【校則の捉え方を対話を使って見直す】決定版 令和の校則 苫野一徳先生講演録

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目次

1 はじめに

この記事は2021年1月に行われた、みんなの学校安心プロジェクト主催「決定版令和の校則」を記事化したものです。この講演には、名古屋大学准教授の内田良先生、岐阜県の現職高校教員の斉藤ひでみ先生、熊本大学准教授の苫野一徳先生、弁護士の嶋崎量先生がご登壇されています。

本記事では、イベント内の苫野一徳先生の講演についてまとめています。校則問題について、対話という観点や哲学的な視点からお話されています。

斉藤ひでみ先生・嶋﨑量先生の記事はこちらhttps://edupedia.jp/article/60e5f245d02ba3d1f77e7152

☆こんな人におすすめ

  • 校則問題の解決策を考えたい人
  • 苫野一徳先生の校則問題に関する考え方を知りたい人
  • 校則問題に関する実際の自治体の取り組みを知りたい人

2 校則について実りのある対話をするために

校則をめぐる考え方については「信念対立」が起こりがちです。「信念対立」を克服するための考え方を紹介します。これをみんなが共有することができれば、建設的な対話ができると思います。

一般化のワナに陥らない

教育は多くの人が経験するものなので、誰もが自分の体験に基づいて議論をすることができます。しかし、自分の体験を過度に一般化して、さも誰もが経験したかのように考えてしまうことがあります。

校則を例にすると、
「自分の学校ではこのような校則があった。そのおかげでこういう自分になれた。だからどの学校でもこの校則を導入すべきである。」
「校則のない学校ではのびのびとした学校生活を送ることができた。だから校則はなくてもよいのではないか。」
というようなものです。

私たちは自分の経験からしか物事を語ることができませんが、それが悪いというわけではありません。ただ、私たちが教育問題を語るときには過度に一般化していないかということを意識しておくことが必要になります。ただ一般化してはいけないというわけでもなく、どういう条件を整えるとみんなに当てはまるものになるのかという考え方も重要です。

問い方のマジックに引っかからない

二項対立のような問いで「AとBどちらが正しいか」と聞かれると思わずどちらかが正しいと思ってしまいます。どちらかが正しいということは絶対にないので、どちらの考えの持ち主も納得するようなもっとよい考えを探すということが必要になります。つまり、第三のアイデアを出すということです。そうでないといつまでも対立が終わりません。

教育に関する対立はどのようなものであれ、行き着く先は「教育は社会のためのものか、子どものためのものか」というところです。校則も同じで、社会の規範になじむための校則と捉えるか、子どもの自由闊達な成長のための校則と捉えるかということが「教育は社会のためのものか、子どものためのものかという考え方につながります。これも問い方のマジックに引っかかっている考え方で、教育は社会も子どもも両方のためのものであると思います。

お互いの「欲望」の次元に目を向け合う

私たちは教育を語るとき、思わず「〇〇すべきだ。」「いや、△△したほうがよい。」というように信念を語り合ってしまいます。信念同士で語り合うと、一方の信念が滅ぼされるまでその対立は続いてしまいます。私たちが信念だと思っているものを欲望だと捉えると、共通理解が生まれる可能性があります。信念とは強固なものですが、その信念を支える欲望というところで話すようにすると「〇〇すべきだというのは実は◇◇すると安心できるという意味だったのですね。」というように、お互いの欲望を知り、見出し合うことで、お互いの欲望を満たすようなもっとよいアイデアを探るようになります。

また、「学校や教師VS生徒や世間という構図にしない」ということを守らないと敵対関係が続き、実りのある対話になりません。先生や生徒、保護者にとっても幸せな学校とは何かということをみんなで考え合うことが必要で、そのための場づくりをしていかなければなりません。校則問題に関しては学校の先生をたたく風潮があり、どうしても対立が続いてしまいます。先生にとってもよりよい学校とは何かということを考えると、欲望の次元に目を向けることができ、実りのある対話になるでしょう。

3 これからの教育の考え方

教育における「自由の相互承認」

市民社会の根本は「自由の相互承認」というルールに基づいていると考えられます。私はこれを人類最高の叡智だと思っています。まず、対等で自由な存在であるということを認め合うことが大切なのです。教育もこの考え方が土台になっています。そのうえで自由に生きたいように生きられるための力を確実に育むために公教育が存在していると哲学的に言うことができます。

これからの教育を考えるには、土台となっている「自由の相互承認」に基づいて考えていく必要があります。「どうしたら自由になることができるのだろう」「どうすれば自由になるための力を育むことができるのだろう」というところから考えるようにすると、対立も生まれにくいです。

