最後はとても個人的な話です。30年間、だれにも話していません。
犬をもらいに
学生時代、一時期、大学の近くに一人で住んでいたことがありました。勉強の方がひと段落着いて、実家に戻ることになりました。でも今さら大人ばかりの実家に戻るのは面倒でもあり、照れくさくもありました。実家にいると何かと親がうるさく言うし、自分も腹が立って怒ってしまいます。家族のムードが悪かったので、犬でも飼えばちょっとは楽しい感じになるかなと考えました。鵯越という所(源義経の「鵯越の逆落」として有名)にある施設で殺処分になる予定の犬をゆずり受けられるというので、バスに乗ってガールフレンドといっしょにそこを訪れました。
施設では、係の人が犬たちに会わせてくれました。全部で10匹ぐらいいたでしょうか。どの犬も人懐っこく私の足もとに駆け寄って来て、しっぽを振っています。その中から、とびっきり可愛かった子犬を抱き上げました。子犬と自分はすごく相性が合うような気がしました。
子犬をゆずり受けることになって施設を後にする際、他の犬たちがまだこちらを向いて尻尾を振っています。おそらく、多くの犬は引き取り先が決まらずに、殺処分されることになるのでしょう。施設のすぐそばには火葬場があります。犬たちが「ボクを引き取ってよー!」と言っているように思えて、かなりドキッとしたのを覚えています。確かに、一匹の命を救うことはできたのだけれど、たった一匹です。「犬の引き取りなんてしょせん偽善なのではないか」「一匹しか救うことができない自分は無力なのではないか」という思いが頭をよぎります。
そんなことは考えても仕方がないんだ、一匹しか救えないかわりに、この犬を十分にかわいがってあげればいいんだと自分に言い聞かせました。たった一匹の命でも、救えたのだから・・・。
後に彼を「ロン」と名前を付けました。麻雀であがる時に言う「ロン」です。ふざけた、アホみたいな名前です。
いやし
ロンは茶目っ気たっぷりで、人なつっこい犬です。私が昼寝をしているといつの間にか私の腹の上に座って、私が目を覚ますのを待っています。エサをあげた後で満腹のはずなのに、散歩の途中で次々に拾い食いをします。散歩に連れて行けと、夜も朝も吠えます。何かと吠えます。私が外出から帰ってくると、とびかかってきて喜びながら、おしっこをもらします。水やら救急車の音やらカメラをこわがってうなります。かわいがり過ぎてしつけに失敗し、すっかりアホな犬になってしまいました。
それでも大人ばかりの家族の中でアイドルとしてふるまって、私たちの心をいやしてくれる大切な犬でした。家族が大人ばかりになって何となくギスギスしてきていた実家にロンがやってきて、小川家はかなり明るくなりました。
震災
その後、私は結婚をして実家を離れて大阪に住むことになり、ロンと遊ぶ機会はすっかり減っ
しかし、それはかないませんでした。阪神淡路大震災です。
震災で実家は全壊し、家族は一命をとりとめて外に出たものの、ロンはどうも家の中にあった犬小屋の中で気絶をしていたのか、震えていたのか、しばらく鳴き声もあげなかったらしいです。壊れた家の中に入って父が鎖を外して救出してくれたらしいです。
私はバイクで大阪から神戸に向かい、職場(学校)を経て父母の避難している長楽小学校に向かいました。長楽小学校に着いた頃はもう町は夜につつまれていました。夜と言っても真っ暗ではありません。長田区では大火事が発生しており、空が赤く不気味に照らされていました。電気はストップしているのに明るいのです。不思議な光景です。
両親と会えて無事が確認でき、ロンも大丈夫だったことを知りました。後で実家を見に行きましたが、これが数年前まで自分が住んでいた家だとは思えません。よくあの状態で両親もロンも大丈夫だったものだと感心しました。ロンは小学校の近くの花壇のフェンスにつながれていて、私の姿を見つけるといつものようにとびかかってきます。興奮して、ずっとほえ続けてインした。きっと、動物たちだって怖かったんだろうな。
この町はガスタンクや石油タンクに囲まれています。火事はおさまりそうにありません。石油タンクやガスタンクに火事が引火したらどうなるのだろう。町は吹き飛んでしまうのではないか。ここにいてもいいんだろうか・・・。
震災後にベストセラーとなった妹尾河童氏の「少年H」はまさにこの辺りが物語の舞台となっており、長楽小学校も登場します。物語は戦争を描いており、この町が空襲で狙われたのは工場が多かったことと、石油タンクがあったことが一つの理由だそうです。戦後50年になって再び町は火に包まれてしまいました。
母とロンは何とか助けてあげたいと思い、長楽小学校を出てタクシーを探しに行きました。
大通りを歩いていると消防士が燃えるビルの前で立ち尽くしています。大阪の八尾市からかけつけて下さったとのことです。消防車のタンクはすぐに空っぽになったそうです。消防士さんと並んでしばらくそのビルを見ていると、突然爆発音がして窓から炎が噴き出てきました。まるで映画のワンシーンのようです。道を挟んだ場所にガソリンスタンドがありました。こんな所にタクシーなんて走ってくるわけがありません。人も車も全然通っていないのに。
