岩手県中学校の地震発生時の状況と対応(佐藤謙二先生)

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作成者: 佐藤謙二さん

はじめに

本記事は、東日本大震災発生時に、岩手県内の中学校に勤務していた佐藤謙二先生により執筆されました。

また、本記事の内容は、朝日新聞社「朝日Teachers’ メール 資料室」
http://nie.asahi.com/ )にも掲載されています。
http://nie.asahi.com/bousai/satou-bousai1.pdf

地震発生時の状況

平成23年3月11日午後2時46分、校長室で校長先生と面談中だった。校舎が揺れたが、三陸沿岸ではいつものことと平静だった。しかし、揺れが止まず、隣の職員室のロッカーの書類が床に散乱した。すぐに立ち上がり走った。防災機器の警告音が大きく鳴り響くなか放送用マイクを握った。しかし、停電により使用できなかった。10メートル先のハンドマイクに向かって、プリントや教科書を踏みながら職員室のフロアーを走った。揺れが大きくて、まっすぐに走っているつもりだが、ジグザグになった。机に体をぶつけながらたどりついた。ハンドマイクを持って職員室前のロビーに出た。3年生男子数名が生徒用玄関から外に出たのが見えた。その1秒後、生徒が元いた所にコンクリートのかたまりが2階部分から落ちてきた。畳1枚分の砕けたガラスとともに。

警告音に負けないように大声を出し、ハンドマイクで2階から4階の教室に向けて「全員机の下に入れ」「指示があるまで動くな」と叫んだ。(本校校舎は吹き抜けのため1階からでも大きな声であれば届く。)地震がおさまった後、避難誘導した。通常の避難経路は危険なため、別のルートで避難させた。生徒らは恐怖心で表情を失いながらも、パニックにならずに列をつくり、冷静に階段を下りて校庭に避難した。

避難訓練で行っている通りに校庭で点呼した。校舎内にいた1~2年生と3年生の一部は全員無事。ただ、すでに下校した3年生のうち臨海部の学区の生徒は、下校途中または、自宅にいたはずだった。指導した通り避難したことを祈った。(臨海部付近の通学路は、市が作成した想定浸水区域に入り津波の危険が高いので、登下校時には最寄りの高台に避難するように指導していた。)それから震度3レベルの余震が何度もあった。校庭には地割れが走り、学校前の家は屋根瓦が落下していた。電線が低くたるんで大きく波打った。

激震だったので、津波は来ると地震の発生時から確信していた。そのうち、大津波警報が発令された。本校は海から2.4キロと遠く離れた所に立地している。しかし、大津波警報であれば、海抜5メートルの校庭は危険だった。学校長が指示し1キロ先にある高台の神社に向けて全員で走った。

神社では雪交じりの中、ラジオからの情報に耳を傾けた。運動着だけの生徒がほとんどであった。頻発する余震と真冬なみの寒さで体が震えた。夕闇迫るなか生徒の保護者、祖父母や知人が迎えにきた。担任はどの生徒を誰にいつ引き渡したかメモした。ただ、低い場所に家のある生徒は安全面から下校させなかった。その日は避難所で過ごすことで理解をしていただいた。海抜が高い山側に家のある生徒については、教師が複数付き添い、集団下校させた。夜になり、神社近くの避難所に移動した。炊き出しのおにぎりが、疲弊した体と心の栄養剤になった。なお、後日わかったことだが、近隣の市町に配られたそのおにぎりなどは、自身の自治体が甚大な被害を受けたにもかかわらず、「結い」の心で隣接する市町に救援の手をさしのべてくださった T市とS町のおかげで手にすることができたことを紹介しておきたい。

本校の概要

本校は岩手県の沿岸部の市の中心部にある。生徒数約420人、学級数14クラスの規模で市内では最大である。

今回の大震災による人的被害は、生徒の負傷・死亡ゼロ、保護者の死亡が5人となっている。物的な被害は、家屋損壊(全半壊含む)が2割。また、失業等の経済的な影響は3割にのぼった。津波による校舎の被害はなかった。世界一の湾口防波堤が津波の波高を4メートル下げたと言われた。地震により一部使用できない教室や立ち入りが危険な箇所ができた。そこは、テープを張り立ち入り禁止にしている。

