学力保障 ~学校の荒れを防ぐための最優先事項

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※この記事はEDUPEDIAのスタッフとして、サイトを立ち上げた時の思いも含めて書いています。大事な話だと思っていますので、かなり前置きが長くなってしまいました(すみません)。時間のない方は、「#8」の項からお読みください。

目次

1.学校現場の荒れが40年

1970年代の後半ごろから、急激に小中学校の現場が荒れ始めます。この荒れには「大学紛争(1960年代)→高校紛争(1970年前後)→中学校校内暴力(1980年代)→小学校学級崩壊(2000年前後)」という流れがあるようにも見えます。ただし、小中学校の荒れは、大学紛争・高校紛争とはかなり違い、何か特別なイデオロギーがあって自己主張をしているわけでもないのに、同時多発的に広がりました。最初に荒れ出したのは家庭環境が悪い子ども達が多い地域であって、子ども達の苦しい気持ちが荒れにつながっているという理解を共有することができました。ところが、荒れはだんだんと経済的に豊かな層が多く居住する地域や田園地帯にまで広がっていきます。我慢が続かなくなってしまった子ども達の荒れに、教師たちは首をかしげました。
社会が豊かになり、子ども達が自由気ままに育つようになったことも主な原因のひとつなのでしょう。身体的、精神的に子ども達が学校という枠組みにはまらなくなってしまったのです。「校内暴力」「いじめ問題」「学級崩壊」「キレる子ども達」「モンスターペアレント」等と様々な命名をされながら問題視されてきた学校現場は機能不全が続いており、今なおどこの学校でも多かれ少なかれ問題を抱え込んだままになっています。1970年代の後半ごろからすでに40年近くが経っています。40年です。ぼやぼやしているともう、半世紀にわたってしまいます。

2.凄まじかった校内暴力

そのほぼ40年のうち、児童・生徒として、教師として「学校の荒れ」を見てきました。教師としては何度も厳しい状況に直面しました。1980年代の中学校は校内暴力の真っただ中でした。中学校教師として教壇に立った私が子どもから最初に言われた言葉は。「しばくどぉ」(「しばくぞ」の進化形)でした。関西なので、かなり凄みのある響きです。あの頃、多くの中学校教師は「校内暴力」というよりも。「犯罪レベルの荒れ」を目の当たりにしていると思います。全国津々浦々で起こっていたことです。小学校の学級崩壊も、まさに「信じられない」「あり得ない」光景が繰り広げられました。「犯罪レベルの校内暴力」とはまた違った衝撃でした。

学校の荒れについては、あまり具体的に書くと露悪趣味のような記事になってしまいますし、長い愚痴になってしまいそうですので割愛させてもらいます。図書館で当時の文献を当たる、あるいはネットで検索してみてください。当時の中学校の現場がどれだけ凄惨であったかを知ることができると思います。EDUPEDIAでも、校内暴力に関する記事↓がありますので、是非ご参照ください。

校内暴力とは何だったのか ~1980年代教育暗黒史

学級崩壊とは、何なのか ~どうやって立て直すのか

3.学校の荒れと学校の責任

現在は当時ほどの大荒れではないものの、あちらこちらで学校問題が起こっているという話が途絶えることはありません。荒れの全てが学校側の責任であるとは思いません。家庭や社会の責任も大きいと思います(これも語り出すと長いので割愛)。

勿論、学校には責任があります。一人一人の教師が40年来荒れが続いていることに対して責任を感じて自分の職責を全うするにはどうすればいいのかを考える必要があります。とは言うものの、40年経った今も解決ができず、引きずっている問題です。何か魔法のような方法があって、すぐに解決ができるというような問題ではありません。課題は多岐にわたっており、量が多く、複雑すぎます。ローカルルールを張り巡らせて、同調圧力を高め、クラスをコントロールしようとする教師も少なからずいますが、これもかなり問題があると思います。

ローカルルール(校則)を守らせるという困難 ~学校・教師と懲戒権

ひとつひとつ、丁寧な議論をしていかねばなりません。何をどう改善すればいいのか、改善すれば本当に良い方向に向かうのか・・・。皆、分からなくなってしまっています・・・。

山積する課題の中でも優先して対処すべきであるのは、「学力保障問題」であると、私は思っています。学校の荒れの背景には必ず「学力の崩壊」があります。そして、学校の荒れがさらに「学力の崩壊」を生みます。ここをなんとか食い止めることは教師の責任範囲の中でも大きな比重があると思います。この記事では最重要課題の一つである「学力の崩壊」を食い止めること、つまり「学力保障」について考えてみます。

