整備士、まちづくりをおこなった。
  • 手柄を立てた武士に恩賞(土地)を与えた。

※当初予定になかった「鎌倉に帰った訳」を調べる学習が、頼朝の目指した政治への理解を深めていった。

2.どうして兄弟なのに・・・?(頼朝と義経の関係への注目)

義経は頼朝に殺されたという疑問を追究することで、主従関係の理解に繋げる。(義経は弟だけど、頼朝の家来の1人)
源平の戦いで、義経の活躍により平家が滅びたことを調べた子どもたちは、最後に頼朝は義経を死に追いやったという発表に、「ええーっ」という大きな驚きをもった。この驚きを「なぜだろう」という探究心や、武士の棟梁と御家人の関係への理解へと繋げたいと考えた。

○頼朝はなぜ義経を殺したのか(子どもが調べた内容)

  • 頼朝の許しを得ずに朝廷から冠位をもらった。(検非違使と言って、今の警視総 監のようなもの)=冠位をもらったことは朝廷の味方になる。
  • 平時忠の娘を妻にした。
  • 御家人である梶原景時や源範頼に「義経に手柄を取られた」と言われた。=義経の活躍を快く思わない。

※自分が頼朝だったら、義経を許せる・許せないと話しながら調べ活動をしていた子どもの会話を取り上げ、この視点を学習問題にすることにした。

6 問題意識から実感的な理解へ(1時間の授業から)

①『自分が頼朝だったら義経を許せるか』

〜子どもの発言から(抜粋)〜

  • 朝廷から冠位をもらったということは、朝廷の味方になること。頼朝は武士を中心としたかったのに、朝廷の力が強まるから、そうなると許せない。
  • 頼朝は絶対に差別しないところがすごい。よっぽどみんなから信頼されたかったんだと思う。弟だけ許したら差別。
  • 身分をもらっただけで弟を殺すなんて。
  • これくらいの位ならいいんじゃないの。
  • 義経は戦上手だし、生かしておけば後々頼朝を助けるかもしれない。
  • 義経がもらった冠位は、上から4番目のものだから、それだったら許せないと思う。
  • 敵側についたら頼朝が危険になる。

☆理解を深める資料☆

〜頼朝の下地状(命令書)〜
(本文)

家人で、私の許しを得ないで勝手に朝廷から官位をもらったものは、朝廷の家臣となったのだから鎌倉へ帰ってくることは許さない。

もし、尾張(愛知県)、美濃(岐阜県)の境の墨俣川(長良川)を超えて東に来るものがあれば、その者の持っている土地を取り上げ、死罪にする。

〜児童の反応〜

  • 頼朝は、最初にダメとはっきり言っている。
  • 義経も御家人の1人でしょ。
  • 義経はもらってはいけないって知ってたんだ。
  • じゃあ何で義経はもらったの?
  • 断ることはできたはず。だから自分の意志でもらった。
  • 嬉しかったんじゃない?
  • そういう理由だったら・・・頼朝は怒ると思う。

〜腰越状〜

http://1000ya.isis.ne.jp/1420.html
(本文 腰越状をやさしくしたもの)

わたしは、兄上の代官として戦って平氏を倒し、武士の名誉を輝かして、先祖の恥をすすぎました。恩賞にあずかるべきところを、思わぬおとがめを受け、心むなしく涙にしずんでおります。鎌倉にも入れてもらえないので、自分の考えも申し上げられません。しばらくお会いできないうちに、兄弟の愛情が切れたのでしょうか。まことに悲しいです。

生まれてまもなく父・義朝を亡くしてから、たくさん苦労をしてまいりました。いま、幸運にめぐまれて平氏をほろぼしたのは、わたしたちの父のうらみをはらすためでした。そしてわたしが朝廷から高い位をもらったのは、源氏の名誉のためです。わたしに野心のないことは、誓いの手紙を差し出して申し上げましたが、お許しがありません。兄上の広いお恵みの心をあおぎたく、お願いいたします。  義経

〜児童の反応〜

  • 勝手だと思う。ずるい。
  • 義経は、いいわけしているような感じがする。

②『頼朝が弟の情より大切にしたことはなんだろう』

頼朝が大切にしたことに話し合いの焦点を絞ることにより、「武士の世の中」「武士による政治」についての理解を深める。

〜児童の反応〜

  • 御家人からの信用。
  • 幕府を作ること。
  • 信用は大切だけど、弟を殺すのは複雑だと思う。
  • 義経を殺さなくても信用を取り戻せるかなど、決断が難しくて、多分夜も眠れなかったと思う。
  • 私も・・・・・許さない。
  • 私も許さないと思うけど、弟を殺したくない。

7 まとめ

具体的な歴史的事例を元に義経と頼朝の関係について考えることにより、鎌倉時代を理解する上で重要な「主従関係」を理解することができる。

特に「武士の起こり」「源平の戦い」について導入したことが、頼朝と義経への探究心・共感と結びつき「幕府」「主従関係」へのより深い理解へとつながったといえる。

8 編集後記

主従関係はイメージするのはなかなか難しいと思います。その中で、「頼朝と義経」の関係に注目することは、子どもの関心と主従関係の理解の2つの視点から見てとても有効であると感じました。自分の立場になって具体的に考えてみることは、「歴史の楽しさ」につながると思います。また、子ども一人ひとりへの支援の細かさには、驚かされました。子どものことを第一に考える千葉先生の理念には学ぶべきところがたくさんあります。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 齋藤千秋)

9 実践者プロフィール

千葉教生(ちば のりお)
元横浜市立小学校副校長
(公財)学習ソフトウエア情報研究センター マルチメディア教材研究会本部長
メディア教育研究会事務局
YSRS(横浜市学校レクセミナー)
横浜国立大学教育人間科学部一般派遣研究員(2006年度)

EDUPEDIAでの他の実践
「主体的な学びのために、1年生の最初に伝えること」
https://edupedia.jp/article/5972f65b3614bd000060aefb
「主体的な学びの基礎と、自ら学びを創り続ける子どもの姿」
https://edupedia.jp/article/59a4cf38d5d12c00000f25b8

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • とっても、興味深い取り組みですね。ここまで子どもたちに考えさせたこと、凄いと思います。日本には「判官贔屓」という歴史観があると思うのですが、その中でこれだけ頼朝視点で子どもが物事を考えるなんて・・・。
    私は歴史には疎いですが、頼家、実朝、公暁のそれぞれの事件も含めて、北条家絡みの「骨肉の争い」が起こった鎌倉初期がいったいどういう時代であったのかを学びたいなあと思っていました。
    この記事を読みながら、貴族政権の武力と武士政権の武力にどういう違いがあるのかも、自分はよくわかっていないことに気がつきました。

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