平成23年7月現在、本校では2つの中学校の生徒が1つの校舎を分け合いながら使用している。市内でも大きな被害を受けたH中学校の生徒と先生方約200人との共同生活が始まったからである。授業や部活動では両校で時間帯や場所をうまく調整しながら進めてきた。また、本校がこれまで使用してきた、2つの体育施設(第2体育館・格技場)が平成23年7月現在 でも避難所となっていて、使用できない状態となっている。(ただし、校庭は仮設住宅が建たず使用可能。)
始業式は例年よりかなり遅れ、4月22日(金)、入学式は4月23日(土)となった。

本校の特徴

○自宅が津波で被災した生徒が2割、保護者が失業などの経済的な影響を受けた生徒が3割となっていて、全体からみると少ない。そこで、学校全体を被災者としてひとつにとらえることができない。

○被災した生徒は学習用具・部活動の用具が流されて、学校生活に支障をきたした。

○被災した生徒のうちの一部の生徒は、心的外傷を受けた。

○2つの学校が1つの校舎を分け合って使用することになり、これまでにないルールが必要となった。

○学校が避難所となっていて、部活動をはじめ諸活動が制約されている。

最大級の学校の危機管理

今回の被災は誰もが経験したことのない最大級の学校の危機管理に該当した。
その目的は、

①子どもの生命を守る。

②心理的な動揺を防ぎ正常な学校運営を行う。

③子どもと教師の信頼関係を守る

④学校に対する社会的な信用や信頼を守る。

ことにある。(『学校の危機管理』 永岡順 著 (1991)
http://p.tl/umKD

まさに生徒の命を守り、落ち着いた学校生活に戻すことが最優先課題であり、この危機に対してしっかりと対処するなかで、生徒との信頼関係や学校への信用信頼が確保されると考えた。

ところで、喫緊の課題として、すでに下校していた3年生の安否確認、避難所(本校体育施設)の運営、被災状況の把握や学校再開までの業務内容のリストアップがあった。最優先の生徒の安否確認については、震災後職員で手分けして避難所を回り、全員の無事を確認した。

今回の学校危機に対して本校では以下の原則で対応した。

①全教職員でこの危機に対応する。ただし、被災した教職員は除く。

②指揮命令系統を明確にする。

③組織の役割分担を明確にする。

④推測で動かず、正確な情報を入手する。

⑤学校再開後は生徒の実態をふまえ、段階的に通常の学校生活にもどしていく。

なお、学校の危機管理の目標は、生徒・教師や学校の受けるダメージをできるだけ低減することだ。そこで、以下の問題を想定し対処することで、その目標を達成しようとした。

想定される問題への対応

前章で想定された5つの問題への対応については、以下の記事をご参照ください。

「避難所運営への対応(佐藤謙二先生)」

http://edupedia.jp/entries/show/936

「被災した生徒のメンタル面・滅失品への対応(佐藤謙二先生)」

http://edupedia.jp/entries/show/926

「ルールの対応(佐藤謙二先生)」

http://edupedia.jp/entries/show/935

「被災した生徒と被災しない生徒の温度差への対応(佐藤謙二先生)」

http://edupedia.jp/entries/show/930

「被災した生徒のストレスへの対応(佐藤謙二先生)」

http://edupedia.jp/entries/show/937

編集後記

震災時の学校の様子・その後の対応について、現場での体験からリアルな状況を知ることができました。迅速で的確な避難誘導により人的被害を出さなかった(生徒の負傷・死亡ゼロ)佐藤先生の中学校の取り組みからは、学ぶところが大きいと感じました。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 松村健太郎)

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http://nie.asahi.com/ )には、新聞を活用した授業をサポートするためのいろいろなサービスが掲載されています。

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