4.負の積み重ね ~不信と諦め

日本の教育カリキュラムは非常によくできていると言われます。スパイラル方式で徐々に力がつけられるようになっており、各学年の発達段階に合わせたきめ細かな内容をていねいにつなぎ合わせながら単元を配列しています。

その一方で、落第がほとんどなく能力に関係なく横並びで進級させられることや、十分に学力が身についていない子どもに対する補習のシステムが整っていないこと等が原因で「落ちこぼし※」を生んでしまうことが問題視されています。授業時間内できちんと力をつけさせることができるのが本来の姿です。それが理想ですし、そうなるように教師は腕を磨かなくてはなりません。ところが実際は授業時間内だけでは学力の保障はできていません。居残りをさせたり、補充的な課題を与えたりしても、なかなか「落ちこぼし」の問題が解決しないのが現状です。

各学年で各担任・担当が子ども達の一人一人、集団の中で少しずつ落ちこぼしてきた「負」の積み重ねが、高学年・中学生となった子ども、学級集団に大きな遅れと混乱をもたらします。低学年から教師が落ちこぼしてきたわけです。どの教師でも、「この子を何とかしてあげたい」という気持ちがある反面、歴代の担任・担当が積み残した「負の遺産」に十分に対峙するだけの余裕がある教師は少ないでしょう。「落ちこぼしをなくそう」と表面では言いつつも、どこかで私たちは責任を転嫁し、諦め、無責任になってしまっているように思います。学級崩壊・学力崩壊等、ひどい状況を背負わされると、「歴代の担任が落ちこぼしてきたのが悪いからどうしようもないわ」と、私も思ってしまいます。そうして解消のできなくなった「負の蓄積」は学校への不信、子どもたちの諦めと苛立ちとなります。負のエネルギーは相乗効果で加速・増大し、さらなる学校・学級の荒れへのトリガーとなります。

5.手立てがない

私が高校生~大学生だった頃は中学校の校内暴力がピークに達していた時代でした。教室に居場所がなくなり、荒れ狂う中学生達の様子を見ながら、学力保障がきちんとできるようになれば、荒れはずいぶん収まるのではないかと考えていました。

ところが実際に教師になって現場に出ていくと、前述したように「しばくどぉ」でお迎えされました。そんな中で「落ちこぼしをなんとかしてあげよう、学力を保障しよう」と思っても、意外なまでに打つ手がないことがわかりました。

最初、中学校教員として教壇に立っていたころの私は、トラブルの処理に追われるだけで手も足も出せず、完全に打ちのめされました。教頭に校庭や学校の周りに落ちているタバコの吸い殻を拾うことを命じられ、毎朝バケツいっぱいになる吸い殻を空しく集めていました。「落ちこぼされて勉強ができなくなり、着席さえさせることさえできなくなってしまった中学生3年生」への学力補償で成果を上げることなど、若い自分には夢の夢といった状況でした。

その後、小学校教員に転身しました。そこでも最初の十年ほどは、何もできないに等しい状況でした。
ある日、6年生のD君という男の子を放課後に1人残して補習をしていました。D君は6年生の授業に全くついていけません。夜はゲームをして寝るのが遅いらしく、授業中は悲しげな顔をしてぼっとしているか、うとうと寝ています。優しく、気のいい子どもであるだけに、何とかしてあげたいと思いました。

忙しい日々の中で、時間を見つけては放課後や休み時間を利用して補習を試みてはみたものの、実際はそれほど時間(回数)がとれるわけではありませんでした。補習をしていると、D君が「3年生で分数がわからなくなってから、どうしていいかわからなかった」と悲しそうにつぶやきました。

結局、私が受け持った1年間で、D君の学力が目に見えてアップする事はありませんでした。D君自身ではどうする事もできなかったのだろうし、私も教師としてどうしてあげることもできなかったのです。3年生の分数が分かっていないD君に6年生の(分数÷分数)を効率よく指導するだけの技量が私にはありませんでした。分数が分かっていないだけではなく、他の単元の算数、漢字等、6年生のレベルには程遠い学力だったのです。たし算ひき算かけ算等の式が一桁の計算で躓いた子供(レディネスが整っていない子供)にそれ以上のレベルの授業を受けさせることは教育機会の均等という大原則に反しているのではないかと思います。

