社会科授業づくりについて その2 ~問題解決(的な)学習(高岡昌司)

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この記事は下記のようにシリーズとして投稿されています。是非、ご参照ください。
社会科授業づくりについて その1 ~(高岡昌司)
社会科授業づくりについて その2 ~問題解決(的な)学習(高岡昌司)
社会科授業づくりについて その3 ~自己評価(メタ認知)活動(高岡昌司)

問題解決学習

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「問題解決学習」はデューイの経験主義にもとづき、子どもが自発的に学習問題を捉えて、これらを追究し解決していく学習です。かつて、この「問題」をめぐっては様々な論争があったようですが、中でも、「有田−長岡」論争は子どもにとって問題が「切実になる」ことと「切実である」ことの違いで論議されました。しかしながら、いずれも子どもが問題を主体的必然的に捉え、思考する行為を伴って解決するという点では有田・長岡実践とも社会科教育を志す教師には最高の目標であり、社会科が向かう道標であると思います。
「問題解決(的な)学習」はこれまでの学習指導要領総則の中で示され、重視されています。単なる学習法の一つとしての捉えではなく、子どもが生活の中で直面する具体的な問題にどう立ち向うのかという問題解決行為そのものが学習原理とされ、実践的な生活主体者を育てることをめざしているからです。文科省の「生きる力」そのものであるとも言えます。

ところが、これまで研究協議の場などで、「問題解決的な学習を基本として授業をしている」又は、「問題解決的な学習は回りくどくて子どもがしらける」等の声が聞かれました。その内容は、いずれも教師から与えられた題材を児童生徒が単なる知識として抽象的に理解しているかどうかという中での話に終始し、かつての先達たちが論じてきた「問題解決学習」とはどこか違っているように感じています。私自身もこれまでの実践が「問題解決学習」の本質をはずしていなかったのかどうかと言われると、正直、自信はありません。「問題解決(的な)学習」が話題になる時、このようなことが頭をよぎっている状況です。

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知恵の創造

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 では、実際の授業の中で、私なりにどのようなことを意識したり、考えたりしてきたのか書いてみたいと思います。
社会科は、社会認識を踏まえた公民的資質を育成する教科です。簡単に言うと、社会事象をもとにして、より良いくらしを築く知恵を創造することです。そこで、子どもと生活の結びつきの中から、子どもたちが消費者として生活者としての自分自身を見つめるような言葉がけを大切にしました。特に、話し合いの場において、「自分がとる立場(主張や意見)」、「その根拠」、「よりよいものを創り出そうとする態度」などに視点をおいた言葉がけを意識しています。「問題解決的な学習」を進める上で、子どもと教師、子ども同士がお互いの立場を尊重しながら共同してより良い社会のあり様を考える集団思考が重要であると思うからです。
次に、授業場面をもう少し限定して考えてみます。

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問題をもつ場面

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 「問題解決的な学習」においては、学習問題をもつ場面が非常に重要であると考えます。島原洋編集長のブログでも紹介されている元教科調査官の北俊夫氏は、「例:ゴミのゆくえを調べよう」などの事実を認識するだけの学習問題では不十分であり、「例:人々が出したゴミをなぜ市役所があつかっているのか」などの社会のしくみや働きが見える学習問題を設定することを主張されています。要するに、一つの題材(ネタ)を窓口にして、その題材(ネタ)から社会の姿が見えるような学習問題へと高めていく教師の授業構想が重要であるということに、私も賛成です。しかしながら、子どもはいきなりこのような疑問や問題はもちにくいと思われます。
そこで、まず、一枚の絵(写真)や資料をもとにその子がもっている経験知や既有知識などの情報をどれだけ引き出せるかがポイントとなります。意外性のある教材、子どもの興味を引く教材が用意されることが期待されます。しかし、一般的な絵(写真)や資料等であっても、子どもから出された意見(「数・量」、「目のつけどころ」、「疑問や気づき」)を大いに誉めて認めていく中で、事象へのその子なりの問題意識が様々に見えてきます。出てきた感想や意見をカテゴライズする中で、「A君の疑問から~」、「Bさんのこだわりは~」など、一人の子又は、複数の子の問題意識に焦点化し、見つけた問題相互の関連や特徴(共通点や相違点)などからクラス全体の学習問題となるような言葉がけを行います。もちろん、その裏には、教師のしたたかな仕掛けや見通し、イメージがあります。ただ、子どもから出された意見は最大限尊重していく姿勢は大事にしています。
こうした一連のやり取りから、教師が与えた、つくった学習問題ではなく、子ども達が見つけだして検討してつくられた学習問題として、問題解決への最初の原動力になるものと考えています。

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問題について議論する場面

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私は、基本的に、議論を行う時に前もって座席表(A4紙に座席の順に子どもの立場や考えを記入したもの)をつくります。調べてわかったことを発表するだけなら必要ありませんが、追究活動から得たその子の考えや意見の広がり等をある程度掴んでおくためです。
話し合いの中で、座席表をもとに、発言されない意見(特に,発表しにくい子)を取り上げたり、同じ(違う)考えをつないだりするための教師用のデータとしています。
ここでは、子どもに十分しゃべらせたり、考えさせたりする場や機会を与えることが大切です。教師と子ども、子ども同士で共に学ぶという構えをつくるのです。
その言葉がけとして、「Cさんの意見をどう思うか」、「同じ(違う)考えのD君はどうか」など一人の発言をみんなで分かち合えるように働きかけます。また、一人の子の資料や考えにこだわる場を設定することもあります。例えば、「Eさんの資料によると~」、「F君の考えに賛成か?反対か?」など意図的に取り上げることで、取り上げられた子は自分の意見や資料が、みんなの役に立ったと感じます。周りの子にとっても「G君の意見のおかげで、気づけた」という意識をもつのです。例え、その子から出されたものが一般的な資料や意見であっても、Cさんの資料・Fくんの意見という位置づけをすることで、子どものこだわりや意識が変わるという手ごたえを感じています。その気にさせるということです。
「問題解決的な学習」の中でも特に、この議論場面では、一人一人が学習問題に対する「自分なりの考え」を明確にするということが重要であると考えています。立場や意見は同じでも、その理由や根拠が違う(逆に理由や根拠が同じでも解釈によって立場や意見が異なる)など社会的な見方や考え方を広げ深めるために、自分の立場を決めたり、出てきた意見に対して、賛成・反対の意思表示を行ったり、話し合ったりすることを教師からの働きかけとして意識的に行っています。

 実際の授業では、議論の結論が難しく、授業中に紛糾することもありました。しかしながら、その時、その状況の中で、お互いに、留保しながら、当面の間、一定の結論を出しいているのが現実社会でもありますから、問題解決的な学習を通して、社会の姿を疑似体験しているとも言えるのではないかと考えています。
 2つの場面に絞って、問題解決的な学習として、私なりに意識したり考えたりしてきたことを紹介させていただきました。
いずれにしても、教師の言葉がけがその子の問題意識に直結するものであるためには、授業中はもちろん生活場面においてもその子をしっかり探らなければなりません。教師の言葉がけが妥当かどうか常に問い直す視点が必要です。そのためには、その子との対話や振り返り、表現物などに見られる子どもの変容に敏感でありたいものです。その子の内面に迫るには、ハウツーではない教師の日々の絶えまない努力が求められます。
 次回は、評価について書かせていただきます。

※ 「授業づくりネットワーク(2009年9月号、12月号、2010年1月号、5月号)」(学事出版)や、学びの場.com実践事例集、「学び合い、分かり合う授業づくり」(明治図書)等ご覧いただけますと幸いです。

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