弱者視点に立った教育

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作成者:matui hiroshi (Edupedia編集部)さん

弱者とは


学校で何かをすれば、何かを言えば、たいていの場合それで利益を得る者と不利益を被る者が現れます。利益(プラス)と不利益(マイナス)を両極とすれば、その間に様々なレベルの「利益」と「不利益」があるのでしょう。例えば、「大きな利益を得る」「やや利益を得る」「あまり利益がない」「やや不利益を被る」「かなり不利益を被る」・・・何段階ものレベルが存在するのではないかと思います。

【事例1】例えば、「クラスのみんなで長縄をやろう。誰も引っかからないで、何連続で跳べるかな」と言って運動場に出れば、全く引っかかることもなく楽しめる子供もいれば、何度も引っかかって悲しい思いをする子供もいます。下手をすれば、みんなから「お前が引っかかるせいで何度もクラスの記録がストップするじゃないか!」と責められる子供が出てくるかもしれません。

長なわ8の字連続跳び~クラス全員成功へ

【事例2】百人一首大会をすれば、「覚えるのが苦手・家庭でやった経験がない・聞く力が弱い」等の子どもにとっては不利で苦痛な時間帯となるし、その反対の子供にとっては有利で自己実現ができる時間帯となります。

上記のような状況で、マイナスの極に近い方向へ追いやられてしまう人達をこれ以降「弱者」と呼ぶことにしたいと思います。プラスの方向へ向かうことができる人達を「強者」と呼んでみます。

学校・学級という小さな社会の中では、様々な局面で「強者」と「弱者」が生み出されます。授業をはじめ、たくさんの指導の場面で教師による指示が間断なく発せられており、指示に従う子供の中にも、従わない子供の中にも弱者はいると思います。

【事例3】宿題一つ出すにしても、どうってことなくそれをこなせる子供(強者)がいる一方で、時間がかかるし保護者にも支援してくれるような家庭状況ではない子供にとっては宿題が重荷になる場合もあるでしょう。教師が宿題をしてこない子供を強く責めれば「弱者」は「より弱者」に陥ります。また、受験を目指して厳しい塾(長時間拘束せれ、宿題も多い塾)に通っている子どもにとっても、その宿題は簡単すぎて「時間の無駄」としか思えないかもしれません。そんな子供にとって長い時間がかかる宿題を出されることは息抜きの時間を失う結果になるかもしれません。彼もまた弱者であると言えるでしょう。

弱者視点で考える


教師は様々な局面で出現する「弱者」について、思いをはせる習慣を身につけておかねばならないと思っています。
●誰が得をし、誰が損をしているのか → 誰得?誰損?
●誰が楽しくて、誰が悲しんでいるのか → 誰楽?誰悲?
●誰が笑っていて、誰が泣いているのか → 誰笑?誰泣?
●つまり誰が強者で、誰が弱者なのか → 誰強?誰弱?

様々な観点からアンテナを高くして子供たちを観察し、思いを巡らせる必要があると思います。「絶えず弱者を思いやる」という姿勢が大事だと思います。様々な局面で弱者が存在すると思います。個々の子供の視点(弱者の視点)に立って物事を考えてあげなくてはいけません。ずっと「誰強?誰弱?」を考えていることは不可能としても、時々は振り返り、自分が、自分達(学校)が弱者を作り出してしまってはいないか、考えてみる必要はあると思います。
小学校6年生で九九が満足に言えないような学力不振の子供は算数の時間は本当に弱い立場に立たされてしまいます。そんな子供に対して、いったい何をしてあげることができるのか、本当に心を悩まされることがあります。クラスで次々とトラブルを起こし、教師にも反抗的・・・そんな児童も、将来的には社会に受け入れられることのない弱者であるかもしれません。教師は子供たちにいったい何をしてあげればよいのか。とことん弱者に寄り添うことはなかなか難しいです。難しいことではあると思うのですが、「得」「楽」「笑」(=強者)の最大化を目指す一方で、「損」「悲」「泣」(=弱者)の最小化への配慮を忘れないことは大事です。