結局、意気込みだけが空回りをしたまま1年が過ぎました。中学年ぐらいの子どもにならもう少しはましな取り組みもできたかもしれませんが、3年生から落ちこぼされてきた子どもに対しては焼け石に水、またもや完全に敗北でした。
「どうしてこんなにまで無力なんだろう?」
と、悲しい気持ちになりました。私自身に力も手立てもないことのみならず、教育現場そのものにも確実な学力保障をするシステムがありません。その現状にも憤りを感じ、落胆しました。

中学校での完全な敗北や、D君に対する申し訳ない気持ちを糧にして、その後は少しずつ、「学力保障の手立て」の改良を重ねてきました。その中で、いくらか分かってきたことを以下にまとめてみました。

6.学校は忙しいのか? ~ポジティブリストの長大化

荒れている現場はただでさえ忙しいです。また、様々な事務的な仕事が煩雑になり労働条件は悪化の一途です。この20数年、学校では「○○教育」「○○学習」等と銘打った企画が次々と展開されています。防災教育・性教育・金銭教育・キャリア教育・食育・地域学習・外国語教育・総合的な学習・CAP・現場学習・・・・・・・それぞれが大事であることは現場もよく理解しています。ところが、そうでなくても多忙化は進んでいるのです。多岐にわたる●●教育の一つ一つに丁寧に取り組むだけの時間的余裕はありません。●●教育が仕事のリストに加わるたびに現場は混乱し、多忙化が進みます。元東京大学教授、現オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏のおっしゃる「ポジティブリストの長大化」です。

何でもかんでも手を出していては(あるいは押し付けられていては)本当に大事なこと、ベーシックに大事なことがおざなりになってしまうのは、当然です。2000年前後には学力の低下が論じられ、基本的な学力の保障に走った時期もありました。まずは学力を測定しようと、様々な方面で「とにかく実態把握を→学力調査」という事にもなりました。しかし、結局の所、学力保障の確実な手立てが見つからないままに時間は過ぎ、うやむやになり、あきらめ、忘れられてしまった感もあります。改善の見通しがないのに学力調査をしてみてもつらいだけですので、次第に学力調査もしなくなっていきました(落ちこぼれの思考回路と似ています)。教師の多忙化に関しては、EDUPEDIAにはたくさんの記事が掲載されていますので、是非ご参照ください。

「教員の多忙化」というキーワード の学習指導案・授業案・教材 一覧

7.ゆとり教育の幻想

現場の混乱に拍車をかけたのが、「ゆとり教育」です。ゆとり教育の全てが悪かったとは思いませんが、始まる前から理想主義的側面が批判され、学力論争が起こり、現場が右往左往してしまったことは確かです。
ゆとり教育の理論として、

(1)教育内容を3割削減する→子ども達が全員百点をとる。

(2)モチベーションを高めれば子どもはみずから漢字や計算等の基礎学習に取り組む(総合的な学習の課題を解決する過程で基礎学力が必要になる → モチベーションが高いと課題を解決したくなる → だから、勉強をする)

といった黄金の教育観が文科省(寺脇研氏を広報に)や教育委員会、学者によってこぞって喧伝されていました。現場からするとあまり現実感のない「夢物語」でした。

(1)については、「土曜日を休日にした」「総合的な学習の時間を設置した」ことにより、授業時間も3割減です。授業中の密度は変わりません(そこにもってきて、なんと文科省は「ゆとり指導要領」を改訂し、削減した内容を戻しました)。

また、学習内容を3割減らしたからと言って、30点しか得点できなかった子どもが、100点をとれる訳がありません。30点しか得点できなかった子供は、単純に計算すれば30/(100*0.7)×100≒43点のはずです。

(2)については、私の周りでそれを実現している教師を見たことがありませんし、聞いたこともありません。

8.為す術もない子ども達 ~黒塗りの教科書

このようにして現場が右往左往すれば、子ども達にも影響が出ます。例えば漢字ができなくなった子どもには、教科書は戦後の教科書のように黒塗りされているように見えてしまっていることでしょう。あるいは重要語句がアラビア語で書かれているというような状況でしょう。教師の話す言葉の中にも、アラビア語が混じっているというような状況なのかもしれません。例えば小学校6年生に掲載されている「平和のとりでを築く」の約1ページ分の文章を下図のように黒塗りしてみました。4年生ぐらいでついていけなくなった子どもにとっては、次のように見えているかもしれません。

3年生で躓いている子どもはもっと黒塗りの部分が多く見えているかもしれません。大人でも前後の脈絡を考えて、黒塗りの部分に何が書いてあるかを想像する事は難しいです。漢字が読めていないというレベルの子どもはほぼ読解力も劣っています。そんな子どもがこの文章を理解する事は極めて難しいと言えるでしょう。

まさに、為す術もない状態です。子ども達にしてみれば、先生が下手な授業・指導で落ちこぼしておいて、為す術もない状態になった自分を叱られるというのは、なんとも不条理です。レストランで不味い料理が出てきたので食べ残したら、レジで店長に叱られた・・・そんな気分かもしれません。
落ちこぼした子供たちが学習に対するネガティブな感情を抱いて当然なのでは?