4 校則問題を哲学的視点から捉える

自由な学校であることの必要性

「たえず権威に全面的に従っているあなたの生徒は、何か言われなければ何もしない。腹が減っても食べることができず、愉快になっても笑うことができず、(略)そのうちには、あなたの規則通りにしか呼吸することもできなくなるだろう」

というルソーの言葉があります。私たちはつい子どもたちに指示を出したり、規制をしたりして教育してしまいます。そういうことばかり言っていると子どもは従うばかりで自分で考えること、やり遂げることをしなくなります。自由に生きることができるようにするためには、ある程度自由が認められた環境の中で、自分の自由を行使して失敗したり、他者と衝突して再調整したりという経験を積むことが必要です。枠の中にいると自由になる方法が分からないのです。

自由を奪われていると窮屈なので、他の人の自由も認めることができなくなってしまいます。そのため、少しでも自分が縛られている枠からはみ出た人に対して、子どもたちは「ずるい」という言葉を発します。そして、ずるいずるいと言い合って自由の相互承認の感度も下がってしまいます。

ある程度自由な環境下でないと自由になる力も自由の相互承認の感度も育まれないということを原則として私たちは理解しておく必要があります。そして、これを育む制度が公教育です。

自分たちで学校を作り上げる経験

自分たちの社会を自分たち自身でつくり合うという市民社会におけるルールとは「自由を奪うものでも上から与えるものでもなく、各人の『自由』をできるだけ実質化するためにみんなで作り合うもの」というのが近代のルールや法の本質です。

そのような市民社会において学校は自分たちの学校を自分たち自身でつくり合う経験を保証する必要があります。そもそも子どもたちが学校をつくりあげるという経験を積まずにどのようにして市民社会の担い手を育てるのかという話になります。若者が政治に興味がないと言われることが多いですが、自分たちの社会を自分たちでつくるという経験を積んでいないので、興味をもちにくいのも当然のことです。そういう意味で、学校とは市民を育む場であるという本質に照らして自分たちでつくり合う必要があります。

5 苫野一徳先生の熊本市での取り組み

熊本市では市をあげて、校則と生徒指導の抜本的見直しを対話を通して行っているところです。元来、生徒指導とは、自己決定の場や自己存在感を与え、共感的人間関係を育めるようにすることです。原点に立ち返ってそれを重視し、熊本市では教育長や教育委員のZoomで生徒・保護者・学校の先生が今の校則について対話の時間を作りました。教育委員会だけではなく、各学校現場で立場を超えて、みんなで話し合う場所を意識的に作っていけるとよいと思います。

6 プロフィール

苫野一徳氏

苫野一徳(とまの・いっとく)
哲学者・教育学者。熊本大学教育学部准教授。熊本市教育委員。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。著書に『どのような教育が「よい」教育か』『勉強するのは何のため?』『教育の力』『「自由」はいかに可能か』『子どもの頃から哲学者』『はじめての哲学的思考』『「学校」をつくり直す』『ほんとうの道徳』『愛』『NHK100分de名著 苫野一徳特別授業 ルソー「社会契約論」』『未来のきみを変える読書術』(筑摩書房)、などがある。

斉藤ひでみ氏

斉藤ひでみ(さいとう・ひでみ)
岐阜県高等学校教諭。2016年8月より「斉藤ひでみ」名で教育現場の問題を訴え続け、国会や文部科学省への署名提出、国会での参考人陳述等を行う。共著に『教師のブラック残業』(学陽書房)、『迷走する教員の働き方改革』『#教師のバトン とは何だったのか』(岩波ブックレット)、『校則改革』(東洋館出版社)。ドキュメンタリー「聖職のゆくえ」(福井テレビ)出演。本名は西村祐二。

嶋﨑量氏

嶋﨑量(しまさき・ちから)
弁護士、神奈川総合法律事務所所属。日本労働弁護団常任幹事。労働者側の立場で労働問題に取り組む。とくに教員の労働問題、若者の労働問題、ワークルール教育の推進に関心がある。著書に『5年たったら正社員!?−無期転換のためのワークルール』(旬報社)、共著に「ドキュメント ブラック企業」(ちくま文庫)、『迷走する教員の働き方改革』『#教師のバトン とは何だったのか』『「ブラック企業のない社会へ」(岩波ブックレット)などがある。

7 関連記事

☆苫野一徳先生の記事を読みたい方

☆斉藤ひでみ先生の記事を読みたい方

☆みんなの学校安心安全プロジェクトの過去イベント記事

8 編集後記

最近話題になる「ブラック校則」について、このような解決策があるのかと私自身勉強になりました。教育問題に関しては、信念の対立が起こることも多いと思うので、学校現場などが対話を重視した場所になるとよいと感じました。(編集・文責:EDUPEDIA編集部 千葉菜穂美)

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