学力保障 ~学校の荒れを防ぐための最優先事項
妨害児の指導(岡篤先生)
繰り返し漢字テスト【教材】
ICTの導入で着実な成果を出す~算数GOGOの実践より

上↑の記事は、EDUPEDIAのいくつかの「弱者を支援するための実践」です。弱者をしっかり支援できる実践を探し、セーフティーネット充実させていく必要があります。知恵を出し合い、想像力を働かせなくてはなりません。
昔のアニメに「光ある所に影がある」という決まり台詞がありました。光を照らせば必ず影は生まれます。誰には光が当たり、誰かが「影」になってしまうのが現実なのでしょう。しかし、やりようによっては弱者の痛みを緩和することはできるかもしれません。光源のエネルギー量が同じであっても、多方向から光を照らすと影は薄くなります。多くのセーフティーネットを作り出し、「算数が苦手な子供が水泳で活躍できる」というような「多様な活躍の場」を作っていくことも必要なのかもしれないと思います。「逃げることができるかどうか」が「真の弱者か、そうでもないか」の分かれ道だと思います。学校・学級という空間から、子供たちは容易に逃げることができません。「みんながハッピー」になるためには何をせねばならぬのか私も日々自問自答しています。

宮沢賢治は「農民芸術概論綱要」の中でこう述べています。

「世界がぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「やまなし」で宮沢賢治が伝えたかった事は?
宮沢賢治は東北の貧しい農家を救うために、西へ東へ奔走したと言われます。

教師も学校ももはや弱者


ちょっと視点を変えて、職員室の話をしてみます。
昔の教師の中にはずいぶん高飛車で、怒りを覚えれば平気で体罰を加える、保護者には強い口調で子供の欠点を並べ立てるような態度をとる「強者」が少なからずいました。「教師には自宅研修権がある」と主張をし、40日間の夏休みをまるまる出勤せずに過ごし、「8月分の交通費1か月分の支給」を受けるために半日だけ出勤した挙句べらべらしゃべって仕事の邪魔をして帰る先輩を見て、その強者ぶりに驚愕した覚えがあります。
しかし、そんな状況は今となっては遠い昔です。今や教師はかなりの度合いで「弱者側」に転落してしまっています。コンプライアンス(法令順守)とアカウンタビリティー(説明責任)を突き付けられ、指導困難な児童が増え、保護者からのクレームに苦慮し、文科省や教育委員会からの「無理筋のトップダウン」に悩まされ、賃金無払い労働状況の解消の見通しはつきません。
年々、学校では業務が多様化・複雑化し、多忙化が進んでいます。非正規採用の教師、病気の教師、若い教師、資質に欠ける教師・・・見捨てるわけにはいきません。長年学校に勤めてきていますが、最近、自分のポンコツ感が半端でなく、ずっと迷子になっているような気分に陥ることがあります。教師生活30年を超えて、経験値は年を重ねるごとに上がってきているはずの自分(ベテラン)でさえ、教師という職業は年々しんどく難しくなっていくように感じています。若くて経験の浅い教師にとっては本当にしんどい職場になってしまっていることでしょう。学校・学級という空間から、教師たちも容易に逃げることができません。
「学校の多忙化」の改善(業務改善) ~「残業の見える化」から始める

昔は「上がり」のポストであった管理職(校長・教頭あるいは教育委員会)でさえ弱者になってしまった感があります。、求められることが非常に多くなってきています。学校運営もたいへんな状況です。
校長先生、職員室が学級崩壊状態です!~「職員室の学級崩壊チェックシート」付

だからこそ、私たち教員は日々の職員室での立ち振る舞いに注意をし、働き方を考え直し、ピアプレッシャーになりがちな職場をピアサポートが行われる職場に変えていかねばなりません。弱者同士(教師集団)が寄り添い支え合いながら、どうすれば弱者(児童)を支え、救ってあげることができるのかを考え直す必要があるのではないかと思います。
そして教師が良い意味での「強者」へと生まれ変わっていくことができれば、救うことのできる弱者(同僚・子供)を増やしていく事ができるのではないかと思います。
教師の心得25 ~職員として、社会人として〜

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