また、算数の計算も、どこかで躓いたままになっていると、後になって大きな学習の障害となります。筆算の躓きに関しては、こちらの記事が詳しく書いているので、ご参照ください。

「小数のわり算」躓きの分析と対応

9.居残りはただの、いやがらせ?

そんな落ちこぼしたちを何とかしようと、居残り学習をさせることがあります。教師側にしてみれば、親切心で課外の学習をさせるわけなんだけれど、あまり成果が上がらないことがあります。

どのクラスを持っても、漢字ができない子どもが必ずいます。特に高学年を持つと「よくぞここまで、今までの担任は放置してきたものだな」と思ってしまうような子どもがいます。本当に今までの担任が何もしなかったわけではないのだろうけれど、有効な手だてを見いだせなかったのでしょう。

「お情け」程度あるいは「懲罰」的に居残りをさせられて、子どもや保護者が「先生は僕のために(保護者にとっては我が子のために)頑張ってくれた」と感じることもあるでしょう。

しかし、下手をすれば教師が準備する「有効でない手立て」は落ちこぼされた子どもにとっては。「ただのいやがらせ」になってしまいます。教師の「思い付き(無計画・準備不足)」で休み時間や放課後に残されて、成長の見通しもないのに強制させられる「面倒で長々とした漢字練習」は、子どもにとっては単なる負担です。

10.弱者を放置しない

子どもや保護者にとって、下手な授業を受けさせられた挙句に「ついてこれないお前が悪い」とばかりに切り捨てられてはたまったものではありません。子ども達の間に「見放された感」が募っていけば、トラブル発生頻度は相乗的に高まっていきます。居残りで補習をさせられても、つまらない、罰を与えられているような気がする。・・・これでは弱者は救われません。

大抵の教師にとっては自分が教えている学年(の単元)は自分が子どもの時には落ちこぼれずについていけていた段階なので、子どもの気持ちは理解しにくいのです。高校や大学の段階(微積分、英会話、相対性理論、マルクス、部活動・・・)ではきっとほとんどの教師が何かに落ちこぼれて学力面での挫折を味わっているはずです。

高等教育は短い期間である上に義務教育ではないので取捨選択が可能なため、記憶の中では合理化され、「過去の話」となっているかもしれませんが、教師はその時の「挫折感」「お困り感」「弱者になってしまった感」を思い出す必要があります。

教師の仕事において学力保障の優先順位は高いはずです。教師はかつて自分が弱者であった時期を思い出して、弱者救済に心血を注ぐ必要があります。教師が学力的弱者に教えることを諦めておいて、子どもに弱者を助けることを要請できるでしょうか。諦めてはならないのです。教師が(学力的な)弱者の味方になるというスタンスを捨ててしまえば、教室には弱者排斥の芽が生まれます。

逆にいえば弱者救済、つまり、「学力保障」をなんとかできれば、子どもからも保護者からも信頼を得られます。弱者に優しいクラスを作ることができます。40年にわたる学校の荒れを緩和し、相当な失地回復ができるはずなのです。

弱者視点に立った教育 | EDUPEDIA

11.何を押さえなくてはならないか

やっと結論にさしかかってきました・・・。
学力保障を充実させたくとも、いまひとつ充実できないと感じているならば、「時間も、手立てもない」という現状をまず認識することが大事です。その上で、何をすればいいのかを考えます。
教師の代表的な言い訳に「忙しいので~」があります。確かに忙しいです。私も自分自身に向かって、よくこの言い訳を使ってしまいます(反省)。しかし、忙しいのであれば、取捨選択をするべきなのです。それができていないのです(反省)。何を押さえればよいのかをしっかり吟味する必要があります。