なすすべがないという言葉がこんなに当てはまる状態はありません。いたる所で家もビルも崩れ、辺りでは朝から燃えていたという火事の炎がまだ広がろうとしていました。
いったいどうなるんだろうと思いながらずっと道路を歩いていたら、偶然にもタクシーが私の前を通り過ぎました。大きく手を振ってタクシーを呼び止めました。大阪から、家族を救いたい人を乗せて、危険を承知でここまで走ってきたそうです。これから大阪に戻ろうとしているところだと言います。ロンと母を乗せて私の住む大阪のマンションまで運んでもらうように頼み込み、なんとか脱出をする手はずが整いました。
逃がされてしまった
私と父は神戸に残って、一晩を過ごすことにして、母と犬はタクシーに乗り込ませ、大阪へと送り出しました。
途中、ロンはタクシーの中で鳴きわめき、もどし、おしっこをちびったそうです。私の大阪のマンションに着いた後も夜中ずっと家の中で吠えまくっていたそうです。それで、母がご近所に気を遣い、裏の公園の木につないでおくことにしたそうです。公園でもロンは吠えまくっていたそうです。とんでもない震災を経験した後なので、そうとう不安だったのだと思います。
朝になって見に行くと、公園の木にはロンの鎖と首輪だけが残されていたそうです。近所の誰かが夜中にうるさくほえる犬の首輪を外して逃がしてしまったようです。震災1日目の夜は、みんな不安だったろうから、犬がうるさくほえると眠れなかったのだと思います。それにしても、鎖だけ外して首輪はつけておいてくれたらよかったのに。首輪を外されてしまえばただの野良犬です。
すぐに探しに行ったそうですが、広くて入り組んだこの大阪の街で犬を見つけるというのは簡単なことではありません。
私は、2日目の夜おそくにマンションまで戻ってきました。ほぼ眠ることが出来ずに、ずっと頭がパニック状態、緊張とストレスでくたくたです。2日で1週間分ぐらい働いた感じです。ロンが逃がされてしまった話を聞いて、かなりのショックを受けたものの、疲れ切ってもうこれ以上体が動かないし、頭も回りませんでした。
探しに行かなかった
次の朝もすぐに職場(学校)に向かいました。その前に、ロンを探しに行くかどうか、迷いました。
頭の中で優先順位が壊れっぱなしの3日目です。「
被災地はすでにお手上げ状態。人の手が足りないと言っても、私1人が現場に行ったとからといって、さして状況は良くならない事は分かっていました。今、書きながら気が付きましたが、あの震災に際して私が誰かの命を助けられたということは1人としてありませんでした。どうしようもなく無力でした。とんでもない自然の力の前では、人の命は簡単に奪われてしまいますし、大災害と闘うには、人の力は小さすぎます。
それでもアドレナリンは出っぱなしです。ニュースを見るたびに死者数が増えています。被害状況の深刻さもどんどんわかってきました。教室に安置されたたくさんのご遺体。その前で、家族がだまって首をうなだれている姿も見てしまいました。学校職員としての業務など完全に破綻しています。学校の子供たちがどうなっているのかも分かりません。
思えばロンと過ごしていた時期は、教員採用試験に落ち続けていた時期です。無力な自分でも少しでも何か、誰かの役に立つことができればと思って教師になったはずです。この一大事に教師として役に立たなくて、どうする?
バイクに乗って、再び神戸の街へと向かいました。
きっと、ロンは、犬は、戻ってくる。犬には帰巣本能というものがあるとかいうじゃないか。
私はロンを探しに行きませんでした。
後で知った話ですが、消防士の中には職務を優先して自分の家族を助ける機会を失った方もおられるそうです。それほど過酷で、
「戻ってくるかもしれない、誰かが保護してくれるかもしれない」・・・そう自分に言い聞かせてズタズタになった道を走り、学校へ。
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結局、ロンは帰ってきませんでした。
こわがりで、アホなロンに初めて来た私のマンションに戻ってくるのは難しかったのでしょう。見知らぬ大阪の街の通りは複雑です。
寒い中、車の多い街を、傷ついた心で迷子になっていたのかなあ。首輪もつけていなかったから、野良犬としてつかまってしまったのかなあ。いったいロンはあの後、どうしていたんだろう。せっかく施設から引き取った小さな命を手放してしまいました。
ごめんなぁ、ロン。
そして、ありがとうな。君は僕たち家族にたくさんの幸せをくれた。愛らしい君のおかげで、地震で壊れてしまったあの家には笑いがあふれていたよ。
幸せだった日々を、ありがとうなぁ
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