特に気を付けて考えるべきことは、「時間の割に早期に効果が出る」そして、「楽に、確実に効果が出る」という方法を考案あるいは採用することです。

例えば、居残りをした子どもに短時間で「よかった」「楽しかった」と思わせることです。つまり、短い時間で自分の成長が確実に自覚できる結果を出させることです。学力保障をきちんとして「今日一日、成長したな、楽しかったな」という思いを持たせて子供を下校させることができれば、子供も勉強が苦痛ではなくなるでしょう。
そのためには、「思い付き」ではなく、「戦略」を立てなくてはなりません。少しずつでも確実に成長を実感できれば、子供は楽しいと思うものです。

職員の会議で「読み書きそろばん」、つまり漢字と計算が大事だと主張しても、必ず「総合も大事」「今は聞く力、話す力が中心課題、それこそ社会で必要とされる学力」「モチベーションを上げることを考えないと」etc・・・・・・・・・・・・・と、学力論争は堂々巡りしてしまいます。確かにどれも大事、でも、それで、ぶれてしまってはいけません。何もかも大事だと何もかもを追いかけてみても、なかなかうまくいきません。
カリキュラムを眺めれば義務教育で授業を受ける限り、漢字と計算は、何度も付き合わされる上に、ひとつ上のレベルの学習をするにも必ずその能力を要求される、重要な学力です。ここを押さえることから逃げることは、仕事を放棄しているに等しいのです。最優先すべき課題をまず抑えてから、「総合も大事」「今は聞く力、話す力が中心課題」「モチベーションを上げることを考えないと」etc・・・・・・・・・・・・・に取り組めばいいのです。

12.EDUPEDIAの学力保障関連記事をご覧ください

では、もう少し具体的にどうやって「読み書きそろばん」の学力保障をするのかという話ですが、これについては、EDUPEDIA内の記事をご覧ください。EDUPEDIAは多様な教育に関する情報を集めています。その中で、学力保障に関する情報もずいぶんと充実してきました。下記リンク先でたくさんの記事が見つけられますので、是非ご参照ください。

「学力保障」というキーワード の学習指導案・授業案・教材 一覧

↓これをクリックすると、たくさんの「教材関連の記事」にジャンプします。
教材関連の記事

ピックアップをするとすれば、計算に関しては、前述した

「小数のわり算」躓きの分析と対応

辺りを見ていただき、そこからのリンクをたどっていただくのがいいかと思います。

「算数GOGO」というソフトもアップロードされていますので、これをPCにインストールしていただければかなりの効果を発揮します。

「算数GOGO」は、

算数GOGO(ソフト)~個人個人に確実に計算力を!

をご覧ください。

漢字に関しては、

繰り返し漢字テスト

が効果的な教材として強力な武器になると思います。

「読み書きそろばん」に絞ると述べてみたものの、保障すべき基礎学力は言い始めると他にもたくさんあります。優先順位をつけながらひとつひとつをしっかり保障できるようにしていけばいいと思います。
例えば体育のサッカーであれば、最も保障すべきは「作戦や練習方法を話し合う」「チームワークを高める」ではありません。「ボールを蹴る」です。

サッカー全員シュート(全員得点)達成への道

例えば社会科であれば、「県名を覚える」ことです。

繰り返し 県名・県庁所在地名テスト

落ちこぼし対策で、補習をどのように運営するかについて書かれています。

「補習」落ちこぼしをどうするか
少ない時間で適格な補習を~「補習」落ちこぼしをどうするか(2)

例えば音楽であれば、「リコーダーが吹ける」ようになることです。
リコーダーの苦手な子供への指導

13.データを取る(学校全体で取り組む)

学力保障をするには、まず、誰が何をどれだけできているのか、データを取る必要があります。2005年ごろにはPISAについての話が先走って大規模な学力テストが行われるようになりました。全般的な学力を測ることそれ自体には賛成です。しかし同時に、もう少し手軽に手早くできるテストでいいので、漢字と計算の学力くらいは担任として把握しておく必要があります。大がかりなテストをやれば、大がかりな対策が必要になり、結局「手立てがない」「見当がつかない」「それは無理」ということになってしまいます。ですから、ピンポイントでもいいから、とにかくデータを取ります。そして、その変化(改善の具合)を丁寧に追跡します。漫然と「できるようになったよなあ」と感覚任せにせず、数字で把握するのです。

データをとってほめる材料に

学校としても、きちんとデータをとって誰が何で落ちこぼれているのか、あれこれやらずに、ターゲットを絞り込んでやるといいです。4月の段階で漢字と計算の簡単なテストをした後に、エクセルに入力して旧クラスに並べ替えれば、どの担任の学力保障が弱いかがはっきり出ます。悪い結果を引き出して旧担任を責めるためではなく、まずデータで現状を把握して対策をとる必要があります。

個人がやみくもに改善をやってしまうのではなく、学校全体としてデータを取りながら、変化・効果を読みとって責任の所在を明らかにし、実効性のある方法を共有していくことが大切です。
できるなら、居残り教室や遡り学習に学校規模で組織的に取り組んでみるのもいいでしょう。

14.居残り学習の形態

居残り学習の形態についても、考えなくてはなりません。あまり大がかりなことを考える必要もないと思います。休み時間にしても、放課後にしても、家で課題をさせるにしても、5分から15分集中すれば、やり終える程度の課題を与えることから始めてみればいいと思います。元々集中力が続かないから落ちこぼしてしまった子ども達に、長い時間をかけるのは禁物です。長い時間をかけるのではなく、長い期間をかけて計画的に進めるのがいいでしょう。チャイムが鳴った後、あるいは「サヨウナラ」をした後、「はい、このプリントを●枚して、できたらさようならです」と、子どもにも「恐怖」ではなく「見通し」を与えて始めるといいと思います。

それが成功すれば、子ども達も居残りにあまり抵抗を持つことがなくなってきます。場合によっては「今日は居残りがないの?」と、子ども達の方から聞いてくることがあります。彼らは放っておかれた寂しさや、家庭での問題を抱えていることが多いです。居残り勉強が「彼らに罰則を与えているような時間」から、「彼らに関わってあげることのできる楽しく貴重な時間」へと変化していくといいですね。

15.マイナスからプラスへ ~学力保障は意外に簡単?

学力保障はずいぶん重い課題であるように捉えられがちです。ところが、先に書いたように、やりようによっては「彼らに関わってあげることのできる楽しく貴重な時間」へと変化していく、意外と楽で楽しい業務なのです。次の3点も、「楽で楽しい理由」です。

①子どもの中にレディネスができている可能性がある

落ちこぼれた子どもにとって、落ちこぼれた時点は、過去です。小中学生は成長の著しい時期であるため、放っておいても自然に成長し、落ちこぼれた時点に比べてかなりしっかりとしたレディネスを備えている可能性があります(学習障害的なものは仕方ないとして)。つまり、きちんとしたツール(教材)で落ちこぼした時期まで遡ってあげることができれば、意外とすんなりと課題を克服するケースがあります。そのためにも、遡り学習が効率的にできるツールが必要なのです。

②「子ども・保護者・教師」喜びを共有する

遡り学習は①で述べたように、ツールさえあればそれ程しんどくなくできてしまうので、意外と子どもが喜びます。ツールに美しいスモールステップが備わっていれば、教師はそれを与えて「できたじゃない、すごいね」「先生もうれしいよ」と言っているだけでいいわけです。データをきちんと取っていれば、成長の様子を子どもに示し、保護者にも示すことができます。「子ども・保護者・教師」が、子どもの成長の喜びを共有することは、学校が活力を取り戻すためのたいへん大事な要素です。

③肩の荷が下りる

学力保障は全ての子どもを成長させるという教師にとって当たり前の業務です。しかし、思うように当たり前のことができないというのが、世の常でもあります。当たり前のことが当たり前にできるようになれば、今までずっと心に引っかかっていた「落ちこぼしてしまった」という後悔の念から自分を解放することができます。

落ちこぼす→落ちこぼれたのだと子供に責任を転嫁する→叱責する→恨まれる→学級(学校)が不安定になる→余裕がなくなる→落ちこぼす→・・・・・

という負のスパイラルから解放され、

基礎的な学力を保障する→子どもが成長する→ほめる→喜びの共有→子どもと保護者から信頼を得る→学級(学校)が安定する→余裕ができる→さらに上のレベルの学力を保障する→・・・・・

という、正のスパイラルに移行する可能性があります。

・・・負のスパイラルは子どもにとっても教師にとっても、本当に不幸な状況です。私がこうしてEDUPEDIAで共有した記事によって、読んで下さった方に少しでも学力保障について考えるきっかけが生まれるといいなと思っています。どの教室でも学力保障が実現される状況が広がり、40年に亘ろうかという教育現場の荒れと混乱が収まる方向に向かう事を祈っています。

※落ちこぼし・・・児童生徒の側から見ると「落ちこぼれ」なのでしょうが、学校・教師側から見ると、落ちこぼしているわけですから、「落ちこぼし」と表現するべきなのではないかと思っています。

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